エッカルト(4)
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「そういえば、口止めしなくてよかったのか?」
しばらく進んだところで、不意にクーノが言い出した。
「口止め?」
「村長だよ。俺らが解決して戻る前に、城に知られちゃ困るだろ」
「そのことか」
エッカルトは苦笑した。
「口止めしたところで知らせるだろうさ、あの爺さんは。狩人の件をすぐ知らせなかったことで懲りてるはずだ。俺たちが見えなくなったところで、とっくに使いを出してる」
「そうか、まあ、言われてみりゃそうだな」
クーノが感心したように頷く横で、アルヴィンは不満そうな顔をしていた。
「それにしても、あれはやり過ぎだったよ、エッカルト」
「村長を脅したことか」
「そうだ。何もあそこまで言う必要はなかっただろ」
エッカルトは、自分を見て震えていた村長の顔を思い出した。あの老人は最後まで、こちらの目をまともに見ようとしなかった。少し効き過ぎたかも知れない。その意味では、確かにやり過ぎではあった。
「ここを出たら謝りに行けば良いのか?」
「君が?それができるようなら、ここに来ることもなかっただろうね」
「どういう意味だ」
エッカルトは声を低くし、アルヴィンんを睨んだ。
「君がここへ来たかった理由のことだよ」
「ベンノのことを言っているのか。違うと言っただろ」
血まみれになって、自分の下に組み伏せられていた自警団の老人の姿が頭をよぎった。酒に酔って、危うく殺しかけた。罪のない、善良な、街の人間。
理由の分からない苛立ちがまた腹の底から込み上げ、エッカルトは唇を歪めた。
「それじゃあ、お前は何でここにいるんだ」
「友達として君の無茶を見過ごせないからだよ」
アルヴィンも声を荒げた。
「誰も頼んでない!」
エッカルトはそれ以上の声で怒鳴った。
「これ以上ふざけた文句を言うつもりなら帰れ」
「君は——」
「黙れ!」
アルヴィンが顔を赤くして何かを言い返そうとした、その時だった。
少し前を歩いていたヨストが、二人を振り返りもせず怒鳴った。
エッカルトは呆気に取られた。この男がこれほど声を荒げるのを聞くのは何年ぶりだろうと、場違いなことを思った。アルヴィンも似たような顔をしている。それまで白けた様子で二人の言い争いを聞いていたクーノの顔からも、笑いが消えた。
「どうした、ヨスト」
クーノが聞いた。
「声が……」
ヨストはそれだけ言った。気のせいか僅かに震える声だった。
彼は進んできた方向とは別の場所を見つめたまた、動かない。エッカルトもそちらへ目を向けた。幾重にも重なった木々の向こうに、緑色の闇が濃く沈んでいる。
ヨストは瞬きもせず、その闇を見つめ続けた。
「おい、ヨスト!」
クーノがもう一度呼んだ。
ようやくヨストは、夢から醒めたように目を動かした。それから森の奥から視線を外し、先ほどまで進んでいた方角を見た。
「……いや、聞き間違いだった。行こう」
それだけ言って、再び歩き出した。
この中ではヨストと最も付き合いの長いクーノにも、どういうことか分からないらしい。しばらくその背を眺めてから肩をすくめ、後を追った。エッカルトとヨストは顔を見合わせた。先ほどまで何をあれほど怒鳴り合っていたのか、急に馬鹿らしく思えてきた。どちらからともなく苦い笑みを浮かべ、それ以上何も言わず歩き出した。
「どころで結局、お前らは森に何がいると思うんだ?」
少し先を歩くクーノが、大声で話題を変えた。
「俺は熊だと思うけどよ」
「この辺りの熊は、滅多に人を襲わない」
すかさずヨストが否定した。先ほどのことから立ち直ったのか、それとも立ち直るために会話へ加わったのか、エッカルトには分からなかった。
「襲ったところで、人間を何人も喰い殺せるほど大きくはない。そんな熊がいるとしたらもっと北だ。山脈の向こうまで行かないと」
「じゃあ何だってんだ」
「魔物じゃないか?」アルヴィンが言った。「男爵様が魔物狩りを呼び寄せたってことは、そういうことだろう」
「いや、そうとも限らない」
もっともな意見ではあったが、エッカルトは首を振った。
「親父は魔物がいるからラントヴァルクを雇ったんじゃない。魔物がいるかもと思ったから雇ったんだ。だから、森にいるのが魔物だってことにはならない」
「それもそうか」
アルヴィンが頷くと、クーノは後ろ向きになって二人を見ながら歩き始めた。
「そもそも魔物って何だ?お前ら、見たことあるか?」
「ないけど……なんか邪悪な化け物とかじゃないかな。それとクーノ、危ないから前を見て歩けよ」
アルヴィンはそう言ってからエッカルトを見たが、エッカルトにも魔物が何なのかなど分からない。
「邪悪な化け物か。邪悪な魔女が北にいたって話なら、聞いたことあるけどよ」
「骨揺籠の魔女のことか。それなら僕も知っている」
クーノとアルヴィンが言っている魔女のことは、エッカルトも幼い頃母から聞いたことがあった。
昔、北のある村にある女がいた。女には夫と、幼い子供が一人だけいた。子供が病気になり、女は子供を助けるために悪魔に祈った。助かったは良いが、子供は人の肉しか食わなくなった。夫婦は、夜な夜な村の人を殺して、子供に食わせた。しかしそのうちばれてしまい、夫は殺され、子供も傷を負い、女は子供を連れて森の中へ逃げた。
しかしその子供も森の中で死んでしまった。
頭がおかしくなった女は、子供が死んだことを認めなかった。子供の死骸に縋り付いて嘆くうちに、女は魔女となった。魔女は森に入ってくる人を殺して、死んだはずの子供に食わせようとした。そこにはいつしか、人の骨でできた揺籠のような家が建ち、魔女はそこで子供に人肉を食わせ続けているという。
「それがこの森だってのか」
エッカルトが言うと、アルヴィンは不安そうに辺りを見まわした。
「北ってのは聞いたことあるけど、まさかね」
そう言いながらも、アルヴィンは目が泳いでいた。しかしエッカルトには何となく違う気がした。
この話はこの辺では言うことを聞かない子供を躾ける際によく出る語り草だ。エッカルトだって、母と乳母から聞いたことがある。そう、母はこの物語をよく知っていた、なんと言ったか……。
「元気そうで嬉しいわ、私のエッカルト」
え、とエッカルトは右を見た。鬱蒼とした木々あるだけで、誰もいない。だけど、確かに聞いた。母の声。ここ三ヶ月、一度も会った事がない、母の優しい声。
しかし目に見えるのは、深く沈んでいる緑色の闇だけだった。
クーノとアルヴィンが訝しげにエッカルトを見た。ヨストだけはもの問いたげな表情をしていたが、すぐにその顔に狩人としての鋭い緊張が走った。
「静かに」
ヨストが囁くように言って、背負っていた弓をゆっくりと構えた。少し遅れて、木々の奥から低い音がした。枝が一本、太いものに追い折られたような音だった。
湿った地面を何か重いものが踏んでいる。残りの三人も、緊張した顔で各々の武器を手に取った。エッカルトは息を殺して音がしてきた木々の間を睨んだ。微かに、黒い影が見えて、消えた。
しばらくして音も聞こえなくなった。
「……熊か?」
クーノが吐き出すように言った。
静かに弓をしまいながら、ヨストは「分からない」と答えた。遠くから見ただけだが、この辺の熊にしては大きすぎるような気がすると、エッカルトは密かに思った。
一行は再び歩き出した。エッカルトは一度だけ、声が聞こえた方向を見たが、相変わらず森の闇が静かに佇んでいるだけだった。




