第六十五話 可愛くて仕方ねぇ
「菅原には何が見えてる?」
「何が?何がとは?私には背負う看板なんてありませんが」
「あるだろ。寺が。あの寺がある。あの寺を背負って生きている。もしそれがないなら?それがないお前は何を見る?」
「随分と哲学的な問いですね」
「お前が先に言ったんだろ」
「そうですね。でも、自分のことになるとさっぱりわからない。まぁ、私は私としか言いようがないですね。私は私なんですよ。紫門さんも。御影家があろうがなかろうが、紫門さんは紫門さんだということです」
「それがわからねぇんだよ。俺は俺って。そもそも俺ってなんだよ」
「人間?」
「ますますわかんねぇよ。ますます……つーか、腹減った。腹が減ったんだよ、俺は」
「ごはん、食べますか」
「何か頼むか……」
スマホを取り出すと、菅原が俺のスマホを掴む。
「一緒に作りましょう。浮腫を取るなら自炊が一番ですよ」
菅原の部屋、二人でキッチンに並ぶ。
「猫の手ですよ。猫の手。ちょっと!危ない!指を失いますよ!」
「わかってる。わかってんだよ!わかってるのに、なんかこう、上手くいかねぇんだよ」
「最初から上手くできる人はいませんよ。とにかく指を切らない。それだけです。ほら!猫の手!」
「もっと優しく教えろよ!」
「キュウリを切るだけですよ。どう優しく教えればいいんですか」
「優しくさぁ、優しくあれよぉ」
菅原がだし巻き卵を作るのを後ろから眺める。
「やってみます?」
「え?あぁ、多分無理だけど」
四角いフライパンの柄を握る。
「そう、上手上手。上手ですよ。くるくると巻いて。そうそう」
「俺、だし巻き卵の才能あるんじゃね?」
「……そうですね」
「呆れてんじゃねぇよ」
飯が出来上がり、テーブルに並べる。
「めちゃくちゃ美味そう」
「いただきます」
菅原が手を合わせる。俺も慌てて手を合わせる。
美味い。何よりも美味い。菅原と作った飯。また一つ、二人でしたことが増えた。
でも、ふと思う。俺が御影家から追い出されたら、菅原も仕事を失う。こいつはどうするつもりなんだろう。
というか、そんなのは耐えられない。こいつがいないことが耐えられない。こいつが俺の見えないところで別の人生を歩むのが耐えられない。
じゃあ、みんなに謝って御影家に残る?嗣御に頭を下げて雇ってもらう?
いや、どうして俺が謝る?百歩譲って、女たちに謝るのはわかる。
“傷つけてごめん”って。でも、その他の人間に謝る必要ってあるのか。菅原のためなら、それができる。でも、菅原抜きで俺だけのこととして考えたら、謝りたくない。嗣御に頭を下げたくない。俺にだってプライドがある。でも、菅原が仕事を失うなら、菅原がいなくなるくらいなら、俺はプライドを捨て、頭を下げられるかもしれない。
「菅原、あのさ。お前、この仕事続けたいのか?」
菅原が顔を上げる。
「お前が続けたいなら、俺はみんなに頭を下げようと思う」
菅原が箸を置いた。
「私のためですか?それは」
「そうだ。だって、お前から仕事を奪うわけにはいかないだろ。お前は何も悪くない。寺を買い戻すためには金が必要だろ」
「私のために、みんなに頭を下げると?」
「そうだ。嗣御にも頭を下げて雇ってもらう……」
「そ、そんなの、嗣御さんと同じですよ。自分が御影家に縋りたいだけでしょ!私のためと言えば、自分のプライドは守られる!そうでしょう!」
「は!?嗣御と一緒?お前、最低だな!俺はあいつに嵌められたんだぞ!そんなヤツと同じだって言うのか!?」
「そういうことを言ってるんじゃない!私のために頭を下げるって。私抜きで考えてください!」
「菅原抜きで?お前抜きで考えられねぇから言ってんだろ!」
「どうして?どうしてですか?」
どうして。耐えられないから。菅原がこの先、俺の隣にいないことが。俺の知らないところで別の人生を歩むことが。
「耐えられねぇんだよ」
「何が耐えられないんですか!」
「お前がいないことがだよ。お前がいねぇと、俺は何もできねぇ」
「だからみんなに、嗣御さんに頭を下げると?」
「そうだ。これからもお前が俺のマネージャーとしてやっていけるように」
「それが私のためだと?」
「……いや、俺のためかもしれない」
「頭を下げられるんですか?あなたのことを週刊誌に売るような人たちに、あなたから御影家を奪った弟に、あなたは頭を下げられるんですか?」
「……下げられない。下げたくない。でも、でもじゃあ、どうすればいいんだよ。俺はまだいい。お前は!菅原は!」
菅原が立ち上がる。引き出しから大きな封筒を取り、俺に差し出す。
中身を出す。一冊の本。
「まだ見本誌ですけど」
「……見本誌?」
パラパラとページを捲る。
SNSに載せていたホラー漫画だ。バズったやつ。
「自分で作ったのか?これ」
首を振る菅原。
「お父様が亡くなって、紫門さんがバタバタしている時に編集者の人から声をかけられて。書籍化してみませんかって。それで、ずっと描いていたんです」
「菅原、お前……すげぇよ。すげぇ。やっぱり才能があった。俺が思った通りだ。すげぇ、すげぇよ」
思わず漫画を抱きしめた。
「紫門さんのおかげですよ」
「いや、お前の力だ。お前だけの。待て、つまり、漫画家になるってことか?」
「その本が売れれば、ですかね」
「売れるだろ。マジで面白いし」
菅原が照れたように笑う。
「……じゃあ、もう、菅原には未来がある?御影家にいなくても、仕事がある……?」
「そうなりますね。売上次第ですが」
終わった。俺が一人、家でメソメソ泣いている間に、嗣御は御影家を乗っ取り、菅原は漫画家という新しい人生を始めた。
俺は、御影家も菅原も失う。失った。
「……めちゃくちゃ嬉しい……菅原がやりたいことを見つけられて……」
「ありがとうございます」
「……でも、でも俺は、俺は何もかも失った。何も、何もない」
「そうですか?あ、そうだ。御影家も私もなくなった今、何が見えますか?」
「……何も見えない。でも俺はもう、御影家をやめたい。あそこにいる理由はない。俺には力がない。見えないし、祓えない。俺はただの人間だ。でも、でもな菅原。御影家はいらないけど、お前は必要だ」
「……」
「なぁ、菅原。俺から離れんなよ。俺のマネージャーだろ」
「今はマネージャーですけど、もうすぐ、マネージャーではなくなります」
「じゃあ、俺をマネージャーにしろよ。俺をお前のマネージャーにしろ」
「……はい?」
「お前は漫画を描け。ひたすらに。俺はそれ以外のすべてをやる。すべてだ」
「……本気で言ってるんですか?」
「本気だ。本気だよ。今までだってそうだっただろ。俺たちはそうやって始まっただろ」
「そうですけど……」
「俺は決めた。俺は御影家を捨てる。そして、菅原のマネージャーになる」
「あの、勝手すぎませんか?」
「勝手だ。でも、でも……マジで耐えられねぇんだよ。菅原、お前がいない人生なんて。お願いだ。俺を隣に置いてくれ。金もいらない」
「それは無理です。お金を払わないとか、そういうのは。やるならきちんと契約しないと」
「そう言うと思った。それでいい。見習いから始める。お前の横にいられればそれでいい」
「私を新しい御影家みたいにするのはやめてください!」
「違う。そんなんじゃない。そんなんじゃ」
「じゃあ何なんですか?どうしてそこまで私に執着するんですか?あなたはもう陰陽師じゃない。私の力は必要ない。私がいなくてももう大丈夫なはずでは?」
確かにそうだ。俺は御影家を捨てると決めた。俺はもう陰陽師である必要がない。それなのになぜ、菅原を必要としているのか。なぜ離れたくない。絆があるから?築いてきた関係があるから?それもある。でもそれだけでもないような気もする。
菅原と作っただし巻き卵を一口食べる。少し冷めてるけど美味い。
「お前と食べる飯が一番美味いから?」
「はぁ!?」
菅原が怪訝な顔でこちらを見る。
箸を置き、腕を伸ばす。
菅原の頬にそっと触れる。
やっぱり少し冷たい。
「可愛くて仕方ねぇんだよ。可愛くて……」
そう呟いた自分に少し驚いた。




