第四十話 抗いましょうよ
「ど、どうすればいいんだ俺は」
「どうすれば?」
「どうやってこれを断ればいいのかわからない。デカすぎんだよ。俺にとってこの家は。御影家は。俺一人でどうにかなる問題でもないっつーか」
「あのクソジジィと同じになるということですか?」
そう言って親父が去っていった方向を指差す菅原。
「ちが、違ぇ。違う。つーかあいつ、菅原が相手になってくれればとか言ってたよな……」
「本当、あり得ない話ですよね」
「……だな」
胸が痛い。そこまできっぱり否定されると。
「人間を道具とでも思っているのでしょうか。あの人は」
「だな。マジでそうだ……」
「抗いましょうよ」
「抗う?」
「そうです。紫門さんも、この着物が似合う素敵なお嬢さんも、好きな人と結ばれて、いや、結ばれなくてもいい。好きな人なんていなくてもいい。結婚するもしないも、子どもを産むも産まぬも、自分の意思で、自分たちの意思で決めるべきです。他者が介入していいことではありません。たとえ親だろうと、千年続く家柄だろうと。さっきも言いましたけど」
「俺の意思?」
「そう、あなたの意思です。自由に生きていいんですよ」
「菅原は自由なのか?」
「私が自由かどうかはわかりません。寺を買い戻すことに縛られている。これからどれくらい働けばいいのかもわからない。でも、私の意思です。だから自由です」
「そうか……」
「どうやって抗う? つーか俺は自由の方が怖いかもしれねぇ。俺は『御影紫門』だからどうにでもなる。でも、それがなくなったら? ただのポンコツイケメンだぞ」
「ポンコツイケメンのまま生きていけばいいじゃないですか。私は別にあなたをポンコツだとは思いませんけど」
「イケメンだとは思ってんだ……」
「イケメンの定義がわからないので」
そう言って鼻で笑う菅原。
「イケメンの定義……つーか、よく考えたらイケメンだっていつか無くなるかもしれない。最近普通に食ってるし、ジムもサボってるし、なんか腹が出てきたような気がする。イケメンが無くなったら、ポンコツだけになったら、それこそヤバくねぇか」
「そうですか?」
「そうだろ。抗って御影家も失って、イケメンも失ったら? それでも菅原は俺のマネージャーでいてくれんのかよ」
「いや、御影家を失ったら私はあなたのマネージャーではなくなりますけど」
「あぁ! あああ!」
「さっきから何を言っているんですか?」
「菅原、捨てないでくれ。お前がいなかったら俺はただのポンコツなんだよ」
「拾った覚えもないですけど」
「あぁ! ムカつく。ムカつくんだよ、お前ぇ」
「あ、そろそろ時間ですよ。行きましょう」
「うぅ、おにぎり食いたい。おにぎり食ってから行く」
「お昼のやつですよ、それは」
「嫌だぁ。俺は今おにぎりを食うんだ」
「じゃあ、移動しながら食べましょう」
「わかった」
菅原が運転する助手席で半泣きでおにぎりを食う。朝俺が握ったやつだ。
「何をメソメソしているんですか」
「抗いたいのに抗うのが怖ぇんだよぉ」
「まぁそうでしょうね。人間ってのはそんなもんですよ」
「何だよ、人間って。お前、何目線で見てんだよ」
「人間目線ですよ。目線っていうか視点? あなたと同じです」
「絶対違う。少し上からだろ」
「上から目線ってことですか? 私が紫門さんを、その他の人間を上から目線でバカにしていると?」
「いや、うーん。いや?」
「そう思っているんですね、紫門さんは」
「いや、そうは言ってねぇよ。つーか、昔っからそうなのか?」
「昔から……昔は普通の子どもでしたよ。でも、人には見えないものは見えるし、母には怯えられるし、挙句の果てには育てきれずに寺に置いていかれるし。自分の現実を受け止めるのが怖くなったんです。母に捨てられた自分を認めたくなかった。変だから捨てられたって認めたくなかった。それで自分を少し上から見下ろして生きるようになった。自分と、距離を取って……」
よくわからない。菅原が言っていることが。自分と距離を取って生きる。上から見下ろして生きる。俺はいつだって俺だった。俺でしかない。俺は俺とくっついている。でもこいつは、自分と自分が離れている?
「えーっとつまり、この菅原と菅原は違うってことか?」
そう言って菅原の肩に手を置く。
首を傾げて考えるような顔をする菅原。
「合っているような、合っていないような……」
「裏表とはまた違うよな? だって菅原は表も裏もない」
「ないとは言い切れませんけど」
「じゃあ、見せてみろよ。裏を」
「裏……どれが裏かわかりません」
「ほらな。じゃあねぇってことだ。裏表でもない。菅原であって、菅原じゃない……」
「なぞなぞみたいですね」
「絶対に解きたいなぞなぞだ」
「答えなんてないですけどね。だからなんだって話だし」
「あ!!!」
「びっくりした。急に大きい声出さないでくださいよ。運転中なんですよ、こっちは」
「つまり悲しかったんだろ? 母親に捨てられたことが。変だから捨てられたことが」
「悲しかった? いや? うーん。わからない。諦めてた?」
「諦めてたかぁ。でも、育ての親が死んだときは悲しかったんだろ」
「悲しかったんだと思います」
「思いますってなんだよ。悲しかったんだろ。墓参りの時、泣いてたし」
「気づいてたんですか?」
「は? 気づかねぇわけがねぇだろ。そこまでバカじゃねぇよ俺は」
「揶揄ってこないから気づいてないのかと思った」
「お前俺のことなんだと思ってんだよ。そこまで酷い男じゃねぇよ」
いや、酷い男じゃないと言い切れるのか。遊んだ女を泣かしてヘラヘラして、面倒くさがったことがあったんじゃないか。
「酷い男だとは思っていませんよ。ムカつきますけど」
「ムカつくよな、俺」
「素直ですね」
「色々思い出したんだ今。まぁそれで。菅原は悲しいと思わないように自分と自分を切り離したってことだろ」
「そうなのかな。でも認めたくないですね。悲しいと思いたくないからが理由なんて。なんか気に食わない」
「お前らしいな。人にはそのままでいろとか言うくせに、そのままの自分は認めねぇ。俺はそのままの菅原が見てみてぇけどな」
「そのままの私ってなんですか? というか、どうして見たいんですか? 何が目的ですか?」
「そのままの菅原だよ。俺もよくわかんねぇけど。まぁ、別に今のままの菅原でもいいけど。どうしてなんだろうな。それもわからない。目的も特にない」
「何を言っているんですか? さっぱり意味がわからない」
「はは、俺もわかんねぇ」
「はぁ」
ため息をつく菅原。
♢ ♢ ♢
夕方、少し早めにマンションに着く。
マンションの前に女が二人立っている。
菅原と横を通り過ぎようとした時、女の一人に話しかけられる。
「あの、御影紫門さんですよね?」
「は? あ、え? そうっすけど」
どこかで見たことがある。遊んだことがある女か? わからない。脳みそをフル回転させて考えるが出てこない。
「あ!」
と叫ぶ菅原。
全員が菅原をジッと見る。
「着物が似合うお嬢さん!」
と言う菅原。
そこで思い出す。親父が渡してきた写真の女だ。
「ど、どうしてここに?」
恐る恐る尋ねる。
「話したいことがあって」
そう答える女。
マンションの前、三人の女に囲まれる俺。側から見たら痴話喧嘩だ。
「あ、あの、珈琲が美味い喫茶店があって。そ、そこで話しません? 車、出すんで……」
そう提案する俺。
「あー、はい。ここだとあれですもんね」
物分かりがいい女だ。
車取ってきますと言う菅原。
「あ、俺、俺が行く。菅原はここで待ってろ」
菅原には悪いが、気まずさからそう言ってしまった。
小走りで車を取りに駐車場に向かう。
「ど、どうなっちまうんだ、俺」
漫画みたいなセリフを思わず呟いた。




