第五十二話 可愛いのにな
朝、目が覚める。
めちゃくちゃ足が痺れている。視線を落とすと膝の上に菅原の頭がある。テレビはつけっぱなしで、昨日のDVDのメニュー画面のまま。
寝落ちしたのか、俺。菅原の髪を撫でて、唇を撫でて……いや、何をやってんだよ俺は。菅原の寝顔をジッと見る。俺より短い睫毛、少し開いた口。
もう一度唇に手を伸ばす。
いや。
「菅原。おい、菅原。朝だぞ」
「うーん?あー、なんか首が。首が痛い」
菅原がモゾモゾと寝返りを打つ。
「いや、起きろよ」
菅原が薄目を開けてこちらを見る。自分が枕にしていたのが俺の太ももだと気づいて嫌そうな顔をする。
「すみません。寝心地が悪いとか言って。首が痛くって」
そう言って起き上がる。
「あ?高級枕だぞ?」
「そもそもそっちがベッドで寝るって。私はソファで寝るって。このフカフカのソファで一人で眠るの楽しみにしていたんですよ」
「あー、悪かったな。菅原がなんか?『ヤックルに乗って移動したい』とか言って?俺に寄りかかって?寝落ちしたから?ぜーんぜん動けなかったんだよなぁ」
「嫌味ですか?それは」
「は?嫌味じゃねぇよ」
「下っ手クソな嫌味ですね!」
「お前、この!」
菅原の肩を掴み揺さぶる。
バカみたいにキャッキャッと笑う菅原。
何だよ。何なんだよ。何笑ってんだよ。
「はぁ。飯食うか。どっか食いに行こうぜ。車で。つーか、どっか行こうぜ。母さんに電話してさ。今日は何時から予定があるか聞いて」
「一応寺育ちの身としては忌明けまではと言いたいところですが。でも、生きている人間も大事なので行きましょう」
「……お前のそういうところに救われる」
「何を言っているんですか?救われる?似合わないことを言うとこうですよ」
そう言って俺の肩を掴んで揺さぶる菅原。
「やめろ!やめろ!やめろって」
今すぐその手を離さないと抱きしめちまうぞ。そう言いかけたがやめた。
「じゃあ、お母様に確認お願いします。私は準備してきますね」
そう言って立ち上がる菅原。
「菅原」
「はい?」
「すぐ戻ってこいよ。俺、また泣いちまうからな」
「何を言っているんですか?」
そう言って臓物を見るような目で俺を見る。そうだった。こいつはこういうヤツだった。
「何でもねぇよ。早く用意してこい」
「わけがわからない。本当に。しかし、わけがわからない存在もこの世には必要なんだろうな」
菅原はブツブツ言いながら部屋を出て行った。
お前が一番わけがわからねぇんだよ。菅原、お前が。
スマホを手に取る。やべ、充電してなかった。充電器を差し込み、母さんに電話をかける。
「……もしもし?あ、紫門。よく眠れた?」
「あー、まぁ。菅原と映画見て寝落ちした」
「ひかりちゃんと?よかった。一人じゃなかったのね」
「え?うん、そう。母さんは親父に言いたいこと言えたわけ?」
「ふふ、覚えてたのね。言えたわ。途中ヒートアップしちゃってね。結婚指輪を外してぶん投げて……ふふ。引き出しの裏に入っちゃって。探したけど、見つからなかったわ。はぁ、おかしい」
「え?結婚指輪?あとで探そうか?菅原と」
「ううん。いいの。いいのよ。どこかにはあるってわかってるだけで。失くしたわけじゃない。この部屋のどこかにあるってわかってるだけでいいの」
「そっか……あ、今日の予定って何かあるっけ?」
「あぁ、そうそう。相続のお話ね。行政書士さんと。十八時からにしてもらったわ。私ほら、調べることが色々あるでしょ。先に話したいから十六時頃に来てもらえるかしら?」
「わかった。菅原と行く」
「ひかりちゃんは、その、親族じゃないけど参加していいのかしら」
「あいつがいないと俺ダメだし。マネージャーだからいいだろ。あいつ頭切れるし。それに口が堅い」
「わかったわ。わかった。じゃあ、よろしくね」
電話を切る。
十六時か。まだ九時だ。まぁまぁ時間はある。飯食ってどこに行くか。
顔を洗い、着替える。待ちきれなくて菅原の部屋に向かい、インターホンを押す。
「え?もう準備できたんですか?早い。ちょっと待っててください」
菅原の部屋に入り、リビングの床に座る。いつも通りだ。何もない部屋。菅原の匂い、俺があげた変なキャラクターのグッズ。
「菅原、どこに行きたい?飯食ったあと」
「どこ?うーん、どこだろう。あ、お母様はなんて?」
「十六時に来てくれって」
「まぁまぁ時間がありますね。遠出はできないけど」
遠出か。いいなそれも。菅原と。こいつ飛行機とか乗ったことあんのか?
「飛行機とか乗ったことあんの?」
「ありません。修学旅行は京都奈良だったし。沖縄とかちょっと行ってみたいですね。マナティーが見たいんですよ」
「ジンベイザメじゃなくて?」
「はい」
「へぇ。沖縄か。いいな」
菅原と行く沖縄は多分楽しい。色々食って、水族館に行って。喧嘩して、また食って。
「一人で行ってみようかな、沖縄」
そう言って髪を梳かす菅原。
「は!?何でだよ。この流れなら俺と行くやつだろ。普通に」
「どうして紫門さんと行くんですか。沖縄に。いや、依頼があれば行きますけど」
「は!?マネージャーだろ。俺の。俺が沖縄に行きたいと言ったら着いてくるのがマネージャーだろ」
「私と行って何が楽しいんですか?マナティーの前に三時間くらいいるかもしれませんよ」
「別に俺だってマナティー三時間見られるし」
「何を言っているんですか?あ、じゃあ今日水族館に行きましょうよ。品川の。あそこならここからそんなに遠くない。ちょうど十六時に帰れますよ」
「品川の水族館は一緒に行けるのに、なんで沖縄はダメなんだよ」
「何をムキになってるんですか?わかりましたよ。行きます行きます。はいはい」
「は?お前それやめろ。はいはいって。バカにすんなよ」
「はいはい」
「お前この野郎」
廊下をスタスタと歩いていく菅原を追いかける。
さっきみたいに肩を掴んで揺さぶってやろうと思った。そしたらきっと菅原は笑う。でも、伸ばしかけた手を引っ込めた。今触れたら絶対に抱きしめてしまう。
菅原が振り返る。
「追いかけてこないでください!雛みたいに」
「雛?」
「そうです。あっちで座って待っていてください」
そう言って洗面所に入っていく菅原。
トボトボとリビングに戻り、床に腰を下ろす。
どうして俺はあいつを抱きしめたいんだ。抱きしめてどうしたい。
別にどうしたいわけじゃない。
ただ抱きしめたい。抱きしめると落ち着く。抱き枕だってそうだろ。
抱きしめると落ち着く。毎日一緒にいたいし、昨日みたいに眠りたい。俺が好きな映画を一緒に観てほしい。菅原が好きな映画も知りたい。沖縄だって一緒に行きたい。ソーキそばとか食いたい。ソーキそば、別に俺は好きじゃないけど。菅原は好きかもしれない。水族館だって一緒に行きたい。クラゲとでも多分あいつと見たら楽しい。今から行くけど。わからない。あいつといるととにかく楽しい。でもそれが何だ。マネージャーだし。抱きしめたい。
「はぁ、抱きしめてぇ」
気づいたらそんなことを呟いていた。
「何を言っているんですか?抱きしめたい?何を?女ですか?」
菅原が立ったまま俺の顔を見下ろしている。
「女?女じゃねぇな。いや、女か。お前女だしな」
「悪口ですか?それ。私が女に見えないとか。そんな話ですか?」
「違う違う。そんなんじゃねぇって。つーか、前に聞いて怒られたけど、今聞いても怒るのか?」
「何の話ですか!?さっきから」
怒った顔をした菅原が俺に近づく。
「お前、彼氏いたことあんのかって話」
「は!?」
「いや、答えたくねぇならいい。別に」
「はぁ!?ありませんけど!?」
「ねぇんだ。可愛いのにな」
「可愛い?何を言ってるんですか。煽ってるんですか!?もう行きますよ。ほら、時間が」
「あ?あぁ。行くか」
菅原が差し出した手を握り立ち上がる。
「まったく、本当に何を言ってるんだかさっぱりわからない。さっぱりですよ。本当何なんですか!」
「怒んなよ」
「チッ!」
やっぱり可愛くない、多分。




