第四十九話 何の重さかわからなかった
告別式を終えた父の亡骸は霊柩車に乗せられ、火葬場に向かう。出棺の時、喪主である俺は位牌を持ち立っていた。俺が倒れることを恐れているのか、遺族でもない菅原が俺の後ろに立つことを咎められることはなかった。
出棺の合図。大きなクラクションが鳴り響く。ただ頭を下げる。
「お母様!」
菅原の声と小さな悲鳴。そしてざわめきが聞こえ、顔を上げる。遺影を持った母さんが膝から崩れ落ちそうになるのを菅原が支えている。思わず腕を掴む。軽い。小さい。こんなに小さかったか。
どこかから泣き声が聞こえた気がした。母さんではない。顔を上げる。知らない人間たちが俺たちを見て泣いている。崩れ落ちる母とそれを支える息子。おそらくその構図の美しさに泣く人間。
誰だ、お前ら。誰なんだよ。何を見て泣いている?
スタッフが駆け寄り、母さんを支え親族用に用意されたバスまで連れて行く。
まだ泣いている人間たちに舌打ちする。それに気づいた菅原が俺の腕を掴む。
「紫門さん、大丈夫ですか?」
「あ? あぁ、大丈夫だ。大丈夫じゃねぇけど、大丈夫って言うしかねぇだろ」
「そうですね。そうでした。バスに乗りましょう」
母さんの代わりに遺影を持った菅原とバスに乗り込む。狭い座席。俺が窓際に、菅原がその横に座った。位牌を片手に窓の外を眺める。窓の外を眺めたまま、もう片方の手で菅原の手を探した。遺影を持っていた菅原の片方の手を無理矢理繋ぐ。
そうでもしないとどうにかなりそうだった。それを察したのか、菅原は俺の手を強く握り返した。握った手が離れないようにポケットに突っ込む。せめて火葬場に着くまでは離れないように。離さないように。
火葬場までの道のり、狭い道路をただひたすら走るバス。途中、車がすれ違うことができないくらい狭い道があった。対向車が来たのを見た時、無理だろと思った。一方通行にしろよ、こんな道。
ギリギリまで寄せるバス。窓に近づいた民家の石垣。窓を開けて手を伸ばせばすぐ触れられそうなくらい近い。怖い。
そう思ってポケットの中にある菅原の手をギュッと握る。菅原がまた握り返す。対向車と無事にすれ違い、またバスが動き出した。
火葬場に着き、繋いだ手をポケットから出す。離したくない。離れるのが怖い。
「紫門さん、着きましたよ。降りましょう」
菅原に促され、手を離しバスを降りる。母さんはスタッフに抱えられ、何とか立っている。
火葬まで時間があると思ったが、そんなに時間はないようだった。
「最期のお別れを……」
スタッフに支えられた母さんと、菅原に支えられた俺が棺に近づく。
色とりどりの花に囲まれた親父の姿を見る。似合わない。似合っていない。花が。
親父だってこんな自分を見たら怒るだろう。
『日経新聞を敷き詰めた方がずっといい。銘柄もわかるし、花よりずっとよく燃える』
親父ならきっとそう言う。いや、言うわけねぇか。言うわけねぇよな。
「お、お父さん。お父さん。少し早いんじゃないの。少し。置いていかないで。置いていかないでよ。私、私……」
母さんが泣きながら父の頬を撫でる。
何だよ。愛してたのかよ。あんな扱いをされたのに、愛してんのかよ。愛人がいて、その息子までいて。それでも愛してんのかよ。悲しんでんのかよ。
だとしたら俺はやっぱり最低なのかもしれない。
悲しみが来ない。まだなのか、それともこの先も来ないのか。怖い。ただ怖い。御影家を背負うことが。
生き返ってくれ、親父。生き返ってくれ。
気づいた時には棺に縋りつき泣いていた。悲しみじゃない。恐怖だ。周りの人間のすすり泣く声が聞こえる。
勘違いすんなよ。良い息子じゃねぇ。俺は酷い息子だ。
「もう間もなく……」
そんな声が聞こえる。菅原に腕を掴まれ、立ち上がる。
火葬。スイッチを押すのは俺だった。それが御影家の“きまり”だった。でも無理だった。
「火葬場のスタッフの方に押してもらいましょう。今は火葬場のスタッフの方が押すことの方が多いです」
菅原がそう言った瞬間、親族のジジィが怒鳴り出す。
「御影家のきまりだ! 跡継ぎだろう! そんなことさえもできなくて、どうやってこれからこの家を背負っていく!」
その通りだと思った。
「そんなことさえって何ですか? 父親の火葬のスイッチを押すことをそんなことと言っているんですか?」
菅原が突然怒り出した。思わず顔を上げる。
「だ、誰に物を言っている! マネージャーだかなんだか知らんがな、親族みたいな顔をしてそこにいるのが間違っている! 常識が……」
「誰に? お前に、お前に言っている」
そう言ってジジィを指差す菅原。
「お、お前だと!? お前だとぉ!?」
「そう、そうです。お前です。父親を亡くした若人に、たった一人御影家を背負う人間に、涙を流し弱った人間に、何も責任を負うことのない人間が怒鳴り散らす。あまりにも酷すぎる! あまりにも酷すぎますよ!」
菅原がジジィに詰め寄る。あまりの剣幕に、ジジィが一歩下がった。周りの人間たちがジジィを諫め出し、菅原が俺の元に戻ってくる。スタッフを呼び、火葬のスイッチを職員が押すように頼む。
「紫門さん、大丈夫です。大丈夫ですよ。もう大丈夫です」
「菅原、俺……」
「大丈夫です。次にあのジジィが何か言ってきたら呪います」
「菅原お前、呪えんの……?」
「はい」
怖い。怖い女だ。でも――
白い手袋をつけた職員がスイッチを押す。
手を合わせた母さんの目から涙が一筋零れる。
そういえば、母さんの涙なんて見たことがなかった。今日の朝、愛人が来た時。あの時泣き崩れた涙。あれが初めて見た母さんの涙だった。
俺の知らないところで泣いていたんだろうか。
ふと菅原を見る。
こいつも俺の知らないところで泣いてんのか。
火葬の間、俺と菅原は個室を与えられた。さっきのジジィとのトラブルを配慮されたのかもしれない。
菅原が俺に飲み物を渡す。
「お菓子もありますよ。これとかこれ。あ、カバンに店長が持ってきてくれたお菓子もあります。何か食べられそうですか?」
首を振る。菅原が包みを破り、俺の口に焼き菓子を近づける。
「いつもの喫茶店のやつですよ。珈琲はないですけど」
仕方なく口にする。甘い。でも美味い。
「さっきはありがとな。ジジィに」
「いえ、全然。マネージャーとして。いや、マネージャーとしてやったなら大問題ですね。クビです。完全にクビです。ヤバいことをしましたね。あのジジィが騒いだらヤバいですね。だからマネージャーとしてではなく、私個人でしたことです」
「マネージャーだからじゃなくて、菅原の意思でってことか」
「はい。友人として」
友人。こいつ、友達だと思ってんのか?
「友人? お前が?」
「マネージャーだと問題になるから」
「マネージャーじゃなかったら、お前は俺のダチなのか?」
「いや、わかりませんけど。ダチってよりは、まぁ、友人?」
「一緒だろ」
「じゃあ、知り合い?」
知り合い? 何だそれ。手まで繋いで抱きしめてるのに?
「知り合いではねぇだろ。友達でも……」
そこまで言いかけて黙る。
俺は何を望んでいる。
「知り合いではあるでしょう。マネージャーなんですから。友人は確かに違うかもなぁ。ダチはさらに違うなぁ」
そう言って焼き菓子を齧る菅原。
こいつは俺のことをダチとも思っていない。マネージャーじゃなかったら俺と手を繋ぐことも抱きしめることもない。仕事なんだ。仕事だからやっている。
いや、当たり前だろ。マネージャーなんだから。
じゃあ、俺は?
マネージャーじゃないこいつを、俺は何だと思うんだよ。
焼き菓子を食いながら答えの出ない問いを繰り返す。いや、答えはあるのに、その周りを目を瞑ってグルグルと歩いているような。
火葬が終わり、骨になった父と対面する。母さんはもう誰の支えもなく立っていた。
「こちらが喉仏で……」
次々と骨の説明をされるが、ほとんど頭に入ってこない。
小さな骨壺に収まり、さらに木箱に入れられた父。
両手に感じる重さが骨の重さなのか、骨壺の重さなのか、白い桐で作られた木箱の重さなのかわからなかった。




