第六十三話 誰のため?
インターホンが鳴る。嗣御だ。
「はい」
菅原がエントランスの入口を開ける。
「なんであいつが来るんだよ。そもそも。俺を冷やかしに?うっうっ」
涙を流す俺に、菅原がティッシュを差し出す。
「冷やかしではないと思いますけど」
「仲良くなってんじゃねぇよ。弟だぞ、俺の」
「はぁ……」
「ため息つくなよ!俺、俺……」
床に転がり丸まって泣くことしかできない。カッコ悪いのはわかっている。でも俺はもう知っている。こんな俺になっても、菅原と俺が築いてきたものは消えないことを。
「俺たちがぁ、俺たちのぉ、絆は消えねぇからぁ。うぅ、グスグス」
「都合よく解釈しすぎでは?」
またインターホンが鳴る。
さすがに嗣御の前で泣くのは恥ずかしい。俺は立ち上がり、ティッシュで涙を拭いて鼻をかんだ。
リビングの真ん中、なぜか三人で床に座った。
「暴露するってマジで言ってるのか?」
嗣御が初めに口を開いた。
「そうだ。それが俺の使命だからだ。御影家をぶっ壊す。それが、それが俺の使命だ。使命だった!それに気づいた」
「気づきを得たそうです」
菅原が俺をチラリと見て、言葉を付け足す。
そう、俺は気づきを得た。
「はぁ……」
深いため息をついた嗣御が頭を抱える。
「こんなことになるとは思いもしなかった?少しだけダメージを与えられればよかった?見通しが甘すぎますよ」
菅原が嗣御に怒っている。
「ダメージって何?」
「自分で言ってください。ちゃんと、ちゃんと説明してください!紫門さんに」
「説明って何?」
「紫門さんはちょっと黙っていてください!」
菅原にそう言われ黙った。でも、意味がわからない。こいつらが何の話をしているのかさっぱりわからない。
嗣御が堪忍した様子で口を開いた。
「俺がリークした」
「は?」
「俺が週刊誌にお前のことをリークした」
フライパンで頭を殴られたような衝撃が走る。
「どうして?」
意味がわからない。だってこいつは、車を、時計を、そして遺産ももらった。御影家の株なんて俺よりも多く持っている。そもそも、霊力だってある。俺にはないものを持っている。それなのに、なぜ?
「……」
黙る嗣御。
「俺のこと、そんなに嫌いか?確かに俺は恵まれていたかもしれない。留学して。いや、留学させられて……」
「お前を嫌いかどうかは正直わからない」
「はぁ……」
今度は菅原がため息をつく。
「どうしてこんなことをした?俺、お前に何かしたか?最近までお前の存在すらも知らなかったんだぞ?相続で納得いかないことがあった?教えろよ」
「……親父に復讐したかった」
嗣御が消えるような声でそう呟いた。
「……復讐?親父に?死んでるのに?死んだんだぞ、親父は」
「復讐?違うでしょう!」
菅原が横から口を挟む。
「復讐だろ!」
嗣御が身を乗り出し菅原に怒鳴った。思わず菅原の腕を引っ張り、抱き寄せた。
「お前、怒鳴ってんじゃねぇよ。こいつに。近づくな。おい、わかってんのか」
「やっぱりできてんのか?お前らは」
嗣御が吐き捨てるようにそう言った。
「できてねぇよ。俺たちには絆がある。ここまで築いてきた関係があるんだよ。菅原を傷つけるヤツを俺は許さない。ただそれだけだ」
「お前も満更でもないって顔してんな」
嗣御の言葉に菅原の顔を見る。
満更でもない顔を菅原がしていることを俺は少し期待していたのかもしれない。
俺の腕の中、菅原は確実にブチギレていた。恋する乙女の顔でもない。俺に抱きしめられてこんな顔をする女を見たことがない。抱き寄せていた腕を離し、菅原を解放する。
「本当の目的を話してください。本当の。復讐とかいう、もっともらしい言い訳はやめて」
誰も何も話さない。ただ時間だけが過ぎる。
「あの……」
沈黙に耐え切れず、口を開いた。
その瞬間、菅原に睨まれ、俺はそっと口を閉じた。
突然、嗣御が沈黙を破る。
「……御影家を母親にあげたい」
意味がわからない。全く以って意味がわからない。一言一句、意味がわからない。
「御影家を、母親に、あげたい?」
嗣御の発言を声に出して繰り返すが、やっぱり意味がわからない。
「もっと詳しく!」
菅原が鬼みたいな顔でそう叫んだ。
ビクッとする嗣御。
「俺の母親は、ずっと陰で親父を支えてきた。お前の母親より先に親父に出会って。結婚できると信じていた。でもできなかった。できなかったのに、関係を終わらせることもできなかった。妾であることを自覚して生きてきた。いつ帰ってくるかわからない親父を待ちながら、俺を育てた。来るはずもない親父を待って夜中に泣く母親を、俺はずっと、ずっと見てきた」
「そ、それはわかる。そこは理解できる。でも、母親に御影家をあげたいって、どうやって?」
「俺が御影家を継ぐ。俺が。お前じゃなくて、力のある俺が」
「……は?」
「そして、母親に役職を与える」
「……は?」
わけがわからない。本気で意味がわからない。やっぱり俺はポンコツなのか?
「だからリークした。お前が御影家でやっていけなくなるように」
菅原がバカデカい咳払いをする。
「あの……嗣御さん。あなた、母親のためとか言ってますけど、自分のためですよね?」
「あ!?」
「母親のためと言えば楽ですよ。自分の欲求が、親孝行の話になりますから。そっちの方がずっと感動の物語になりますもんね」
「お前、喧嘩売ってんのか!?」
嗣御が怒鳴る。菅原を守ろうと腕を引っ張るが、振り払われる。
「喧嘩?売ってますよ!売ってますとも!自分が欲しいんですよね?御影家を。違う。御影家が欲しいんじゃない。働く場所が。自分の力が活かせる場所が欲しい。何をやってもうまくいかない。視えるし、祓える力があるのに、そんなものは一般社会では何の役にも立たない。それを活かせるものが目の前にある。だから手に入れたい。違いますか!?」
嗣御が息を呑む。
図星か。図星だったのか。
目の前で黙る嗣御を俺はただ見つめることしかできなかった。
こいつにも俺と同じくらい葛藤や苦悩があった。力があるのに、それを活かすことができない。俺とは正反対の悩みだけど、同じくらい苦しいのかもしれない。
「……そうだよ。そうだ!何が悪い!こんな力、気持ち悪いだけだろ。人には視えないものを祓えるなんて言って、誰が信じる。陰陽師という肩書きがあれば信じてもらえる。御影家という名前があれば皆信じる。そうだろ。それを欲しがって何が悪い!」
嗣御が叫ぶ。
そうだ。そうだった。菅原が母親に捨てられたのもそうだ。菅原が陰陽師として御影家に生まれていたら、きっと大事に育てられた。でも、そうではない場所に生まれた。母親に気味悪がられ、寺に預けられた。
「別に悪いなんて一言も言っていませんよ。誤魔化すのをやめろと言っているんです。というか、そもそもあなたの母親はそれを望んでいるんですか?」
「俺の母親?いや、知らない。聞いたことがない。でも、でもそうだろ。ずっと、ずっと我慢してきたんだから……」
「もしそうじゃなかったら?そんなことをあなたの母親が望んでいなかったら?そしたら、御影家を手に入れることを諦めるんですか?」
「……え?」
嗣御が不安そうな顔で菅原を見る。
「母親がいらないと言ったら、あなたは諦められるんですか?」
「それは……」
「自分の欲求だと認めた方がずっと楽ですよ。いいじゃないですか。車を売ることも、時計を売ることもできない。お父様みたいに金を作り出すこともできない。一般社会でもうまく生きられない。だったら、せっかくある力を使いたい。そう思って当然ですよ。それでいいじゃないですか。それを復讐だの、母親を救いたいだの、壮大な物語にして」
「菅原、ちょっと言い過ぎじゃないか」
菅原の肩を掴むと、また振り払われる。
「何なんだよお前。知ったような口を利きやがって。お前に何がわかるって言うんだよ。悟ってんじゃねぇよ!」
嗣御が顔を真っ赤にして怒鳴る。
「何もわからないですよ。別に悟ってもないです。人の人生を、紫門さんの人生をあなたは狂わせた。それなのに、自分は母親を救うとか言ってヒーロー気分でいるのはおかしいと思います。紫門さんには、本当のことを言わないと。そう思いませんか?プライバシーを侵害され、ネットのおもちゃにされ、周りの人間に裏切られた。それを、その事実をわかっているんですか?」
“俺は大丈夫だ”と言いそうになった。現実は、大丈夫じゃない。辛いし、苦しい。でも、俺のためにここまで怒る菅原がいる。それだけで俺は救われた。救われていた。




