第19話
「うまくやったな」
「ええ。でも……さっきのはどういうこと? 勢いに任せてもキメラを倒せたでしょう?」
「まァ……。このやり口に、ちょいと覚えがあるんでな」
「やり口……?」
「――なァ、いるんだろ。クリシス」
吹き抜けの広場にイリュネアの声が響き渡り――彼女の呼びかけに答えるようにして、何もない空間から一人の女性が現れた。
空中から姿を現した彼女は、ストン、とキメラの死体に着地。
「ごきげんよう。〝魔王〟イリュネア。そして……ハルモニア」
クリシスは、夢の中で見た姿そのままだった。
長くつややかな黒髪を、頭頂部あたりでまとめてポニーテールにしている。世にも珍しい黄金色の瞳を持ち、目じりは切れ長で鼻梁が通っている。
そんな絶世の美女が着込むのは、真っ黒なスーツ。まさにキャリアウーマンといった格好に加えて、左腰に刀を携えている。
あれは本当にただの夢ではなかった。と思い知るのと同時に、リディアナはピキリと走る鋭い頭痛に目を細めた。
クリシスが何者で、どういう立場にあるのか。その記憶が蘇った気がしたが……まるで蓋をするかのように、一瞬にして解らなくなってしまう。
「悪癖は健在のようだな、ハルモニア。都合の悪いことには目をつむるか」
クリシスは吐き捨てるように言った。夢の中とはまるで態度が違う。
「ハッ……飼い犬が言うようになったじゃねェか。イエスマンから卒業したいだのなんだの言っていたが……結局元通りじゃねェか」
イリュネアが反射的に煽る。そんな彼女もまた、夢の中とは正反対の態度だった。
「……最後の最後まで認めていなかった貴様が。ハルモニアの肩をもつとは。彼女の……リディアナのガワを被ったことでほだされたか?」
「……あァ? もっぺん言ってみろ、犬畜生」
「耳が悪くなったか、〝魔王〟。死人を使った友情ごっこは楽しいかと、聞いたんだ」
「言うようになったじゃねェか……!」
黄金色の瞳を鋭く光らせるクリシスに、牙をむくイリュネア。
言葉を交わすごとに剣呑な空気は、ひたすらに尖り続けていく。仲間に向けるような口調でもなければ、旧知の仲だからこその皮肉の応酬でもない。
それどころか、双方、刃を収めようともしない。
イリュネアは〝魔剣ニーズヘッグ〟を、クリシスは刀を構えたまま。切っ先は互いののど元に向いている。
今にも斬りあいそうな緊張感すらある。
そんな状況を前にして、リディアナはどうすることもできなかった。
頭がぼうっとして働かない。考えることを放棄してしまっている。
それではダメだと。さっき思い出したものを取り戻さねばと。必死になればなるほど、呪いでもかけられたかのように、思考が鈍くなっていく。
「――〝フォルトゥナ〟からの通達だ」
クリシスのその言葉を、リディアナは理解できなかった。
だがイリュネアはある程度想定していたらしく、不満そうにフンと鼻を鳴らしていた。
「〝ハルモニア〟の座を降りてもらう。つまり……死刑に処す」
唐突な勧告に、リディアナが怯えることも、イリュネアが噛みつくこともなかった。
その一切の反応を圧殺するかのように、クリシスが先手を打ったのである。
ふ、と彼女の姿が消えた。
かと思うと、背後に現れる。
ワープしたわけでもなく、時空をゆがめたわけでもない。
ただただ、超スピードで背後に回り込んだだけ。
反応できないわけではなかったが――リディアナは動けなかった。
まるで死を望むかのように、身体が動かない。
そこへ――。
「〝エリア:タイムロック〟!」
イリュネアが〝誓紋〟で〝時の力〟を行使。
クリシスが刀を振るうその直前で、ピタリと止まる。
その隙に、イリュネアが油断なく接近。
クリシスをも凌ぐスピードに、大剣の大振りを掛け合わせ――重い一撃を入れる。
「ハッ、この私にスピード勝負たァ――生意気だなァ、オイ!」
「ム……」
純粋なパワー対決。
イリュネアが先手を打った形であり、クリシスは〝タイムロック〟もあって不利な体勢だった。
しかも大剣を受け止めたのは、右の手の甲。
普通ならば〝魔剣ニーズヘッグ〟の餌食になる。腕ごと、身体を真っ二つにされていただろう。
なのにクリシスは、受け止めるどころか、はじき返してしまった。
そのうえで、左の刀で反撃。
イリュネアは、それを見越していた。
大剣を手元に引き寄せ、足さばきで防御態勢に入り、刀を防ぐ。
その間、リディアナは硬直しているだけ。
体が動いたのは、イリュネアとクリシスの双方が距離を取ってから。それもイリュネアに手を引っ張られたためだった。
「……わからんな。なぜ貴様がハルモニアをかばう?」
イリュネアの〝時の力〟の厄介さは身に染みたはず。
だというのにクリシスは、臆するようなことはなかった。
「それァこっちの台詞だ。フォルトゥナからハルモニアに鞍替えして、また寝返るか……。とんだコウモリ野郎め――ナメた口利いてんじゃねェよ」
イリュネアもまた、怒りをひっこめるようなことはなかった。
得意のパワー勝負に持ち込んでなお、クリシスに平然と捌かれた……幾分動揺はしているはずだが、それをおくびにも見せない。
「お互い様だ。それとも自分に言い聞かせてるのか? ――かつてリディアナ・ニューアークを死に追いやったのは、そこにいるハルモニアだろうに」
クリシスが吐き捨てるように言い……リディアナは――ハルモニアは、その言葉が胸に突き刺さった気がした。
「え……? 私が……リディアナを……?」
うまく呼吸ができない。古傷がうずくかのように、ひどい痛みが走る。
それでもなお、封印された記憶がよみがえることはなかった。
「記憶を封印したか……。だが……〝誓約のクロニクル〟をすべて忘れたわけではないだろう?」
リディアナが戸惑っている間にも、イリュネアが行動を起こした。
〝魔剣ニーズヘッグ〟を引っ提げ、クリシスに肉薄。
だが――。
「悪いが尋問中だ――ソレを相手にしていてくれ」
イリュネアの背中に向けて、一匹の蛇が襲い掛かった。
それを〝魔王〟は寸前のところで回避。
「チッ……!」
死んだはずのキメラが、ムクリと起き上がったのだ。
肉体が気色悪くドロドロと溶けていき、あっという間に骨だけになる。と同時に、イリュネアに切り落とされていた三つ頭が浮き上がり、首につながる。
そうしてガイコツキメラが誕生した。
「〝誓約のクロニクル〟が……なんだっていうの。あれは……ッ」
「ただのおとぎ話とでも思ったか? 〝誓約のクロニクル〟はこの時代の目録……〝フォルトゥナ〟が創り、〝ハルモニア〟が編集する。そういう〝仕事〟だったのだろう?」
「仕事……。編集者……」
「世界創造の一翼を担う。それが〝ハルモニア〟の座。――これで思い出してくれれば、私も〝仕事〟に取り掛かれるんだが」
聞いてはならない、と思った。
だが同時に、聞かなくてはならない、とも直感した。
知らなくては、思い出さなくては、記憶の封印を解かねば――リディアナ・ニューアークに申し訳が立たない。
〝原点〟を穢してはならないと、強く思った。
ピキリ、と再び頭痛が走る。
まるで卵の殻を割るかのように、頭の中で音が広がっていく。
あと少しで封印が解ける――というところで。
「何も知らねェくせに――」
リディアナは――ハルモニアは、ギョッとした。
と同時に、割れ欠けていた封印が修復される。
「ハルモニアを語ンじゃねェよッ!!!」
イリュネアが、ガイコツキメラの胸元をひっつかみ――クリシスめがけて叩きつけたのである。
骨だけになって軽くなったとはいえ、子どもがおもちゃでも投げるかのような光景は、あまりにも非常識だった。




