第四十五話 あいつが手を離したら
マンションに到着する。
玄関の鍵を開けようとすると、菅原が俺の後ろに並ぶ。
「何で?」
「はい?」
「部屋、帰らねぇのかよ」
「お母様に任されたので」
「……いや、大丈夫だ。何かあったら呼ぶ。大丈夫だから帰れ。寝ろ」
ジッと俺の顔を見る菅原。
「わかります。一人になりたい時もありますよね。あの、私、起きているので何かあったら呼んでください。明日からしばらくバイトも休みます。紫門さん、あの……いえ。では失礼します」
菅原が自分の部屋に入っていく。
本当はそばにいてほしい。
一人で抱えきれない。
抱えきれる量じゃない。
親父が突然死んだこと。
それをまだ信じられないこと。
御影家を背負うこと。
それが親父の死よりもずっと怖いこと。
でも、やっぱり菅原に知られたくなかった。
悲しみよりも恐怖があることを。
薄情な人間だと思われて嫌われるのが怖かった。
こんな時でも、菅原に嫌われたくないと思っている自分が気持ち悪かった。
部屋に入ってすぐにインターホンが鳴った。
「紫門さん。スマホ、私の部屋にありました。しっかり充電しておいてください。あとこれ、こないだ作って冷凍しておいたハンバーグ。レンジで温めて食べてください。無理な時は冷凍庫に入れてくださいね」
「あー、さんきゅ」
頭を下げて帰っていく菅原。
一緒にいてほしい。
喉まで出かけた言葉を飲み込む。
どうしても食べる気になれなくて、冷凍庫にハンバーグを突っ込む。
シャワーを浴びて、ベッドに寝転ぶ。
スマホに充電器を差し込む。
つーか、菅原の漫画。今日のやつ上げてねぇ。上げねぇと。データ貰ってねぇな。
ノロノロと起き上がり、菅原の部屋に向かい、インターホンを鳴らす。
「ど、どうしました?」
「漫画のデータ、貰うの忘れてた」
「ま、漫画? え? SNSに上げるやつですか!? そ、そんなの気にしないでください。しばらく休みましょう」
「は? 何でだよ。せっかくここまで来たのに。みんな楽しみに待ってる。ここで途切れたら、また一からやり直しだぞ」
「わかってます。わかってますけど、今は、今はそれどころじゃない」
「それどころじゃないのはわかってる。でも、それでも、俺はお前の夢を叶えたい。お前の夢を。せっかく光が見えたんだ。光が」
「いや、でも……」
「でもじゃない。でもじゃねぇんだよ!!!」
「落ち着いてください、紫門さん。わかりました。しばらく自分でやります。自分で更新します。今のあなたに、親を亡くしたあなたに負担をかけることはできません。ずっと横で見ていたので、自分でできます。だから今は休んでください。眠れる時に眠ってください。私は隣に、ここにいます。何かあったら、いつでも呼んでください」
「……できる。俺がやる」
「紫門さん、明日からやることがたくさんあるんです。御影家のこと。だから今は休んでください」
「く……わかった」
部屋に戻る。
そうだ。
明日から御影家を背負うのは俺だ。
千年続く。なのに俺で途切れた、千年。
終わりだ。
終わってる。
何でだよ。
何で俺には力がない。
何でこんなところに生まれちまったんだよ。
何で俺なんだよ。
ズルズルと床に座り込んだ。
スマホが鳴り、咄嗟に出る。
「もしもし……」
「あ、紫門? ねぇ、ずっと無視してたでしょ~? 何回もかけたんだよ。今暇? みんなで飲んでるんだけど来ない? イケメン不足すぎて笑」
「おい! イケメン不足はひどすぎんだろ!」
女の後ろで男の声と笑い声が聞こえる。
「ねぇ、聞いてる? もしもーし」
「もうかけてくんな」
「何? ごめん、聞こえない!」
「もうかけてくんなっつってんだよ!!!」
「え?」
通話を切り、スマホを投げる。
こんなのばっかりだ。
俺の周りには、こんなのしかいない。
いや、俺もそうなのか?
俺がそうだから、こんなヤツしか集まらないのか?
だとしたら、親父が俺を見損なうのも、ポンコツと呼ぶのも合ってたな。
思わず笑いが込み上げる。
そのまま床に寝転がる。
足が寒い。
床が冷たい。
そのまま眠りについた。
朝起きると、喉が痛い。
身体も痛い。
時計を見ると、まだ朝の五時だった。
ズルズルと床を這って、昨日放り投げたスマホを探す。
画面を開くと、昨日の女からメッセージが来ている。
「何を怒ってるの?」
「ひどくない?」
「傷ついた」
「ずっと放置されて寂しかった」
何件ものメッセージ。
フレンド一覧にいる女を一人一人ブロックする。
最後に残った女は、菅原だけだ。
「何をやってんだよ、俺。何か意味があんのかよ」
親父が生きてる時にやれよ。
親父が生きてる時に。
生きてる内に、ちゃんとすればよかった。
ポンコツな自分を自覚していないわけじゃなかった。
でも、ポンコツのフリをして生きているほうがずっと楽だった。
親父が背負っているものを見ないようにしていた。
いつか自分が背負うものなのに、見ないフリをしていた。
目を瞑る方がずっと楽だった。
だから、菅原をすごいと思った。
ボロボロの寺を買い戻すために昼夜問わず働いて、金を貯めるあいつが。
たった一人で生きているあいつを、すげぇと思った。
俺にはできない。
親父、菅原みたいに頑張れなくてごめん。
菅原みたいに力がなくてごめん。
そう思うのに、涙が出ない。
親父に謝る自分すらも、フリなんじゃないかと思う。
真ん中にある。
重くて冷たい石みたいなやつが。
俺がこれから背負う、御影家という千年続くバカみたいにデカいものが。
先祖たちが築き上げた丈夫すぎるレール。
そもそも親父も、爺ちゃんも、その前の奴らも力があったじゃねぇか。
最初から、そのレールを走るトロッコが与えられている。
俺には力がない。
素足でレールの上を走るしかない。
菅原が俺の手を引っ張って、レールの上を走る絵が浮かんで、思わず笑いが込み上げる。
でも思う。
あいつが手を離したら?
あいつがいなくなったら?
レールの上、素足で立ち尽くす俺が頭に浮かぶ。
どこまでもポンコツだな、俺は。
もうこのまま逃げようか。
何もかも、捨てて。
いや、無理だ。
無理だろ。
俺には何もない。
むしろ、レールにしがみついてんのは俺だろ。
「気持ち悪いんだよ」
そう叫ぶが、何も返ってこない。
菅原がこれを聞いたら引くのか。
引くだろ。
答えのない問いを、ひたすら繰り返した。
現実から目を背けるように。




