第四十二話 わがままですね!
次の日の朝、事務所に向かう。
菅原より先に家を出た。
ドアを開けると、親父がソファに座っていた。こちらをチラリと見て、またタブレットに目を落とす。
「あのさ、結婚?のことだけどさ。俺、無理だわ」
ポケットに手を突っ込み、昨日カフェで貰った小さい傘に指先で触れる。
「無理? 何を言っているんだ、お前は」
「断りたい。嫌だ。無理だ」
「子どもみたいに駄々を捏ねて。本当にお前はどこまでも……」
「ポンコツ。ポンコツだろ。俺はどこまでもポンコツ。わかってる、そんなのは」
「わかっているのに、それでも嫌だと?」
「そうだ。嫌だ。向こうだって俺が嫌かもしれないだろ。顔だけのポンコツなんて」
まだ俺は言い訳するのか。
菅原がここにいたら怒るかもな。
つーか、店長も言ってたな。
俺は自分がポンコツだと思うことで安心してるって。
「まぁ、それもそうだな。でもな、紫門。お前に拒否権がないように、向こうにもない。お前はわかっていない。これが選ばれし者の宿命だということを」
「選ばれし者?」
「そうだ。お前も相手の女も選ばれている。由緒正しき家に生まれて、何不自由なく育ってきた。ここに生まれた時点でお前は選ばれている。ひかりちゃんを見たらわかるだろう。あんな力があるのに、生まれた場所は最悪だ。もしこの家に生まれていたら? あの子は立派な陰陽師になっていただろう。女性で初、のな」
菅原のことを言われて腹が立つのに、なぜか言い返せない。
親父が言っていることが少し正しいような気がした。
気がしてしまった。
「選ばれし者の自覚を持て。何不自由なく育ってきたことを感謝しろ。お前が一般社会で通用すると思うか? 顔だけ。子どもみたいに駄々を捏ねることしかできない。お前の居場所はな、ここだけだ紫門。先祖が敷いてくれたレールの上を歩くだけだぞ。それすらもできないのか?」
ポケットの中の小さい傘が、ぐしゃっと潰れる音がした。
そうだ。
このクソの塊みたいな親父の下で、先祖が敷いた頑丈なレールの上を金に困らず生きていく。
それが俺にとって一番いい選択だ。
――でも。
「わかってる。わかってるけど、結婚だけは無理だ。陰陽師は続ける。菅原と。あいつがいればやっていける。好きでもない人間とは結婚できない。俺は……」
「俺は? 何だ?」
「俺は……」
「お前、まさかひかりちゃんが好きなのか?」
「は? 何言ってんだよ。んなわけねぇだろ」
「ふぅん」
探るような目で俺を見る親父。
俺が菅原を好き?
あり得ない。
あいつはただのマネージャーだ。
隣に住んでるただのマネージャー。
「まぁ、ひかりちゃんという手もあるがな。いかんせん家柄がな。あの母親も怪しい」
「おい、やめろ!!! つーか、菅原の母親は今ケンちゃんと付き合ってんだろ。なら大丈夫だろ」
「ケンちゃん? あぁ、ケンジさんか。確かに前にそう言ってたな。あの人が身内になるのはアリだな。顔が広い。かなりのメリットがある」
「だからそれをやめろって言ってんだよ。菅原も、その他の人間も駒じゃねぇ。それに俺は菅原のことを好きじゃない。あいつはただのマネージャーだ。もうやめてくれ。とにかく俺は結婚しない」
ガラッと音がして振り返る。
菅原が立っていた。
「あ、紫門さん。ここにいたんですね。おはようございます」
そう言って俺を見る菅原。
「ひかりちゃん、また紫門がわがままを言っているんだけど。ちゃんと言い聞かせてくれるかな。君、マネージャーだろ?」
呆れたような顔でソファに深く腰掛け直す親父。
「わがまま?」
首を傾げる菅原。
俺をジッと見る。
「あ、俺は結婚しないって、親父に、言った……」
「なるほど」
腕を組み、何か考えるような顔をする菅原。
菅原。
俺、ちゃんと言った。
親父に。
俺、言ったんだよ。
「わがままだろ? 子どもみたいに。君の管理不足かな」
「わがままですね!」
菅原がバカデカい声でそう言った後、満面の笑みを俺に向けた。
あぁ、やっぱりこいつはわかってくれる。
こいつだけがわかってくれる。
「あ、紫門さん、時間です。今日はもう行かないと。朝の首都高は混むので。行きますよ。では失礼します!」
俺の腕を掴み、引っ張る菅原。
事務所を出て駐車場まで歩く。
「菅原、ありがとな」
「何のありがとうですか? 今日は運転お願いしてもいいですか? 朝までバイトだったので」
「いや、何でもない。わかった」
首都高はマジで渋滞していた。
菅原の寝息が聞こえてくる。
横を向くと、腹の上に手を組んで、すやすやと眠る菅原がいる。
ポケットから少しくしゃくしゃになった小さい傘を取り出し、その手に握らせた。
「似合ってるな。小せぇ傘」
♢ ♢ ♢
目的地に到着する。
菅原はまだ眠っていた。
まだ少し時間がある。
スマホを開き、SNSを確認する。
「ん?」
通知がめちゃくちゃ溜まっている。
スマホが熱くなるから、ここ最近は通知を切っていた。
「え? あ? は? 一万二千? どういうこと? 閲覧数五十万?」
脳みそがフリーズする。
そうか。
菅原の漫画がバズったんだ。
喜びと驚きで心臓がバクバクしている。
「菅原、おい菅原。菅原!!!」
菅原をゆすって起こす。
「どうしました!? 間に合いませんか? 依頼、何時からでしたっけ」
飛び起きる菅原。
「違う。依頼まで時間はある。違う。これ、これを見ろ!」
菅原にスマホを渡すと、目を細めて画面を見る。
「これは何ですか? 私の漫画? それが?」
「いいねだよ。いいねのところを見ろ」
「一万、二千?」
「閲覧数五十万だぞ」
「ごじゅうまん?」
何もわかっていない。
この寝起きの女は。
「とりあえず依頼をこなしましょう。そっちが優先です」
髪を整え、カバンを探す菅原。
「お前、一万二千だぞ!? わかってんのか!?」
「わかってます、多分。多分わかってます」
「わかってねぇだろ」
「行きましょう」
渋々依頼の場所に向かう。
いつも通り俺が祓ったフリをして、菅原が祓う。
いつも通りだ。
俺の日常。
「今日の怨霊はどんなヤツだった?」
「あとでスケッチブックに描きましょう。お昼はどうしますか?」
スケッチブックも日常だ。
俺たちの。
「昼? あー、ドライブスルーとか? 食いながら移動すっか」
「たしかに、時間的にそっちのほうが効率がいいですね」
俺がドライブスルーで注文している間、サラサラとスケッチブックに祓った怨霊を描く菅原。
注文した商品を受け取り、車を出す。
「描けたか?」
「はい。でもポテトがしなしなになってしまうので、先に食べましょう」
スケッチブックをカバンにしまい、袋からドリンクを取り出して置く菅原。
「運転しながら食べられますか?」
「バーガーはいけるけど、ポテトは無理かもな。手汚れるし」
「じゃあ、丁度いいタイミングで口に運びますね」
「え? いいの?」
「はい」
アーンってことかよ、おい。
カバンから割り箸を取り出す菅原。
箸でポテトをつまみ、俺の口に運ぶ。
口に運ばれたポテトに食いつきながら、思わず笑った。
菅原ひかり。
一万二千いいねを叩き出す、俺の可愛くないマネージャー。




