第五十六話 弟
「お腹空いた」
ソファで眠っていた菅原が、起きてすぐそう呟いた。
俺は菅原より先に起きていた。ソファの前、床に座って菅原の寝顔を眺め考えていた。
相続のこと、御影家のこと。そして愛人の子、嗣御のこと。
「食いに行くか」
「まだモーニングの時間ですか?」
「ギリモーニングの時間だな」
着替えを済ませ、部屋を出る。
マンションの前、見覚えのある車が停まっている。Z4。親父の車だ。菅原と墓参りに行った車。思い出の、あの。
「何で親父の車が?」
「どれですか?」
菅原が車を憶えていないことに少し腹が立ったが、それどころではない。
車のドアが開いて降りてきたのは、愛人の子、嗣御だった。思わず菅原の手を握った。
嗣御が繋いだ手をチラリと見る。
「何で親父の車に乗ってんだよ」
「貰ったから」
「貰った?まだ相続は済んでねぇだろ」
「死ぬ前に貰った」
「は?親父に?」
「そう」
そういえば、墓参りで乗った後、車庫になかったような。親父あいつ、俺に何も言わずにこいつに車をやったのか?いや、親父の車だから俺に言う必要もないか。でもだからって……。
「ねだったのか?これが欲しいって」
「そんなわけないだろ。こんなもの」
「こんなものって何だよ。これは、これには思い出がいっぱいあんだよ!」
「思い出?親父との?」
鼻で笑いそう尋ねる嗣御。
「違ぇ!こいつとの!」
握った手を掲げる。
「付き合ってんのか?マネージャーと。いや、力のあるマネージャーと」
「付き合ってませんよ」
菅原が即答する。こいつ……こいつ!!!付き合ってねぇけど。付き合ってねぇけどさ。
「やっぱり見えてんだな。俺に力がないことも、こいつに力があることも!」
「紫門さん、声がデカイです。みんなに聞こえてしまいます」
「わかってる。わかってるけど、こいつが、こいつが!!!」
「落ち着いてください、紫門さん。ほら、深呼吸」
「マネージャーというよりも、保護者か?」
「て、てめぇ」
「煽らないでください。マネージャーでも保護者でも何でもいいじゃないですか。朝一訪ねて来た者の態度ではありませんよ?来るなら来るって連絡を寄越すのが筋なのでは?たとえお二人が腹違いの兄と弟だとしても!」
菅原が早口で捲し立てる。でも俺はそれどころじゃなかった。
「お……弟?こ、こいつが俺の弟?」
「はい、弟です。学年が一緒ですが弟ですよ。あなたは兄です」
目の前の嗣御を上から下まで見る。
弟……こいつが……俺たち兄弟なのか……なぜ今まで気づかなかった。
「兄貴って呼んだ方がいいか?」
「いや、やめろ。紫門様と呼べ」
思わずガキみたいなことを言ってしまった。
兄貴とかキモすぎだろ。ゾッとする。だって俺、一人っ子だと思って生きてきたんだぞ。そんなすぐに受け入れられるわけがない。
「こんなところで立ち話もなんですから、どこかに移動しませんか?嗣御さんは、朝食はお済みですか?」
呼ぶな。その名を。俺の前で。
「いや、食ってない。食事は一日一食って決めてるから。珈琲くらいなら、まぁ」
こいつ、俺と同じく節制している?
「その車、二人乗りだろ。三人だから二台で行く。駐車場から車取ってくるから、俺たちが出てきたら後ろ着いてこいよ」
手を繋いだまま、菅原と駐車場に向かう。
「紫門さん、大丈夫ですか?お話できますか?嗣御さんと」
「その名を呼ぶな」
「何ですかそれ。ヴォルデモートみたいな」
「え、菅原、ハリー・ポッター知ってんの?」
「知ってますよ、それくらいは。本は全部読みましたよ。図書館で借りて。映画は観たことないです」
「は!?映画観てねぇの?マジか……じゃあ、今度朝から晩までハリー・ポッター観るやつやろうぜ。どうだ?」
「コーラとポテチがあるなら」
「よっしゃ、やろうぜ。何巻が好き?俺はさぁ……いや、そんなことを言ってる場合じゃない。あいつと何を話す?」
「感情がジェットコースターみたいですね。大丈夫ですか?こちらが不利になることは言わない方がいいと思いますが……」
「わかんねぇ。俺、何がこっちに不利になるのかわかんねぇ。何にもわかんねぇ」
「その辺は私がどうにかします。大丈夫です」
「菅原、俺……」
「ほら、早く車に乗ってください!」
いつもの喫茶店。ここしか浮かばなかった。
入った瞬間、声をかけられる。
「おぉ!ひかりくん、紫門くん!おはよう!奇遇だねぇ!僕もモーニング!もう帰るところだけどね。あ、お友達?美味しいもんね、ここ。布教したってわけか。それにしても男子二人、どこか似ているね。類は友を呼ぶってのはこのことか!」
店長、憎めない男。俺たちのサンタクロース。
「て、店長!違います!こちらはご友人ではなく、紫門さんの腹違いの弟、嗣御さんです!」
菅原が慌てたように訂正する。
菅原ひかり、こちらも憎めない女。俺のマネージャー。
「カッ!」
店長の喉から聞いたことがない音が出た。
「も、申し訳ない。申し訳ない!あの、その、ドロンしようかな。あ、何かあったらいつでも、いつでも言ってね」
忍者のような走り方で店長が去る。
「菅原、お前……」
「何ですか?」
わかっていない、こいつ。
席に着くと、菅原はメニューを開きサンドイッチを指差す。
「半分こでいいか?」
「嫌です」
「お前!この!」
菅原の肩を掴んで揺らすと、真珠のネックレスがキラキラと揺れた。
「あ、付けてきてんじゃん、それ。気に入ってんのか?」
「せっかくなんでね」
「気に入ってるって言えよ!」
また菅原の肩を揺らすと、声を上げて笑う。
「あの、いちゃついてるところ悪いけど、俺もいるってことをお忘れなく」
「いちゃついてませんよ」
菅原が即座に否定する。
「へぇ」
嗣御は鼻で笑い、メニューを開く。
「あのさ、一つ気になることがある。二人の力ってどっちが強いとかあんの?」
俺がそう尋ねると、菅原と嗣御が見つめ合う。
見つめ合うな。そんなじっくり。やめろ。俺の目の前で。
「どっちだよ!!!」
「何でキレてんだよ」
「何でキレてるんですか?」
二人の声が重なる。気が合うとか?同じ力があるから気が合うとかなのか!?
「自分で言うのもなんですが、私のほうが強いですね」
「異論はない」
菅原の方が強い。それを聞いてホッとする。
そうだろ。菅原が一番強い。だって俺のマネージャーだし。
「あの、何か言いたいことがあるから我々に会いにきたんですよね?」
菅原が口を開く。
「いや、見にきただけ。どんなもんか。兄貴と、力のあるマネージャーが」
「兄貴はやめろっつってんだろ!鳥肌が立つんだよ」
「でも兄貴なんですよ、紫門さん。たかだか数カ月先に生まれただけなのに。これまで一度も会ったこともなかったのに」
「変なヤツだな、お前」
嗣御が菅原を見てそう言った。腹が立った。たしかにこいつは変なヤツだ。でも、この程度で、たった一時間程度一緒にいただけでこいつをわかった気になって“変なヤツ”だと言うのは許せない。
「おい、こいつはもっと変なヤツだぞ」
頭で考えていることと、出てくる言葉が一致しない。いや、語彙が。語彙が足りない。だって俺、帰国子女だし。
「もっと変なヤツってどういう意味ですか?」
菅原が俺の腕を掴む。
「ちょっと待て、嗣御、お前は留学してたのか?」
「留学?してない」
俺は高校から大学まで七年間留学していた。下手したらこいつの方が親父と過ごした時間が長いかもしれない。
「マジか……」
「そっちはしてたんだ。いいじゃん。金かけてもらって」
「は?お前だって金くらい」
「俺は奨学金で大学に行った。今も払ってる。ようやく遺産で一括返済できる。わかるか?あいつは金を出さなかった」
「でも株は」
「それも知らなかった。俺は何も知らない。親父が死んでから知った。陰陽師について何かを教えてもらったこともない。俺は祓えるが独学だ」
「……は?はぁ?」
「俺はあいつを恨んでいる。母親はいつも泣いていた。親父がいない夜。行事に来ることもない。俺はあいつを父親だと思ったことはない。気が向いた時にフラッと現れるだけの男」
「……マジかぁ」
目の前に座る嗣御が、初めて弟に見えた。俺が兄貴という事実にはまだ鳥肌が立つけど。
こいつは俺と同じなのかもしれない。いや、俺より酷い扱いを受けてきたのかもしれない。でも、こいつを弟だと認めても、何が正解かわからないのは変わらない。御影家のことも、相続のことも。
菅原が俺をジッと見た。
何が正解かわからない。でも、こいつがいる方が俺にとっての正解なのかもしれない。
そう思ってしまった。




