第15話
「アレは……。間違いなく、私の記憶……」
〝喫茶こもれび〟で購入したコーヒー豆を挽きながら、夢を振り返る。
何を話していたかはもうぼんやりとしているが、リディアナがいて、イリュネアがいて、〝クリシス〟がいることは覚えている。
そして、その話し合いに参加していたことも。
「〝ハルモニア〟……が、私の名前……」
その夢が〝私〟の……〝ハルモニア〟の記憶であることは間違いない。
だが、一つとして実感がなかった。
何かハッとすることも、別のことを思い出すようなこともない。
ただ、〝ハルモニア〟という名前には引っ掛かりがあった。
夢の中では呼び名として使われていたが、本名は別にある気がした。そういう意味では〝クリシス〟も同じ……彼女にも、本当の名前があるように思える。
「なら、私は……。私も……?」
あの夢が示唆するのは、〝ハルモニア〟もイリュネアと同じ立場にあるということ。
すなわち、未来からタイムスリップしたということ。
そう考えると、イリュネアの『しわ寄せ』発言にも納得できるものがある。
〝時の魔本〟を使った際、何らかのトラブルが起きたのだとしたら……。〝ハルモニア〟がタイムスリップしたことも、〝リディアナ・ニューアーク〟として転生したことも説明がつく。
「じゃあ、〝誓約のクロニクル〟って……何?」
『しわ寄せ』の産物ではないことは確か。
記憶が混濁していようとも、編集者という仕事をしていたことも、はるかに進んだ文明の中で生活していたことも、きちんと覚えている。
決して、造り物の記憶ではない。
だが、それもイリュネアはすべて知っている。
〝誓約のクロニクル〟が一体何なのか。〝ハルモニア〟という呼び名は何なのか。未来で一体何が起こったのか。なぜリディアナが殺されるようなことになったのか。
彼女に聞けば、一切合切答えてくれるだろう。
それができないのは……。
「怖い……」
ベッドの上で、膝を抱えて、うずくまる。
見たくない。聞きたくない。知りたくない。
頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなったところで……。
軽いチャイムの音が、部屋に鳴り響いた。
「……あれ、イリュネア」
「よう」
「まだ……。時間じゃないわよね?」
時刻は午前七時半。部活の朝練が始まる頃合いではあるが、一時間目の授業はおろか、ホームルームも一時間ほどある。
「フン……。ヒッデェ格好だな」
「へ……?」
扉の近くにある姿見で、今の格好を確認する。
〝リディアナ・ニューアーク〟が美人で可愛らしいのは変わらない。
ただ、けば立つパジャマ姿のままであること、髪の毛も整えていないこと、何よりひどく落ち込んだ顔つきであることを自分の目で見れば……人前に出てはならないのは明白だった。
「ご、ごめんなさい。ちょっと待ってて……」
「いーよ。想定はしてたし」
「え?」
「調理実習ン時からずっと様子がおかしかったからな。周りは気づいちゃいなかったが」
「そう、だったかしら?」
「とりあえず、コーヒー飲もうぜ。アンタの好きなの、飲ましてくれよ」
「でも、着替えて……」
「そのままでいいだろ」
遠慮なくずかずかと入ってくるイリュネアに、リディアナは困惑してばかりだった。
ただ、〝魔王時代〟を彷彿とさせる勝気な顔を目にして、ホッとしたのも事実であり……素直にイリュネアを招き入れた。
〝オースティン国際学園〟は身分ある生徒たちの集まりであり、寮の部屋の質ももちろん高い。
室内は広く、冷暖房完備。机や本棚やベッドといった調度品はもちろん、来客用のソファと丸テーブルも備え付け。そのどれもが見栄えが良く、高級ホテルよりも快適。
とはいえ、寮は寮。
リビングと寝室で別けられるようなことはなく、一室のみ。
仲がいいとはいえ、人がいる前で堂々と着替えるようなことはできず……イリュネアをソファに案内した。
それから、その要望通りにコーヒーを淹れる。
魔紋ケトルでお湯を沸かし、その間にエリアス産のコーヒー豆を挽く。適量をミルに入れ込んで、ハンドルを回す。
ごり、ごり、という心地のいい振動が手のひらに伝わる。一度回すごとに気持ちが落ち着いていく。
挽き終わったときには、寝起きよりも幾分すっきりしていた。
ふう、と一息ついて、コーヒーサーバーとドリッパーを用意。
ドリッパーにフィルターをセットして、挽いたコーヒーを入れる。それからケトルのお湯を注いでいき、ぷくぷくと膨らむさまを楽しんだ。
「……思ったより長ェのな」
「ふふ、そんなこと言わないの。台無しよ?」
「私にゃインスタントのが性に合う」
「かもね」
二人分のカップをもって、ソファに座る。
リディアナはそのままブラックで、イリュネアはコーヒーフレッシュを入れて、一口味わう。
「で? 何を悩んでんだ?」
「あら。コーヒーの感想は無しかしら?」
「うまいよ。決まってんだろ」
「ふふ……」
コーヒーの苦みに集中し、苦い言葉を中和しながら、頭の中を整理する。
「あなた、言ったわよね。お前は何だ、って」
「……おう」
「その答えを、今朝知ったわ。夢で、私は――」
「待った。言うなよ。聞かれる」
「……それ。前にも言ってたけど?」
「言葉に気をつけろってこった。仮に今は〝組織〟としておくが……ヤツらはそういうのを見つけンのが得意なんだ。アンタの名前は粛清対象……正すべき〝歪み〟だからな」
組織。粛清。歪み。
ずいぶんと物騒な言葉を聞いても、いまひとつピンとこない。
イリュネアの緊張感は理解している。〝ハルモニア〟という名が危険をはらむことも分かった。
〝私〟はその理由すらも把握しているはずだが……やはり思い出すことはできなかった。
「だがまあ、大体状況は掴めた。記憶の大半を失ってるってとこか。つうか……封じ込めてるって感じだろうな」
「封じ込めてる……? 誰が?」
「アンタ自身だ。夢として思い出すこともあるんだろうが、それを起点として別の記憶を引っ張り出すこともない。封印が一時的に緩んだ……って考えるべきだろうな」
「なんで、そんなこと……」
「それァ……あぁ……言えねぇなァ。どう言葉を取り繕っても、〝組織〟の粛清に引っかかる」
「紙に書いてもダメ?」
「ダメだ。つか、もう目をつけられてる状況だかんな。こうして話してるのも、わりかし危ねェんだよ」
「なら、どうして?」
「話をするってのは気がまぎれるもんだからな。どんだけ強ェヤツでも、メンタル的なダメージってのは無視できねェの。アンタは、そういうのを抱え込むタイプだからよ」
「……ふふ」
「……なんだよ」
「だから来てくれたんだ、って思って」
「ケッ! コーヒー飲んだら食堂行くぞ。腹減った」
「はいはい」
結局聞きたいことは聞けなかった。イリュネアが意図をくみ取って話を進めてくれただけで、リディアナは受け身になっていた。ベッドの上で膝を抱えてうずくまっていても同じことだったろう。
それも、過去の〝ハルモニア〟について知るどころか、封印だの組織だの、かえって謎が深まってしまった。
だがそれでも、気分は明るかった。
それもこれも、イリュネアがいるおかげ。
彼女がはっきりとした態度で寄り添ってくれたからこそ……自分が抱えていたものが何でもないことのように思えた。
「ありがとう、イリュネア」
「まだ何もしてねェが……。受け取っておこう」
〝魔王〟らしい尊大な態度に、リディアナは心の底から笑うことができた。




