第六十二話 それは消えない?
隣の住人が部屋に戻ると、菅原が俺をグイッと押して部屋の中に入ってきた。
「菅原、俺……」
「中で話しましょう。外だと迷惑になるので」
「菅原、あの、俺……」
俺を押しのけて、ズカズカとリビングに入っていく菅原。
「汚ったな!」
「菅原、俺……」
「ゴミ出しカレンダー、見てないんですか!?私が作ったやつ!こんなんじゃ、またゴキブリが出ますよ。一匹いたら何十匹もいるって何かで見ました。あいつら、髪の毛一本で何日も生きるんですから。こんなの、ゴキブリからしたらビュッフェですよ!」
そう言いながら、ゴミ袋を広げ、次々ゴミを放り込む。
「菅原、俺……」
「あ、週刊誌。読みましたか?これ、週刊誌に喋ったのが誰なのか突き止めてやろうと思ったんですけど、わかりませんでした。従業員と顧客、一人一人に聞いて回ったんですけどね」
怖。怖すぎんだろ、こいつ。一人一人に聞いて回るって。
「菅原、俺……」
菅原が顔を上げる。
「何すか?」
「俺、めっちゃ太った……」
「はぁ!?」
俺をチラリと見て、またゴミ袋にゴミを突っ込む。
「俺、めっちゃ太ってんだろ。見ろよ。顔。ヤバイだろ。終わってんだろ。俺もう終わってんだよ」
「何を言ってるんですか」
袋の口を縛り、次のゴミ袋を手に取る。
「見ろよ!ちゃんと見ろ!俺のことを!終わってんだよ、俺!」
「浮腫んでるだけでしょ!こんなにしょっぱいものばっかり食べていたらそうなりますよ!これもこれもこれも。全部しょっぱいやつでしょ!塩分の摂りすぎです。誰だってね、こんなにしょっぱいものばっかり食べていたら浮腫みますよ!」
「浮腫んでる?」
「そう!浮腫んでる!ただそれだけ。それなのに、この世の終わりみたいな顔をして」
ブツブツ文句を言いながら、部屋をどんどん片付けていく菅原。
「どうしたらいい?どうしたら元に戻る?俺、見た目だけだろ。見た目まで取り上げられたら、俺……」
「取り上げられた?自分で取り上げたんでしょう」
「は?お前、もっと優しくしろよ!こんな状況だぞ?家からも出られない。そしたら食うことしかできねぇだろ」
「そうですね」
「取り上げられた。そう思うしかねぇだろ。こんなことがなければ、俺は浮腫んでいない」
「そうですね」
「菅原、教えてくれよ。どうしたら元に戻る?」
「はぁ!?そんなの、しばらく自炊でもして健康的な飯を食って、早寝早起きして、少し身体を動かせばいいんじゃないですか!?」
「そんな当たり前のことで戻るのかよ!」
「知るかぁ!」
「何をそんなに怒ってんだよ、お前は」
「はぁ!?何回電話したと思ってるんですか!?何回ピンポンして、ドンドンしたと!?隣の人が振動でイラつくくらいドンドンしたんですよ!?それなのに、僕ちん太っちゃったとか言われたら」
「僕ちんとは言ってねぇよ」
「……」
「俺、もう全部暴露しようと思って」
「はい!?」
「もう全部言っちまおうと思ってる」
ノートパソコンを開き、菅原に画面を向ける。
「何ですかこれは」
「何って、暴露文?」
「どうして?」
「俺、思ったんだ。俺には力もない。見えないし、祓えない。それって、何か意味があるんじゃないかと思って。この家を作ってきた人間たちには力があった。先祖とか、親父とか。でも俺にはない。だからこの家をぶっ壊すために俺には力がないんじゃないかって。御影家をぶっ壊す。それが俺に与えられた使命なんじゃないかって」
「なるほど」
「でも、俺が暴露したらお前はどうなる。俺はいい。でも菅原は」
「私の心配をしている場合ではないと。その思考はかなり危険です」
「だってそうだろ」
「人間ってのは、そうやって意味付けしなければ生きられないのでしょうか」
「何を言ってんだよ、お前は」
「とりあえず嗣御さんに連絡しましょう」
「な、何でだよ!お前たちやっぱりできてんだろ。菅原、どうしてだ。お前は俺のマネージャーだろ。俺を裏切るなよ」
「何を言っているんですか。嗣御さんとできてる?あり得ません。とにかく連絡します」
菅原がスマホを手に取り、電話をかける。
「やっぱりできてる……ひどい、ひどすぎる。俺の何が悪い。俺の……」
床にヘナヘナと座り込み、ゴミを詰め込んだゴミ袋を抱きしめる。涙が頬を伝う。俺にはもう菅原しかいないのに。
「あ、もしもし。暴露するそうです。御影家をぶっ壊すとか何だとか。はい。今は泣いています。これはもう放っておいたらやりますよ。そこまで想定していなかった?はぁ。考えたらわかるでしょう。極端すぎる?そうですよ。そういう人間なんですよ。紫門さんは。というか、あなたも極端ですからね。さすが兄弟。拍手を送りたいくらいですよ」
「何を話してんだよ、あいつと……」
また涙が溢れる。菅原が電話を切る。
「今から来るみたいです」
「ここに?」
「はい。散らかっているので、私の部屋にしますか?」
「ダメだ!お前の部屋に嗣御が入ることは許されない。俺だけが入っていいからだ」
「どうしてあなたの許可がいるんですか。じゃあ片付けましょう。ほら、立って」
菅原が手を差し出す。久しぶりに差し出された手。握ることができない。だって今こいつの手を握ったら、俺は抱きしめてしまう。
「ほら、早く。来ちゃいますよ」
菅原の手を握る。あぁ、しっくりくる。
俺が立ち上がると、菅原はすぐに手を離した。よかった、離れて。じゃないと俺は。
「ゴミをまとめたら、下に捨てに行きますよ」
「誰かに見られたらどうする?昼間だぞ。俺はこんな見た目だし」
「堂々としていたらいいんですよ。どうせすぐに忘れ去られるんですから。それに、いつもの紫門さんですよ」
「いつもの?こんな顔なのに?」
「はい」
わからない。どう見てもいつもの顔じゃない。
「人間ってのは、造形だけで決まるわけじゃないでしょう」
「そんなのは綺麗事だろ。見た目でしかねぇだろ、この世界は」
「そうかもしれません。でも、私たちにはこれまでの関係があるじゃないですか。陰陽師とそのマネージャー。ちょっと浮腫んだくらいで消えるようなものじゃない」
「関係?」
「そう、関係」
「それは消えない?」
「消えませんよ」
「この先も消えないんだ。俺たちが築いてきた関係は。俺と菅原が築いてきた関係は、俺が太ったくらいじゃ、俺が御影家をぶっ壊したくらいじゃ消えないんだ!」
「これは相当きてますね。思考が極端すぎる」
菅原がブツブツと何かを呟いているが、俺はただ幸福に包まれていた。
俺と菅原には、切っても切れない関係がある。菅原はそう言った。俺たちが築いてきたもの。俺が祓うフリをして、菅原が祓う。一緒に、一緒にやってきた。その関係が俺たちにはある。そして、それは消えることはない。
「菅原、そうだよな。そうなんだよな。俺たちは、俺たちはさぁ、ずっと一緒なんだよ」
「極端すぎるんですよ。まぁでも、仕方ないか。ここまで追い詰められたら。お父様の死からあまりにも色々ありすぎましたね。ここまで追い詰められて、生きているのが奇跡なのかもしれない。よく頑張りましたね」
「俺、頑張ってる?」
「はい、よく頑張っていますよ。普通の人間ならとっくの昔に折れています。あなたは強いんですよ。素材がゴムとかなんでしょうか。折れかけてもビヨンビヨーンと戻る」
「俺、頑張ってるんだ」
やっぱり、菅原だけが俺をわかっている。
菅原に促され、ゴミ袋を両手に持つ。
エレベーターの中、同じくゴミ袋を両手に持った菅原の横顔を見つめる。
ふと思う。
「ゴムって何」
「ゴムみたいでしょう。折れそうで折れない。ビヨンビヨーンと戻ってくる」
「ビヨンビヨーン」
ビヨンビヨーンって何だ?そう聞こうと口を開きかけた。でもやめた。
菅原の横顔をもう少し眺めていたかったから。
ビヨンビヨーンが何かはわからない。
でも、菅原はたしかに俺の横にいた。




