第三十九話 他者です
朝、目覚めてすぐにスマホを手に取り、SNSを開く。
いいねされてる。されてた。されてた!!!
思わず部屋を飛び出し、菅原の部屋のインターホンを鳴らす。
出てこない。寝てんのか? あいつ。
もう一度鳴らす。
しばらくして、ガチャと音がする。
嗅ぎ慣れた匂いがドアの隙間から香る。
「はい? なんですか……」
少し声が枯れている。髪はボサボサだ。
「ヤベェぞ!!!」
思わず叫んでしまった。
「シー、静かに。朝ですよ。皆さん寝ています。中に入ってください」
中に入り、ドアを閉める。
ペタペタとリビングに歩いていく菅原。慌ててサンダルを脱ぎ捨て、追いかける。
「何か飲みます?」
そう言って欠伸する菅原。俺が頷いたのを見て、お湯を沸かし始める菅原。
床に座り、部屋を見渡す。
いつも通り、乱れのない部屋。机の上に置かれたパソコンとペンタブ。
また遅くまで描いてたのか?
あ、そうだ。いいねのことを言いにきたんだった。
「あ! 違ぇ! 違ぇんだよ!」
慌てて立ち上がり、キッチンにいる菅原の元へ行く。
「何が違う?」
そう言って、俺を見上げる菅原。
「いいね、いいねされてた! されてたんだよ。ほら、見ろ。見てみろよ」
スマホを取り出し、菅原に見せる。
「どれどれ……一五〇〇? 一五〇〇もいいねされてる?」
「そうだ。一晩だぞ? 万バズではねぇけど、プチバズリだろ」
「プチバズリ?」
「いや、別にそこは気にすんな。すげぇよ。すげぇよお前。俺だってこんなにいいねされたことねぇぞ」
よくわかっていない顔で頷く菅原。
「お前、嬉しくねぇの? 一五〇〇だぞ。フォロワーも増えてる。いいねは一五〇〇だけど、それ以上の人間に見られてるってことだぞ」
「いや、嬉しくないわけじゃないんですけど、実感が湧かないというか。所詮、画面の向こうにいる、存在するかもわからない人間なので……」
「なんだそれ! いや、いるんだよ。画面の向こうに。お前の漫画を読んで、人差し指でいいねした人間が。一五〇〇人も」
そう言った瞬間、ふと思う。
一五〇〇人の人間が、菅原の漫画をいいと思った。今までは誰もこいつを見ていなかった。でも、今はこいつの良さに気づき始めた人間がいる。
どうしよう。
どうしよう?
何がどうしようなんだ?
こいつが他の誰かに取られることが?
いや、取られるってなんだよ。
俺のものでも、ないのに……
「あの、人差し指でいいねするとは限らなくないですか? 私は親指でします。多分。いいねしたことないけど」
「何を言ってんだお前は……」
どこまでもこいつは菅原だ。バカみたいに菅原だ。
「朝ごはん、食べていきますか?」
「え? いいの?」
「はい。ご飯多めに炊いたんで」
「俺のために?」
「はい? 冷凍するためですけど。でも、お昼のおにぎり、紫門さんの分も作りましょうか」
「俺がおにぎりを作る。菅原のと、俺のやつ。いい?」
呆れたように笑う菅原。
「いいですよ。できるんですか?」
「多分。いやできる」
菅原が朝食を作る横で、俺がおにぎりを握る。昆布のおにぎり。
「菅原のおにぎりみてぇに三角になんねぇ」
「いいんじゃないですか、まん丸でも」
「いや、何か変だろ。教えろよ。三角になる方法」
「こうですよ、こう」
「こう?」
「うーん、こうです。こう」
俺の手の上からおにぎりを握る菅原。
手が冷たい。ご飯が熱いから余計に冷たく感じる。
どう頑張っても三角にはならない。
でもなんか楽しい。
毎日こうだったら幸せなんだろう。
菅原と朝起きて、朝食を作って、昆布のおにぎりを握って。
机の上のパソコンとペンタブを片付け、朝食を並べる。
横に並んで二人でいただきますをする。
「染みるわ〜」
味噌汁を飲んで思わず呟く。
「五臓六腑にですか?」
「多分それ」
くくくと笑う菅原。
あぁ、いい。静かな朝、一五〇〇いいね、味噌汁、笑う菅原。
もう、何にもいらねぇんじゃねぇか。
「あ、事務所に来いって、お父様から連絡が」
「親父? 何だ? あれ以来まともに会話してねぇぞ」
「私も業務連絡だけです。こないだの件は一切触れてきませんね」
「怖ぇなぁ。せっかくプチバズリでいい気分なのに。飯食って用意したら行くか」
「はい」
♢ ♢ ♢
事務所の扉を開くと、親父がソファに座っていた。
「おはよう、ひかりちゃん」
「おはようございます」
気まずい。でも謝りたくない。
気まずさで謝ったら、またこいつの言いなりだ。
「ちょっと、ひかりちゃんに頼みがあるんだよ」
「何でしょう」
立ち上がり、何かを手に取り菅原の前に置く親父。
「それを、いやその子の写真を見てくれる?」
ファイルを開く菅原。
そこには着物を着た女が写っている。
THE・いいとこの娘という感じだ。
「その子に力ってあると思う?」
そう尋ねる親父。
「写真じゃわかりかねます。実際に会ってみないとなんとも」
「誰なんだよ、これ」
「誰? まぁ、いやらしい言い方をすれば跡継ぎを産む人間とでも言うのかな」
「キモ……」
菅原が小さくそう呟いた。
「何だい? ひかりちゃん」
「着物がよく似合うお嬢さんですね」
苦し紛れに答える菅原。
「そうだろう? 名のある神社の娘なんだよ」
馬鹿にしたように微笑み、菅原の手から写真を取り上げる親父。
「さっきから何を言っている?」
親父にそう尋ねる。よくわからない。言っている意味が。
「本当にお前は人よりワンテンポ理解が遅いな」
「わけがわかんねぇんだよ。跡継ぎを産む人間とかなんだとか」
「紫門さんの結婚相手ということですか?」
「……は!?」
「さすがひかりちゃん。頭の回転が速い」
「どういうことだよ」
「そういうことだ、紫門」
「漫画みたいだ……」
そう呟く菅原。確かに、漫画みたいだ。
「いや、だからってそんな勝手に決めんなよ」
「勝手じゃない。それが決まりだ。御影家の。父さんだって同じだ。気づいた時には勝手に決められていた。お前だけ特別扱いするわけにはいかない。いや、お前こそちゃんとした相手を選ぶ必要がある」
「は!?」
「力もない。何もない。ここから挽回するとしたら力を持った跡継ぎを産む。それだけだろう」
「……」
「そんなのは暴論だと思います」
「ひかりちゃん。ひかりちゃん? 君、わかっているかい。御影家ってのは千年続く家系なんだよ。君にはわからないだろうけど」
「わかりません。でも、産むとか産まないとか、そういうのは他者が口出ししていい問題ではありません」
「私が他人だと?」
「他者です。私は他者と言っています。確かに親ではありますが、紫門さんもこの着物が似合う素敵なお嬢さんも“他者”です。家柄どうこうの前に、一人の人間です」
「はぁ、理想論、感情論。ひかりちゃん、君にはガッカリしっぱなしだよ。君が紫門の相手になってくれればいいんだろうけど、いかんせん家柄がねぇ。調べさせてもらったけど、母親はあんなだし、父親も行方不明だろ」
菅原が息を飲む。それを聞いた瞬間、こめかみからブチブチと音がした。
「おい、謝れ。菅原に謝れ」
「はは、本当にお前ってヤツは、どこまでもどこまでも」
「謝れっつってんだろ!!!」
「揃いも揃って、本当に呆れる。父親に、雇用主に謝れと言う人間がどこにいる。まぁ、いい。よく考えろ、紫門。俺だって同じなんだよ、お前と。勝手に決められて、好きでもない人間と結婚して、お前が生まれた。この家のためにな。力のないお前が」
菅原がまた息を飲む。
「だからって、ひ、酷すぎます……」
「そういう問題じゃないんだよ、ひかりちゃん。問題を履き違えてるんだよなぁ、二人とも。まぁ、いい。私を悪者にして怒っていればいい」
そう言って微笑み去っていく親父。
菅原と顔を見合わせる。
「思っていたよりも、ずっとヤバいですね」
「だろ」
親父が持ってきた写真に目を落とす。
その女の顔すらももう認識できなかった。




