第六十八話 ダサいのも俺
「はぁ、よく寝たよく寝た」
菅原が目を覚ます。
「あ、紫門さん。まだいたんですか」
目を擦り起き上がる菅原。
「まだいる。まだ。つーか、ソファ買ったんだ」
「もらったんです。店長がくれました。店長、あんまり家にいないし、ソファに座ると腰が痛くなるからって」
「腰?前に言ってなかったっけ?菅原が祓ったおかげで腰が痛くなくなったって」
「あぁ。肝試しに行った時に連れて帰ってきたやつを祓いました。店長の腰にしがみついてて。でも、元々ヘルニアだったらしくて。それはさすがに治せませんよ。私は整形外科医ではないのでね」
「そうか……菅原、これ書いた。履歴書」
「履歴書?」
菅原にさっき書いた履歴書を渡す。
「面接してくれ、今」
「今?」
「そうだ。今」
「急すぎませんか?あの、色々あるんですよ。雇うっていうのは。そう簡単にできることじゃないんです。まず、自分の色々だって済んでないのに。今は副業ですけど、マネージャーを辞めるなら個人事業主にならないといけないし……」
「そういうのを、そういうのを俺とやれって言ってんだよ」
「どうしてそんなに偉そうなんですか?」
「は!?」
「そう簡単じゃないんですよ!お給料だって、いつ払えるようになるかわからない。そんな状況で雇うことはできません」
「わかってる。俺、バイトしようと思ってる。この部屋とか、株とか売ったら金ができるし、遺産もあるけど。でも、菅原が安定するまでは俺も働く」
「そういうことを言ってるんじゃない!私の夢のために、あなたの人生を背負えないって言っているんです」
「違う。背負わせたいんじゃない。違うんだ、菅原。背負うんじゃない。二人でさ、二人でやろうって話だ。俺たちはさくらんぼって言っただろ。本気で雇うのは今すぐじゃなくていい。先になっても構わない。二人で叶えようって話」
「私の夢なんですよ、これは。あなたの夢じゃない」
「ここ、ここを見てくれ」
「どこを見ろっていうんですか!」
「履歴書。志望動機のところ」
「志望動機……菅原が欲しい物を見たいから……」
「意味がわからない」
「意味がわからない」
菅原と俺の声が重なる。
「思った通りだ。絶対に言うと思った」
そう言って笑うと、菅原は俺を睨みつけた。
「意味がわかりません。私が欲しい物を見たいからって。どういう意味ですか?」
「俺の夢はそれなんだよ」
「ますます意味がわからない」
菅原が座るソファを指差す。
「これとか」
「ソファが何ですか!?」
「ずっと欲しいって言ってただろ」
「言ってましたけど!?」
「どうして欲しいと思った?」
「眠りたかったんですよ。ソファで。寺にはソファがなかったし、上京してからもソファを置くスペースも、買うお金もなくて。それで、紫門さんの部屋のソファに座ったらすごくフカフカで。気持ち良くて。それで欲しいと思ったんです。ベッドじゃなくて、ソファで眠ってみたかった。最高じゃないですか、そんなの」
そう言って、俺を見る菅原。
「そういうのが聞きたい。俺は。ずっと。これから先も」
「なぜ?」
「なんでだろうな」
「そういう小さいことを叶えてさ……」
「小さくありませんけど!?」
「え?あぁ、はいはい」
「あなたにとっては小さい夢に見えるかもしれませんけど、私にとってはバカデカい夢でしたよ!店長がこのソファを譲ってくれるって言った時だってすごく悩みました。だって、本当は……」
「本当は?」
「本当は……合皮じゃないやつが……よかった……革っぽいやつじゃなくて、布のやつ……紫門さんのソファみたいに、コーデュロイのやつ……」
もう無理だった。もう。
「菅原、菅原。あのさ。あの、俺、お前が好きだ」
「はい?」
「俺、お前が好きなんだよ。愛しい。付き合いたい。一緒にいたい。離れたくない。お前が俺の見えないところで別の人生を歩むのが耐えられない」
全部、全部出た。全部出てしまった。
「……はい?」
しかし、伝わっていない。でもこれが菅原だ。これが菅原だった。
「菅原が俺のことをどう思っているかはわからない。俺は俺の気持ちしかわからない」
「……はい?」
「だから俺の気持ちを伝える。俺はお前が好きだ。愛しい。付き合いたい。一緒にいたい。離れたくない。お前が俺の見えないところで別の人生を歩むことが耐えられない!」
「リピート再生?」
「リピートでもなんでもいい。だから俺はお前に付いていく。菅原、俺と一緒に夢をかなえよう!」
「私の気持ちとかは無視ってことですか?」
「菅原の、気持ち……?」
「私にはあなたを拒否する権利もないと?」
「俺を、拒否する権利……?」
「決定事項みたいに言っているじゃないですか。私と夢を叶えることを」
「俺は決めたから」
「私はまだ何も言ってません」
「聞きたくない!聞きたくない!聞きたくない!」
そう叫んで、俺は菅原の部屋から逃げ出した。自分の部屋のドアを閉める。
「待って俺、菅原のこと好きだったんだ」
玄関に座り込む。
「つーか、ヤバイな。俺、逃げちまった。菅原の返事が怖くて。ダサい。ダサすぎる……終わった……」
もう一度、菅原の元に戻るか?でも怖い。見たか?あの感じ。「私にはあなたを拒否する権利もないと?」って。告白してそんな言葉が返ってくるって。終わってる。多分終わってんだ。
「あー、終わったぁ」
そのまま廊下に横たわった。フローリングが冷たくて心地いい。完全に終わっているのに、なぜか心は澄んでいる。ずっとここにあったモヤモヤが晴れた。俺は、菅原が好きだった。抱きしめたいも、一緒にいたいも、俺の見えないところで菅原が別の人生を歩むのが耐えられないのも、好きだったから。ようやくそれに気づいた。
「あー、マジで好き」
何を言ってんだ、俺は。もうほとんどフラれているのに。
というか、別に付き合えなくてもいいのかもしれない。あいつの横で、あいつのマネージャーとして生きられれば。
いや、無理だ。そんなのは無理だ。もし、菅原が別の男と付き合ったら?俺はマネージャーとして、それを横で見ていられるのか?
「つーか、マネージャーすらも断られたら、俺、どうしたらいい?」
返事はない。当たり前だ。だってこの部屋には俺しかいない。いや、本当に一人なのだろうか。店長みたいに、何かが腰にしがみついていたら。鳥肌がブワッと立つ。怖い。怖すぎる。菅原は怖くないのか?嗣御もだけど。あいつら、怖くねぇのか。
スマホをポケットから取り出し、嗣御に電話をかける。
「……もしもし」
「あ、嗣御?聞きたいことがあんだけど」
「は?なんだよ」
「あのさ、お前って見えるじゃん?怨霊とか。やっぱ怖いの?」
「……は?何を言ってんだよお前は。頭がおかしいのか?」
「いや、だって俺は見えないからわかんないだろ。怖いのかなと思って。菅原がさ、祓ったやつをいつも絵にして見せてくれて。それを見ると結構グロかったりしてさ。あんなのが見えているんだとしたら怖くね?と思って」
「……正直、怖い。俺、イケメンだろ?だから、女の霊とかそういうのに憑りつかれそうになることもある。今は祓えるからいいけど、昔はかなり困ってた」
「うわぁ……それはヤベェな。えっ、じゃあ菅原も男の霊に憑りつかれるってことか?」
「それは知らねぇよ。でもまぁ、あいつは容赦ねぇからそういうやつらも近づかねぇだろ」
「確かに、確かにそうだ。菅原は強いしな」
「つーか、それを知ってどうする?」
「別にどうってことはないけど。ただ知りたかった。菅原と嗣御がどんな世界を見ているのか少し気になった」
「……よくそんなふうに言えるな。視えないことを。恥がないっつーか」
「昔はあった。いや最近まであった。でも今はどうでもいいっつーか。俺は見えないし祓えないけど、俺なんだって。俺さ、さっき菅原に告ったんだ。好きって言った。俺、菅原が好きだったんだ」
「……は?そんなことよく俺に言えるな。つーか、今さら気づいたのかよ。そんで?菅原の返事は?」
「怖くて聞く前に逃げた」
「ダサ……」
「ダサいよな。でも、ダサいのも俺なんだよ。誇らしささえある」
「……へぇ。つーかお前、俺のこと恨んでねぇの?」
「恨んでる。でも、俺もお前も同じだって思った。だからさ、嗣御。御影家をお前にやるよ。俺は見えないし、祓えない。お前は見えるし、祓える。最初からお前がやるべきだったんだ」
「お前はどうすんだよ。お前は」
「俺は菅原のマネージャーになる。なりたい。拒否される可能性大だけど」
「マネージャーって何の?」
「あいつ、漫画を描いてんだ。それがさ、本になるんだ。だから俺がマネージャーになって、身の回りの世話をする。あいつが漫画に集中できるように」
「……へぇ」
「だから、やることはある。今のところ無いに等しいけど、ある」
「お前の母親はどうする?」
「それはわからない。母さんがどうしたいのか、聞くしかない」
「……わかった。あの、紫門。悪かった。ごめん。マジで。こんなやり方して」
「謝ってんじゃねぇよ!俺はもう街も歩けないかもしれないんだぞ。指を差されて、下半身が呪われてるとか言われるかもしれない。わかってんのか?最後まで悪役でいろよ。でもな、お前が思ってるほど簡単じゃねぇからな、陰陽師は。でも、応援してる。弟だし」
電話が切れる。
何も決まっていないのに、嗣御に御影家を譲ってしまった。どうやってあいつに譲るのかもわからない。譲れるかどうかもわからない。何も決まっていない。自分のことも、母さんのことも。
でもようやく、御影家という大きな看板を下ろせたような気がした。




