第六十一話 俺の
またインターホンが鳴る。
ドンドンとドアを叩く音。「紫門さん!」と呼ぶ声。思わずドアに駆け寄る。
「菅原……」
ドアノブを握り、呟く。
しばらくして音が止む。ドアスコープを覗き込むが、姿は見えない。そっとドアを開けると、パタンと何かが倒れる音がして床を見る。週刊誌が落ちている。それを拾い、ドアを閉める。
「第二弾が出るって言ってたな。でもどうして俺に確認を取らない?この前みたいに」
床に座り、恐る恐る週刊誌を開く。見開きの記事。こないだよりもずっと大きい。ネットで炎上しているのを見て、これは売れると思ったのか。記事を読む。
タイトルは『何もしていない御曹司』だ。
「名門陰陽師・御影家の放蕩御曹司を支える“謎の女性マネージャー”。『紫門さんが帰国してから、現場にはいつも女性マネージャーが同行していました。依頼内容を細かく聞くのも、現場を確認するのも彼女。紫門さんはほとんど何もしていないように見えました。先代が亡くなれば当然紫門さんが継ぐものだと思ってはいました』そう話す関係者。しかし御影家の中でも、紫門氏の後継には以前から疑問の声が上がっていたそうだ。顧客からも疑問の声が上がっている。『紫門さんにお願いしたつもりでしたが、実際に話を聞いてくれたのはマネージャーらしき女性の方でした。ここだけの話ですけど、先代には紫門さんよりも跡取りに向いている人間がいるという噂も聞いたことがあるんです』……」
「何だよこれ……」
御影家の関係者って誰だよ。顧客ってどいつだよ。もしかして、もう俺に力がないことも、菅原の力のことも、嗣御のことも週刊誌にバレてるとか?
「俺が何をした?」
思わず叫ぶ。だってそうだろ。つーか何だよ。菅原が全部やってたって。俺だって話を聞いていた。俺だって。俺だってちゃんとやってただろ!!!
やっぱり誰も俺のことを見ていなかった。菅原は俺に頑張ってるって言ってた。それも嘘なのかもしれない。俺を動かすためにそう言っていただけなのかもしれない。
何かもうどうでもよくなってきた。
夜、外に出ようと思った。もうどうでもいいからだ。ベランダから外を見下ろす。配信者らしき人間はいない。記者がどこかに隠れているなら勝手に撮ればいい。どうせ終わった人間だ。
フードを深く被り、マンションを出た。
久しぶりの外だ。新鮮な空気。少し雨の匂いが残る。
しばらく歩いていると、人とすれ違う。思わず首を引っ込めて目を伏せる。
俺だとバレたら怖い。これから先、ずっとこうやって生きていくのか?フードを被って、人に怯えて。終わってる。終わってんなぁ。
コンビニに入り、飲み物と食べ物を買う。
また家までの道のりを下を向いて歩く。
マンションが見えてきた。見覚えのある車が停まっている。親父の、いや嗣御の車だ。Z4。思わず立ち止まる。笑いにきたのか?俺のこの姿を。
しかし、助手席から菅原が降りてきたのを見て吐き気が込み上げる。
菅原が頭を下げると、車が去っていく。
「菅原、お前、あいつと組むのか?」
俺がそう呟いたのに、菅原はマンションに入っていった。
しばらく呆然としていた。二人で何をしていた?俺がもう使い物にならないから嗣御と仕事するとか?それとも、あいつのことを好きになったとか?
ようやく部屋に戻った時、外はもう明るくなっていた。
ソファに横になると、涙が溢れた。
「ガキかよ、俺は……」
菅原だけは味方だと思っていた。菅原だけは。あいつだけは俺を見捨てない。根拠もなくそう信じていた。だってマネージャーだし。菅原もいないなら、マジでもうどうでもいいのかもしれない。
立ち上がり、久しぶりにカーテンを開ける。
「もういいじゃん。もう俺には何も残っていない。遺産はあるけどな」
そう呟くと、笑いが込み上げてきた。
「はは、ははは……」
全部暴露する。全部だ。俺に力がないこと。見えない、祓えない。生まれた時から。陰陽師の名家に生まれたのに、何の力もない。ずっと祓っていたのは菅原で。俺はただ「破ァッ!」って叫んでいただけ。それを暴露したらどうなる?大騒ぎだろうな。御影家も潰れる。何もかも終わる。それでいいだろ。どうせ俺で終わる運命だったんだ。この家は。碌でもないこの家は。いや、むしろそれが俺に与えられた役割だったのかもしれない。先祖が、親父が作ったレールをぶっ壊すのが俺の役割だった。
そう思うと、すべてがしっくりきた。
俺には何の力もないこと。見えない、祓えない。そのすべてが、御影家というクソみたいな家をぶっ壊すためにあった。そのために俺は生まれてきた。
かつてない高揚感だった。いや、万能感。
「とりあえず、パソコンで文章を作るか」
ノートパソコンに充電器を挿す。
「すべてを失った人間には恐れがない。俺にはもう恐れがない」
でも、菅原は?
菅原はどうなる。俺はいい。あいつの人生まで終わったらどうなる?
知るか。知るかそんなの。俺を裏切った。マネージャーなのに。あいつ、俺のこと抱きしめたのに。
またインターホンが鳴る。ドンドンとドアを叩く音。
会いたい。話したい。でも――。
もうドアに近づくこともしなかった。ただひたすらパソコンに向かい、文字を打ち続けた。
すべてを書き終え、床に寝転がる。
「人生っつーのは、一瞬で終わるんだな」
そんなことを一人、呟く。
でもよく考えたら、陰陽師としての未来なんて見えてなかった。菅原がいることが大前提だったし。あいつが隣にいる時だけ、俺は陰陽師になれる。何だそれ。魔法少女の横にいる妖精みてぇだ。全然妖精に見えねぇけど、菅原は。現実的だし、仏教に染まってるし、金がない。そんな妖精はきっといない。
普通に生きてたら、俺たちは出会わなかったんだろうか。こんなクソみたいな家に生まれたからあいつに出会えた。それだけが、俺の人生で唯一の救いだったのかもしれない。そう考えると、やっぱりあいつは妖精だ。
「グゥ……」
腹が鳴る。腹が減った。人生は終わってるのに、腹は減る。
さっき書いた文章を読みながら、コンビニで買った飯をダラダラと食べる。
またチャイムが鳴り、ドンドンとドアを叩く音がする。
「懲りねぇな、あいつ。そんなに俺に会いたいのか?」
そんなわけがない。どうせ、これからのことを決めたいだけだ。マネージャーとして。マネージャーとしてな。
ドンドンとドアを叩く音は止まない。
それを無視してシャワーを浴びようと脱衣所に向かう。
鏡を見て驚いた。太っている。多分、太っていた。
当たり前だ。ずっと家の中にいた。食うことしか楽しみがなくて、好き放題食っていた。こんな自堕落な生活はしたことがなかった。終わった。終わった。見た目まで取り上げられた。ずるずると床に座り込む。
ドンドンとドアを叩く音はまだ止まない。
ふと思う。菅原も、こんな俺を見ればわかるかもしれない。俺が本気で終わっていることを。俺の人生が完全に終わったことを。
半裸のまま、ドアの前に立つ。
ドアスコープを覗き込むと、菅原がいた。
俺の、マネージャー。俺だけの、マネージャー。俺の、俺の。
ガチャ。
菅原が息を呑む音が聞こえた。
「なぁにをやってるんですか!何回来たと思ってるんですか!ちょっと!」
菅原が怒鳴る。
隣のドアがガチャっと開いて、住人が出てくる。
「あの、本当に迷惑なんですけど。ドンドンドンドン。ドアを叩く振動がこっちまで来るんですよ。マンションの前にも知らない人たちがいるし。これ以上続くようなら警察に通報しますよ」
「申し訳ございません。以後気を付けます」
菅原が深々と頭を下げる。
俺はただそれを見ていた。いつもの菅原の匂い。
俺のマネージャー。俺の。




