第四十八話 裏切んなよ
告別式の朝。式が始まるまであと三時間。
三人で簡単な食事をとり、着替えをして待機する。静かな時間が流れていた。
部屋をノックする音が聞こえ、返事をする。
慌てて入ってきたスタッフが母さんに駆け寄り、耳打ちをしているのをただボーッと眺めていた。母さんの顔がどんどん険しくなる。
スタッフが部屋を出ていったあと、全員がしばらく黙っていた。
「紫門、あの……。あの、もう隠すことはできない。だから、あの、あの……」
菅原が立ち上がり、母さんの手を握る。
「お母様、落ち着いてください。どうなさいましたか?」
「と、父さんの、め、妾の……」
目を見開く菅原。
めかけ? めかけって何だよ。
「めかけって何?」
「……」
しばしの沈黙。
「あ、愛人です。愛人……」
菅原が絞り出すようにそう言った。
「愛人……」
愛人……言葉は耳に入ってくるのに、その意味は入ってこない。
愛人って何だっけ。
「愛人がどうしたって?」
わけもわからず、そんな質問を母さんに投げかける。
「来ているの。今そこに。息子と一緒に」
「む、息子? どういうことだ? マジで意味がわからない」
「ま、まさか、ま、まさか!?」
動揺した菅原が母さんの腕をギュッと掴む。
母さんは目を瞑り、静かに頷いた。
「いや、マジで意味がわからない。マジで。息子って誰の?」
「紫門さん、落ち着いてください。紫門さん。落ち着いて。とにかく落ち着いて」
「俺は落ち着いてんだよ。意味がわからないだけで。お前が落ち着け」
「すみません。そうですね。説明した方がいいですか?」
「説明しろ。俺がわかるように」
「お母様、私が紫門さんに説明してもよろしいでしょうか」
母さんは今にも崩れ落ちそうに頷いた。
「な、何なんだよ。マジで」
「紫門さん、落ち着いて聞いてください。お父様には愛人がいた。別の家庭があったんです。御影家とは別に。そして、そこには息子がいた。お父様とその愛人の。あなたの、あなたの腹違いの兄弟がいたんです」
意味がわからない。
親父に愛人がいて、さらには息子がいた?
いや、だって親父、言ってたよな。
“陰陽師は清廉潔白であるべきだ”って。
あいつ、あいつが一番潔白じゃねぇってどういうことだ?
「か、母さんは知ってたのかよ」
「……知ってたわ。知ってたの。ごめんなさい。ごめんなさい……」
そう言って泣き崩れる母さんを、菅原が支えソファに座らせる。
「お母様、私が対応いたします。ここに、ここにいてください。あなたが、あなたが本妻です。あなたがお父様の本妻なのです」
その言葉が慰めなのかもわからない。
多分、母さんもわかっていない。菅原もどう言っていいかわからなかったんだろう。
俺だってわからない。
「俺も行く」
「だ、大丈夫ですか?」
「俺が御影家の跡継ぎだ。俺が。俺が行くべきだろ」
「わかりました。行きましょう」
菅原と控室を出る。
入口の前、その二人はいた。
二人を見た瞬間、菅原が立ち止まり息を飲んだ。見たこともない顔で俺を見る。
「どうした?」
「か……あ……あ、い、いえ、何でもないです。大丈夫です。行きましょう」
愛人とその息子が俺たちの気配に気づき、こちらを振り向く。
柔らかい笑みを浮かべ、ゆっくりとお辞儀をする愛人。所作の一つ一つが丁寧で、見た目が整った女。
その横にいる息子はほとんど俺と同じ背丈で、見た目も整っている。年齢もそこまで変わらない気がした。
「この度はご愁傷さまでした」
愛人が口を開く。
「奥様からお電話をいただいて。どうしても最期にお顔が見たくて。告別式に参列するのは奥様に失礼かと思い、今……お忙しいところ申し訳ありません」
そう言って、また頭を下げる愛人。
何を言っているのかさっぱりわからない。
息子は俺と菅原を交互に見たあと、目を細める。その仕草に腹が立って思わず睨みつけると、その口の端がニヤリと吊り上がった気がした。
何なんだ、こいつは。
菅原を見ると、口をあんぐりと開けて息子を見ている。
「菅原、おい」
声をかけると、ハッとして俺の腕を掴む。
「お母様に、奥様に確認いたします。少々お待ちください」
俺を引きずり、控室に歩いていく菅原。
「おい、ちょっと待てよ。おい!」
控室の扉を勢いよく開け、母さんの元に向かう。
「お母様、愛人の方がお父様のお顔を最期に拝見したいと。どうしますか。断ることもできます。私が! 私が断ります!」
「……いいわ。見せてあげて」
「な、何でだよ! 断れよ! プライドとかねぇのかよ!」
「紫門さん、落ち着いてください。落ち着いて」
「落ち着いていられるかよ! 何なんだよ。マジで!!!」
「見せてあげて! 見せてあげて……恨んでないわ。今は。今は恨んでない」
「何だよそれ。恨んでないって。俺は? 俺の気持ちは?」
「わかってるわ。わかってる。ごめんなさい。ごめんなさい」
そう言って泣き崩れる。
意味がわからない。恨んでるとか、恨んでないとか。
「ど、どうしますか。どうしたらいいですか? 何が正解ですか?」
パニックになる菅原を見て、逆に落ち着いてくる。
「落ち着け、菅原。納得いかねぇけど、母さんの意思を尊重する。納得いかねぇけど」
「そ、ど、なん? ど、そ、それで、その」
「行くぞ」
意味のわからない言葉を発する菅原の腕を掴み、愛人とその息子の元に向かう。
「母から許可を得ました。どうぞ」
会場に入り、棺の前に案内する。
父の亡骸を見た瞬間、泣き崩れる女。
俺も菅原もそれを呆然と眺める。
息子は親父に近づくことも、顔を覗き込むこともなく、泣き崩れる母親をただジッと見つめていた。
どういう気持ちなんだ、こいつは。
というか、こいつと俺が兄弟って。
実感がない。あるわけがない。何も知らない。知りたいとも思わない。
菅原を見ると、またあんぐりと口を開けて息子を見ている。
何だよ。何を見てんだよ。
しばらくすると、愛人が涙を拭い立ち上がり、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
初めて息子が口を開く。
そのまま二人は会場を後にした。
もう立っていられなかった。頭を抱え、床に座り込む。
「紫門さん! 大丈夫ですか? 私はここにいますよ」
そうだ。
菅原がここにいる。
「マジでさぁ。マジで。次から次へと。親父、あいつ。あいつさぁ。あいつ……」
「何なんでしょうね……」
菅原の深いため息が聞こえ、俺もため息を吐く。
「お前は裏切んなよ」
「私? 私ですか?」
「そうだ。お前は裏切んな。俺のこと。頼むから。頼む……」
「な、何を裏切るのでしょうか?」
「……はぁ、そこは裏切りませんって言うところだろ」
「だから何を裏切るのでしょうか? 具体例を頂けますか?」
「何を言ってんだよ。マジで……」
菅原が手を差し出す。
その手を握る。
「立ってください。今は、今はとにかく目の前のことをこなしましょう」
菅原の手を強く握り、立ち上がる。
離したくない。
俺の、命綱。
「抱きしめろ。俺のことを」
「な、何を?」
「抱きしめろよ。マネージャーだろ」
「何を仰ってらっしゃる?」
「可哀想だろ、俺」
「……可哀想です。今日、この会場で一番」
思わず菅原を抱きしめる。
「グエッ」
菅原が潰れたカエルみたいな声を出した。
強く抱きしめすぎた。菅原の髪に顔を押し付ける。
いつもの匂い。
いつもの。
「紫門さん、苦しいです」
「あと十秒」
俺がそう言うと、菅原の力が抜けていく。
俺の身体に手を回し、背中をトントンと叩く。
それだけで、まだこの世界に立っていられる気がした。




