第五十五話 俺次第
「は?どういうこと?」
行政書士の説明に耳を疑った。
「現在の発行済株式のうち、奥様が十パーセント、紫門様が十パーセント、もう一人のご子息が三十パーセント、故人が五十パーセントを保有しておりました。故人の持分を法定相続分どおりに分けますと、奥様が三十五パーセント、紫門様が二十二・五パーセント、もう一人のご子息が四十二・五パーセントとなります」
「は!?それってつまり、あいつが筆頭株主になるってこと?知ってたのか?それ」
「知らなかったと言えば嘘になります。しかし、遺言書でどうにかすると聞いておりました。こちらからは、早急に作成するよう何度もお願いしておりました」
「何だよそれ。どうにかなってねぇじゃん。母さんは知ってたのか?」
「し、知らない。知らないわ」
「クソ……親父、あいつマジでどうする気だったんだよ。あいつに継がせる気だったのか?」
「筆頭株主だからって、御影家を継ぐことになるわけではありませんよ」
菅原が口を開く。
「は?でもあいつの一存でどうにかなるだろ」
「何の問題もない人間を引きずり下ろせるなら、誰も代表になんてなりませんよ」
「たしかに……」
「もしかしたら向こうが相続放棄する可能性だってあります。そしたらお母様が……」
「相続放棄の意思はないそうです」
菅原の言葉を遮るように行政書士がそう答える。
「マジか……」
目の前に書類を出され、それを手に取り眺める。
そこに見慣れない名前があった。
「……嗣御。しおん?」
「はい。もう一人のご子息のお名前です」
「は?読みが俺と一字違いじゃねぇか」
母さんを見ると、眉間に皺を寄せて目をギュッと瞑っている。知ってたんだ。あいつの名前。さすがに知ってるか。
「どんな漢字ですか?」
菅原に聞かれ、書類を見せる。
「こ、これは……」
「何だよ。何かヤベェ意味とかあんのか?この名前に」
「いえ、そんなことは」
「何だよ。教えろよ」
「今は、今はちょっと……」
「呼び間違えた時、大丈夫なように似たような名前を付けたそうよ」
母がそう言った。
「……は?」
“しもん”と“しおん”。確かに似ている。
だとしたら親父、あいつ酷すぎるだろ。人の名前を何だと思っている。俺もこの嗣御ってヤツも、気づかないうちに間違えて呼ばれていたのかもしれない。俺はその度に返事をしていたのか?愛人の子どもの名前を呼ばれて。
「どうして黙ってた?名前まで。母さん、どうして黙ってたんだよ」
「紫門さん、今は相続のお話です。お母様も十分分かっていると思います」
真っ青な顔をした母が目を伏せる。
「お母様、大丈夫ですか?顔色があまり……」
菅原が母さんの顔を覗き込む。
「すみません。今日はここまでにできますか?お母様の体調があまりよろしくないようで、これ以上は」
菅原がそう告げ、行政書士は帰っていった。
「少し横になるわ。二人とも今日は帰ってもらえるかしら。少し一人で考えるわ……」
ヨロヨロと立ち上がる母さんを菅原が支え、部屋まで連れて行く。
しばらくして菅原が戻る。
「一人で大丈夫みたいです」
「帰るか……」
俺がそう呟くと、菅原は頷いた。
車の中、助手席に座る菅原は俺がくじ引きで当てたイルカのぬいぐるみを膝の上に置いて目を瞑っていた。
「なぁ、菅原」
「はい」
目を瞑ったままの菅原が返事をする。
「今日も俺の部屋に泊まってほしい。俺どうにかなっちまいそうで」
「わかりました」
その答えを聞いてホッとした。もし「無理です」と今言われたら、多分路肩に車を停めてハンドルを抱きしめて泣いていたと思う。
「でも一人で眠ります。あのソファで」
「わかった」
それぞれの部屋に帰り、シャワーを浴びる。
湯気で曇った鏡を擦り、そこに映る自分を見つめる。
知らなければよかった。愛人の子の名前。
あいつも俺と同じなのかもしれない。あいつも親父が間違えて呼んだ名前に何度も返事をしたのかもしれない。
俺と同じ……いや、同じじゃない。あいつには力がある。それどころか、俺より多く株を持っていた。やっぱり親父、あいつに継がせたかったんじゃねぇか。そうだろ。だって陰陽師なんだから。力があるヤツに継がせたいに決まってる。
涙が溢れる。いい大人が、何を泣いてんだよ。
風呂から上がり着替えていると、インターホンが鳴る。菅原だ。
「泣いてたんですか?」
部屋に入ってきた菅原がそう尋ねる。
「ノンデリだな」
「ノンデリ?何ですかそれ」
「non-delicacyの略」
「無駄に発音がいいのがムカつきますね」
「泣いてた。泣いちまった。バカみたいに。大人なのに」
「いいんじゃないですか?泣いても。大人だから泣いちゃいけないなんて法律、ありませんから」
そう言ってソファに座る。
「さっき、嗣御の名前を見て何か言ってたよな?何だって?」
「……聞きたいんですか?また泣くことになるかもしれませんよ」
「いい。泣く準備はもうできてる」
ティッシュの箱を抱え、床に座る。
菅原がふっと笑った。ソファから手を伸ばし、俺の頬に触れる。手がひんやりとしていて心地いい。
「本当に泣いてたんですね。ほっぺたが熱い」
「だろ……」
菅原の手が頬から離れる。
「嗣御の嗣、この字は継ぐという意味があるんです。御はおそらく御影家の御。もしくは、御する。元々は馬を操るという意味だったかな。治めるとか、制御するとかそういう意味もあります」
「よく知ってんな」
「お経を読んでたので」
「つまり親父は、あいつの名前にも御影家の字を入れたんだ。そして嗣の字も。じゃあ、やっぱりあいつに継いで欲しかったんだ」
「それはわかりません。死人に口なしなので。お父様の考えを知ることはもうできない」
「でもどう考えたってそうだろ。俺が生まれた瞬間に、力がないことを親父は知って、それであいつが生まれて力があることを知った」
「それでもお父様はあなたに陰陽師のことを教えた。いつか力が現れるかもしれないと期待していたのかもしれません。それに、あなたが御影家でやっていけるように、力がある私をマネージャーにした」
「それは親父のプライドだろ。俺に力がないことを知られたくないから」
「私が今言ったことも、紫門さんが言ったことも、どちらも確認することはできない。真相をただ一人知るお父様はもうこの世にいない」
「何が言いたい」
「紫門さん次第になったってことですよ」
「俺次第?」
「そう。あなた次第です。あなたが決める」
「継ぐとか継がねぇとか、そういう話をか?」
「そうです」
「そ、そんなの無理に決まってんだろ!俺だけの話じゃねぇんだよ。実は力がありませんでした~!ごめんなさ~い!愛人の子は力があるのでそっちに譲りま~す!ってか?そんなのできるわけねぇだろ」
「そうですね」
「つーか、お前が騙してたこともバレるんだぞ。それをしたら。俺だけじゃねぇ」
「私が?」
「そうだ。お前も。そうだろ?」
「たしかにそうですね。私もとんでもない秘密を抱えてるってことだ」
「何でちょっと嬉しそうなんだよ」
「悪いことってあんまりしたことがないので」
「地獄に行くからか?仏教的に」
「地獄?別に地獄に行くのは嫌じゃない」
「は!?地獄だぞ!?痛ぇとか熱ぃとか、お前は怖くないのか!?」
「この世の方がずっと怖いですよ。地獄は明確な罪と罰を与えてくれますけど、この世は違う。紫門さんだって、陰陽師の家に生まれたのに力がない。それなのに愛人の子には力があった。そしてそいつの方が多く株を持っている。でも、答えなんてない。どうしたらいいか誰も教えてくれない。痛ぇとか熱ぃとか、そっちの方がずっと簡単な気がします」
「……そうかもしれない。そんな気がしてきた。俺たち、地獄送りなのか?」
「知りませんよ。あ、今の話、漫画で使えそうですね」
菅原がスマホを開き、メモに何かを記す。
「でも菅原がいるなら、俺地獄でもいいかもしれない」
菅原が顔を上げる。
「何ですかそれ」
「え?そう思っただけ。今だって地獄みてぇな世界だけど、お前がいるから何とかやってられんだよ」
「地獄まで着いていくマネージャーは聞いたことがないですね」
そう言ってまたスマホに目を落とす。
「菅原、俺さ……」
「はい?」
画面を見つめたまま菅原が返事をした。
何かを言いかけたけどやめた。
菅原がこっちを向かなかったから。




