第六十七話 この部屋の中にすべてあった
『愛おしい』
俺は何を思った?愛おしいって何だっけ。
スマホを取り出し、調べる。
「愛おしいとは……は?愛おしいだけじゃなくて、愛しいもあんのかよ。愛しいは人に対して使うのか。恋しさや親愛。愛おしいは、人だけじゃなくてペットとかそういうのも含むと。へぇ。日本語っつーのは難しいな。だとしたら、菅原は人だから愛しいか。まぁ、愛おしいも人を含むから間違ってはねぇけど」
そんなことをブツブツと呟きながら俺は立ち上がった。
キッチンに向かい、さっき使った食器を洗う。
「洗剤は……これか。スポンジはどっちだ?これあれだな。どっちかはシンクを洗うやつだな。間違えたらあいつ怒るか?」
一か八か、ピンクのスポンジを手に取る。多分こっちだろ。左側にあるし。
食器を洗い終え、布巾で拭く。
「どこに片付けるかわかんねぇけど、多分この辺だろ」
カチャカチャと音を立て、食器をしまう。
やることがなくなった。
もう何もやることがない。部屋は片付いている。
きっと菅原は、俺がマネージャーにならなくても、一人でやっていけると思う。むしろ俺が足を引っ張るかもしれない。それでも俺は菅原のマネージャーになりたい。
眠る菅原の肩を揺する。
「菅原、菅原……」
「……はい?何ですか……?」
「履歴書とかってあったりする?」
「……履歴書?あそこの引き出しのどこかに入っています。多分……」
そう言って菅原はまた眠りについた。
疲れてたんだな。こいつ、俺のためにずっと駆け回ってた。漫画も描いて、バイトもして。やっぱり、やっぱり愛しい。
菅原が言った引き出しを開ける。ガサガサと漁ると、履歴書が出てきた。
「ペン、ペン……あった」
机の上に履歴書を広げる。
「……名前、御影紫門。生年月日、住所……」
一つ一つ、丁寧に書いた。多分、人生で一番丁寧に字を書いた。
「志望動機……」
ソファで眠る菅原を見つめる。
つーか菅原、ソファ買ったんだ。今さら気づいた。あれだけ節約してたのに。もしかして、本になることが決まってほんの少し心に余裕ができたとか?
それで買うのがソファって。どんだけ欲しかったんだよ。俺のソファ、気に入ってたしな。
「志望動機、菅原が欲しい物を見たいから」
そう呟きながら履歴書に書き込む。
「意味がわからないとか言われそうだな。でも今はこれしか浮かばねぇ」
菅原が欲しい物を見たい。物じゃなくてもいい。見たい景色、見たい未来。そういうのを俺も見たい。
じゃあ、俺の見たい景色は何だ?見たい未来は?
「もう見えてんだよなぁ……」
深いため息をつく。
もう見えていた。俺の見たい景色も、未来も、今この部屋にあった。
それに気づいてしまった。
「だからって、どうすればいい?」
誰に聞いているのかもわからない。自分なのか、菅原なのか。
とりあえず、この履歴書を菅原に渡して面接を受ける。それも意味わかんねぇけど。菅原がそう言うなら仕方ない。
「あぁ、もうわかんねぇ」
もう一度、スマホで愛しいを調べる。
「つーか、愛って入ってんだから愛してるだっておんなじだろ。いや、さすがに愛してるはなんかこう、飛躍しすぎというか……ん?好きと愛してるの違い……好きは見返りを求める。愛してるは見返りを求めない。好きは自分中心の気持ち、愛してるは相手本位の意思や責任……」
俺はどっちなんだ?俺は見返りを求めているのか?
「……つーか、好きって何?」
好きって何だ?好きって。好きっつーのは、付き合いたいってことだろ。俺が?俺が菅原と付き合いたい?
「俺が!?」
思わず自分の口を塞ぐ。
菅原が起きる。危ない。
俺が菅原と一緒にいたいのも、俺の知らないところで菅原が別の未来を歩むのが耐えられないのも、全部、付き合いたいってことなのか?
「いや、何か違う気がする……いや、違くねぇだろ!」
また叫んでしまった。菅原が寝返りを打つ。
ヤバい、これは誰かに、誰かに聞かなければならない。
スマホを手に取り、友人に電話をかける。
「もしもーし?」
「もしもし。俺だ。あの、聞いてくれ。俺って菅原と付き合いたい?」
「は?何を言ってんだよ。ひかりっちと付き合いたい?どういうこと」
「俺、菅原が愛しい」
「はぁ?」
「俺、菅原が愛しくて仕方がない。菅原とずっと一緒にいたい。菅原が俺の知らないところで別の未来を歩むのが耐えられない」
「……紫門、よく聞け」
「……はい」
「知らねぇよ!惚気てんじゃねぇよ。はいはい、お幸せに~。マジで心配して損したわ。じゃあ、また」
電話が切れる。惚気?お幸せに?こいつは何を言っている?
今度は店長に電話をかける。
「……もしもし?紫門くん、ひかりくんとは会えた?いやもう心配してたんだよ」
「店長、あの、俺、菅原が愛しくて仕方がなくて」
「……何だって!?」
「俺って、菅原と付き合いたいんですか?」
「……何だって!?」
「わからないんです。俺、菅原がいない生活に耐えられない。あいつが横にいないと、もう無理で……それでわかんなくて、店長に聞こうと思って」
「なるほどね」
「教えてください。店長、あんたしかいない」
「紫門くん、それだけは教えられない。なぜなら僕は女性と付き合った経験がほとんどない」
「……すみませんでした」
「いや、いいんだよ。いい。でもね、それは誰に聞いてもわからないと思うよ。だって、紫門くんの気持ちは君にしかわからないだろう」
「そうだけど。でもじゃあ、どうしたら?菅原に言って気持ち悪いとか言われたら?」
「そんなのわからないじゃないか」
「え!?じゃあ、菅原も俺のことが?」
「いや、うーん、それは、うーん、えっと」
「……そうっすよね」
そうだ。菅原が俺のことを好きなわけがない。
「いや、わからないんだ。違うとも言い切れないような。僕はひかりくんではない。彼女の気持ちはわからない」
「じゃあやっぱり、本人に聞くしかないと?」
「いや、聞くんじゃない。まずは君の気持ちを伝えないと」
「俺の気持ち?」
「そうそう。紫門くんの気持ちだよ。さっき僕に言ったことをきちんと言うんだ」
「さっき言ったこと?」
「愛しくて仕方ないって言っただろ?ひかりくんがいない生活が耐えられないって」
「いや、それは言いました。菅原がいないのは耐えられないって」
「えぇ!?そ、それはもう告白なのでは?」
「告白……告白ってことは、やっぱり俺は菅原と付き合いたいってこと?」
「堂々巡りだね。堂々巡りだよ。紫門くん、とにかく言うんだ。言うんだよ。言うしかないだろう!伝わらない。伝わらないんだよ!言葉にしないとぉ!あ、僕今すごくカッコいいこと言ったよね?」
「言葉にする……わかりました」
「結果は教えてね!待ってるから!」
「はい……」
電話を切る。結果って何だ?結果って。
菅原に俺の気持ちを伝えて、その結果があるってことか?
マネージャーだったらいいけど、付き合うのはダメとか?
それは今と同じだ。今の関係のままってことだ。
じゃあ、マネージャーも付き合うのもどっちもいいは?
それはもう天国だ。いや、菅原は地獄の方が好きだからな。楽園?
待てよ。だとしたら、マネージャーもダメ、付き合うのもダメという可能性もあるってことか?
「終わった……もしそうなったら俺はどうなる?どっちかしかダメなのか?俺は欲張りすぎなのか?いや、ちょっと待て。そもそも付き合いたいって何?」
床に寝転がり、天井を見つめる。
やっぱり何もわからない。
でも、この部屋の中にすべてがあった。




