第七十話 俺の幸せは知っている
喫茶店を出る。
「キスはしたいはまだわかるけど、セックスしたいはなんかこう……」
自転車を漕ぎながらそんなことを呟く。そういう欲をあいつにぶつけるのは何か違うような。いや、好きなんだから違うわけではない。でも何か引っかかる。その何かがわからない。ブレーキを握る。キキーッと音を立てて自転車が止まる。
「菅原の返事を聞く前に一旦考えよう。その何かが何か整理しよう」
小さな公園のベンチの横に自転車を停めて腰を下ろすと、足元に鳩が寄ってくる。
「餌なんかねぇよ。来んな!あっち行け!」
通じるわけがない。鳩だし。何をやってんだ俺は。そうだ、考えようと思ったんだ。何だっけ。あー、セックスの話か。正直、好き=セックスという感覚が俺にはない。セックスっつーのは、好きよりももっと手前にあるものというのが近い気がする。“俺が関係を持った女たちと菅原は違う!”と言うのも何か違う気がする。いや、違うけど。俺は女たちにとんでもない秘密を隠していた。陰陽師なのに見えない、祓えない。もし、俺があいつらにそれを言ったら受け入れたのか?俺が勝手に受け入れられないと思っていただけなのか?でも、少なくとも俺を週刊誌に売った女たちはそんなことを明かしたら得意げにバラしたかもしれない。いや、そもそもこうなったのは俺が一人一人を雑に扱い、傷つけたからだ。もっと向き合っていたら、そもそも色んな女に手を出さず、傷つけず、誰か一人と向き合っていたらこんなことにはならなかったのかもしれない。
「でも……」
俺はそう呟いた。鳩は相変わらず土を突いている。
「おい、その土の中に何か食うもんがあんのか?」
そう鳩に尋ねる。当たり前に返事はない。
でも、そのたった一人が菅原じゃなければ俺は嫌だ。だって菅原は最初から知っていた。でも待てよ。菅原は最初に俺のことを親父から聞いてどう思ったんだ?見えない、祓えないと聞いて。
「それはなんか、聞かないとダメな気がする……」
立ち上がり自転車に跨ってペダルを一漕ぎすると、鳩が驚いたようにバサバサと飛び立った。
自転車を返却し、マンションに戻る。菅原の部屋の前、呼吸を整える。
「……まずは謝る。逃げたこと。次に、俺のことを最初に聞いてどう思ったか聞く。その後に返事を聞く。よし!」
咳払いをして、インターホンを押した。
しばらく待つが出てこない。
「怒ってんのか?あいつ」
もう一度インターホンを押したが、菅原は出てこなかった。
「出かけてんのか?」
一旦部屋に戻り、菅原に電話をかける。
「……ただいま、電話に出ることができません。留守番電話――」
「は?何で出ねぇんだよ。マネージャーのくせによぉ。何をやってんだ、あいつは」
まさか、まさか俺に何も言わずに出て行った?いや、昨日の今日でそれはないか。そもそもあいつはそんなことをするヤツじゃない。
もう一度電話をかけるが、同じだった。不安だ。嫌な予感がする。
「とりあえず部屋を掃除しよう」
意味もなく部屋を掃除する。もしかしたらこの部屋を売るかもしれないし。不要なものは捨てるか売って整理しておこうと思った。というか、この部屋を売ったらどこに住もう。菅原はきっとあの寺の近くに引っ越すんじゃないかと思う。寺を買う金が貯まるまで。海の近くってことか。あいつ、海とか入るのか?それも楽しそうだな。菅原、魚好きだし。漁港が近くにあるって言ってたし、きっとこっちより魚が美味いと思う。あいつが俺をマネージャーとして雇ってくれるなら、魚料理とか作ってやりたい。作ったことねぇけど。
「魚料理って何があるっけ」
ソファに寝転がり、魚料理を調べる。
「焼き魚。これはいつも食ってるよな。煮魚。あぁ、煮魚ね。あとは、アクアパッツァ?あぁ、食ったことある気がする。菅原は食ったことなさそうだな……そうだ。今作ってあいつに食わせるってのはどうだ?アクアパッツァ。いけんだろ」
ソファからガバッと起き上がり、部屋を出る。また自転車を借り、ペダルを漕いだ。
最初に向かったのはホームセンター。フライパンを買おうと思った。
「えーっと、蓋付き?蓋付きね。はいはい、理解、理解」
次に、スーパーに行き材料を買う。
「鯛?鯛……鯛!?」
鯛ってどれだよ。どいつが鯛だよ。
「あの、すいません。鯛ってありますか?」
「あ、ちょうど今出すところで。少々お待ちください」
「あ、はい。あざす」
危ねぇ。諦めて別の魚にするとこだった。
無事に鯛をゲットし、その他の材料を選びセルフレジに並ぶ。
「会計、一万近い……白ワインが高いのか?食いにいった方が安いし早いんじゃねぇか?」
ブツブツと呟きながら、また自転車を走らせる。
「こんなんじゃ、あっという間に金が無くなるかもな。マジで働かねぇとヤバイかもしれねぇ」
家に着き、さっそく調理に取り掛かる。
「やべぇ、マジの魚じゃん。えーっと、下処理はプロに任せる……は!?プロって誰だよ。みんな家にプロがいんのか!?って、は!?スーパーで下処理してもらえんのかよ。知らなかった……」
動画を見ながら下処理をするが、せっかく買った鯛がボロボロになってしまった。
「でもこういうのは愛情って言うしな」
ようやく魚と野菜を煮込む頃にはもう数時間経っていた。
「こんなんじゃ一日中料理することになるぞ!俺は菅原に朝昼晩、飯を作りたいのに」
こんなんじゃダメだ。いや、一人で作るのは初めてなんだからこんなもんだろう。初めから上手な人はいない。いるかもしれないけど。菅原だってきっと寺で習ってきたんだろう。
「あいつ、上京してから誰かに飯を作ってもらうことなんてなかっただろうな」
部屋で一人、飯を食う菅原の姿が浮かぶ。育ての親が死んで、どれほど心細かっただろう。母親と連絡が付かなくなって、奨学金とバイトで稼いだ金で大学に行って。どれだけ大変だっただろう。
「俺が、これからは俺が」
でも、菅原がそれを望んでいるかどうかわからない。一人で生きたいのかもしれない。今までだってそうしてきたから。フライパンの中、煮込まれる魚を見て気づく。白米がないことに。
「やべぇ。つーか、米も炊飯器もねぇ。スーパーにチンするやつがあるか。魚はもう火止めて大丈夫か?」
マンションを出て自転車を借りようと公園に向かう途中で思う。
「やっぱり自転車が必要だな」
そのまま歩いて自転車屋に向かう。
「すみません。自転車が欲しくて」
普通のママチャリを買った。防犯登録とか色々な手続きで一時間くらいかかった。でも、俺の自転車だ。俺だけの。
スーパーに向かい、レンジでチンするタイプの白米を買い家に戻る。
「これで準備はばっちりだ」
菅原に電話をかけるが、やっぱり出ない。
「なんで出ねぇんだ!俺がせっかく作ったのに」
いや、別に頼まれていない。俺が勝手に作った。でも食べてほしい。菅原に。菅原のために作ったから。
「魚料理作ったから食べてほしい。俺の部屋に来てくれ。何時になってもいいから。魚が腐る前に……っと」
そんなメッセージを送り、ソファに寝転がる。
菅原は喜んでくれるだろうか。わからない。俺だったら泣いて喜ぶ。
ふと思う、今までだって料理を作ってくれた女はいた。俺が来るからって。その約束をドタキャンしたこともあった。どんな気持ちだっただろう。今ならわかる。それがどれだけひどいことか。
「俺、最低だな」
色々な人を傷つけた。その事実は、もう変えることはできない。一人一人に謝ろうにも、連絡先を全部消してしまった。
こんな俺が菅原を好きになっていいのだろうか。付き合えたとして、幸せにできるのだろうか。というか、あいつの幸せの定義ってなんだ。それすらもわからない。でも、そんなの他人が知ることでもない気がする。俺の幸せは、菅原と飯を食うこと。あいつの横にいること。菅原の幸せはわからない。でも、俺の幸せは知っている。そんなことを考えながら、ソファの上、目を閉じた。




