第三十八話 しなしなのポテト
SNSに上げた菅原のスケッチブックの絵は、相変わらずいいねも付かない。閲覧数は二十とか三十だった。
休日の朝、インターホンが鳴る。
モニターを覗き込むとノートパソコンを抱えた菅原が立っていた。
小走りで玄関まで向かい、ドアを開ける。
「紫門さん、描けました!」
ホクホクした顔でこちらを見上げる菅原がそこにいた。
思わずパソコンごと抱きしめそうになる。
何を考えてんだ、俺は。
「朝から元気だな。見せてみろ」
そう言って、菅原を部屋に招き入れる。
昨日の夜、少し片付けておいてよかった。
「あ、お部屋綺麗にしてますね。ゴ……あの黒い虫が出たら困りますもんね」
「あぁ、まぁそうだな」
ソファに座り、膝の上でパソコンを開く菅原。その横に腰を下ろす。
「お前、まさか寝ないで描いたのか? 昨日帰り遅かっただろ」
「え? あーはい。でも描いてたら楽しくなっちゃって。あっという間に朝でした」
そう言って照れたように笑う菅原。
その顔を見て、思わずふぅと息を吐く。
「無理すんなよ。身体壊したら描けなくなるだろ」
「はい」
つーか、こいつはちゃんと一番に俺に見せにきたんだ。約束したから。俺がこいつの一番のファンだから。
「えーっと」
そう言って、ファイルをクリックする菅原。
「これです。ちょっと恥ずかしいけど」
そう言って俺にパソコンを渡す。
「どれどれ……」
……は? こいつ初めて漫画を描いたんだよな?
「……ど、どうでしょうか?」
そう言って俺の顔を覗き込む。
「……」
黙る俺を見て、不安そうな顔をしている。
どう言えばこいつに伝わるかわからなかった。
「やっぱりダメですよね。描き直します」
そう言って俺の手からパソコンを引っ張る菅原。
「違ぇ。ダメじゃねぇ。逆だ。逆だ菅原」
「逆? 逆ってなんですか?」
「逆だ! 逆って言ったら逆だ」
「意味がわからない」
怪訝な顔で俺を見る菅原。あぁ、いつもの顔だ。俺の、可愛くないマネージャー。
「逆だ。ヤベェぞお前。天才だろ。天才だ」
「何を言っているんですか?」
「お前、これは絶対に読まれる。万バズだ。今すぐ上げる。今すぐに」
「今は平日の朝ですよね。上げるなら、みんなが休憩に入る十二時から十三時の間、または帰宅する十九時から二十一時のタイミングがいいそうです」
「グッ……」
何も考えていなかった。俺は。何も考えずに適当な時間に上げていた。
「お願いしてもいいですか? 投稿」
菅原がそう言った。俺に、頼んだ。
「当たり前だろ」
「ありがとうございます」
そう言って、USBを俺に渡す菅原。
パソコンを閉じ、立ち上がろうとする菅原。
「お前、朝飯食ったのか?」
「いえ、まだです。これから帰って食べます」
「何か食べようぜ。デリバリーしてさ。奢ってやるよ。漫画家一日目のお祝いに」
「漫画家なんてそんな……いいんですか?」
「いい。いっぱい食えよ。何がいい?」
デリバリーのアプリを開き、スマホを菅原に渡す。
「紫門さんは、何が食べたいですか? 糖質が少ないやつですか?」
「お前が食いたいやつを食う。おんなじやつをな」
「じゃあ、ジャンクなやつが食べたい」
「お、いいじゃねぇか。珍しいな」
「別に珍しくはないですけど」
そう言って真剣にメニューを見る菅原。
注文を終えた菅原が、あくびをする。
「あと二十分くらいはかかるからちょっと寝とけよ」
「そんなに早く届くんですか? すごいなぁ。いえ、大丈夫です」
「いいから寝とけ。ここで」
ソファから立ち上がる。
「すみません。失礼します」
そう言ってソファに横になる菅原。
寝室に毛布を取りに行く。
戻ってきた時にはもう菅原は眠っていた。
起きないようにそっと毛布をかける。
キッチンに行き、冷蔵庫から水を取り出して飲む。
床に座り、自分のパソコンを開いた。
菅原から預かったUSBを差し込み、投稿の準備をする。
しばらくしてインターホンが鳴って、頼んだものが届く。
菅原はまだ眠っている。起こすかどうか悩んだが、そのまま寝かせておくことにした。
俺は菅原の横で事務処理をしたり、スマホをいじったり、時々顔を眺めたりしていた。
十六時過ぎ、外が夕方っぽくなってきた頃、菅原が起きた。
「あー!!!」
と叫ぶ菅原。
「どうした?」
「ポテトがしなしなになってしまう」
思わず吹き出した。
床に転がり笑う俺を、菅原はジッと見ている。寝起きの顔。片方の頬にはソファの皺の跡が付いている。
「もう十六時過ぎだぞ」
俺がそう言うと、菅原は時計を探しているようだった。
「あ、時計がねぇんだよ。この部屋」
「どうして時計がないんですか? どうやって生きているんですか?」
「スマホあるだろ」
信じられないという顔で俺を見る菅原。
「買いに行きましょう。しなしなのポテトを食べたら……」
「はは、だな」
二人で並んで、しなしなのポテトと冷めたバーガーを食う。
「しなしなも逆に美味いな」
「そうですね」
いや、多分お前と食うから美味い。そう言いかけたが、やめた。
理由がわからないから。どうして菅原となら、しなしなのポテトでも美味いのかわからない。
「時計を買いに行ったらそのまま夜飯買って、ここで食おうぜ。それで二十時ごろ投稿する。二人でな」
「わかりました」
夜まで一緒にいられる理由ができた。
いや、なんだよ。一緒にいられる理由って。
食べ終わり、二人で部屋を出てエレベーターに乗り込む。
そんなことはあり得ないのに、菅原が手を差し出すことを期待する自分がいる。
つーか、こいつは俺をどう思っているんだろうか。多分、どうも思っていないんだろう。どうも思っていないから、俺の部屋で眠れるんだろう。
どうも思ってないから、こうやって一緒に出かけるんだろう。
「どんな時計がいいですか?」
菅原が突然話しかけてくる。
「え? あー。何でもいい。菅原が選んだやつで」
「私が?」
「あぁ。お前が選んだやつ。多分そっちの方が俺が選ぶよりもいい」
「うーん、それは責任重大ですね」
菅原が向かった先は、リサイクルショップだった。
「別に、新品でもよかったけど」
俺がそう言うと、ニヤッと笑う菅原。
「そうですね。でも意外に掘り出し物があるかもしれませんよ?」
菅原がうーんと悩みながら歩き回る。
その後ろをただ着いて行った。
突然菅原が「あ!」と叫び、何かを手に取る。
菅原の手には、バック・トゥ・ザ・フューチャーっぽいデジタルの時計があった。
「うわ!!! やべぇ!!! かっけぇ!!!」
一瞬でテンションが上がる。店長の家に飾ってありそうなやつだ。
「これ好きですよね? 紫門さん」
「好きすぎる。それがいい。それにする」
「値段もお手頃ですよ。二千九百八十円」
「お手頃すぎんだろ! マジで掘り出しもんだ! 菅原、お前天才だなやっぱり」
ドヤ顔でこちらを見る菅原。
「これプレゼントさせてください」
「……は?」
「買ってきます」
「いや、ちょっと待て。いい。自分で買う」
「買わせてください。いつももらってばかりなので」
「え、いやいいって。いい。自分で払う」
「私が買います! 頑固ですね!」
「お前に言われたくねぇよ」
「いいから離してください! 私が買います!」
「あ、ちょっと待て」
二人で店から出る。
菅原からのプレゼントだ。初めて菅原からもらった、プレゼント。
「一生大事にするわ」
「え? あぁ、レアですもんね。なかなか手に入らなそう」
レアだからとかじゃない。レアだからじゃねぇよ。そう言いたいが、言えない。
夜飯を買って、部屋に戻る。
テレビの横に時計を置く。
「めっちゃいいな。マジでいい。テンションが上がるわ」
「それは良かったです」
菅原と夜飯を食ったあと、漫画を投稿する。
「お前が送信ボタンを押せよ」
「え? あ、はい」
「カウントダウンするからな、三、二、い」
カチ。
「お前、何で押すんだよ!」
「あ、すみません」
菅原が立ち上がる。
「では、帰ります」
「明日の朝、楽しみにしておけよ。あと、時計ありがとな」
「どういたしまして。まぁ、あんまり期待せずに待ちます」
「そうだったな。じゃあ、また明日な」
「はい、おやすみなさい」
「おやすみ」
ドアが閉まる。
ふらふらとリビングまで歩き、ソファに寝転がる。
菅原の匂いが、ふと鼻を掠めた。




