第二十三話 住まわせていただきます
「今日はありがとうございました」
コーポ草加部の前で、菅原を降ろす。
「おう」
「お父様に、一人暮らしの提案をしてみる価値はあるんじゃないですか?」
「は? あー。いや、うーん。菅原が一緒に来てくれるなら、できるかもしれない」
「えぇ……お断りします」
「だよな……」
「はぁ、仕方ありませんね。明日の朝、依頼の前に提案してみましょう。一緒に」
「頼んだ」
「では、また明日」
カンカンと音を鳴らして階段を上がっていく菅原。
菅原のことだ。どうせ振り返らない。そう思っていたのに、振り返った。
俺がまだ見ていることに気づき、ペコリと頭を下げて部屋に入っていく。
ふぅと息を吐き、アクセルを踏む。
次の朝、菅原と一緒に親父のところへ行く。
「あれ、ひかりちゃん。おはよう」
菅原を見ると、死んだ魚のような目をしている。やっぱり嫌だよな。ひかりちゃんって呼ばれるの。
「話がある」
「なんだ? 改まって」
「お、俺、一人暮らしがしたい」
しばしの沈黙のあと、親父が口を開く。
「一人暮らし? 何をしでかすかわからないヤツに、一人暮らしなんてさせられるわけがない。何かあったらどうする。お前ひとりの問題じゃない。御影家のすべてに関わるんだぞ?」
「いや、最近、紫門さんも頑張っています。寝坊も遅刻もないし、クチコミ評価も上々です」
「ひかりちゃん。それがスタンダードなんだよ。そんなのは当たり前なんだ」
死んだ魚のような目で、天井を見上げる菅原。
やっぱり、どんなに頑張っても親父が俺を認めることはない。そもそも、俺には力がない。見えない。祓えない。俺がどんなに頑張ったって、その大前提がある。
「あ、じゃあ、ひかりちゃんが隣に住むってのはどうだい」
「は?」
「はい?」
菅原と同時に声を出し、顔を見合わせる。
「ちょっと待ってくれ」
そう言って、タブレットを手に取る親父。腕につけたデカい時計が光に反射してキラッと光った。
「また、時計買ったんだ」
「そう。いいだろ? 十年後も価値が変わらない。そういうのを買うんだ。流行りのモノは、すぐに価値が下がる。そこを見極めて買う。いい趣味だろ?」
菅原は心底興味がなさそうな顔で、親父の時計を見ている。
俺も適当に「へぇ」と返す。
「まぁ、お前にはわからないだろうな」
俺は、流行ってるものが欲しい。そんなダサいやつをつけるくらいなら。そう言いたかったけど、飲み込んだ。
「それで、と。投資用の物件がね、ちょうど二部屋空いているんだ」
「いやいや、それって、勤務時間外まで、この人の面倒を見ろってことですか!?」
そう言って、俺を指差す菅原。
“この人”、“勤務時間外”。菅原の言葉が胸にグサグサと刺さる。
「いや、隣にマネージャーがいるってだけで、抑止力になるんじゃないかと思ってね。それにね、ひかりちゃん。君にとってプラスのこともある」
「マイナスのことしかないんですがッ!?」
身を乗り出して反論する菅原。
――そんなにも、そんなにも嫌か!? なんか腹が立ってくる。
「ボーナスがどうって、紫門が言ってたんだよ。ついこないだ。まぁ、ボーナスの代わりって言ったらいいのかな。家賃無料ってのはどうだろう。寮とか、そういう感覚かな?」
「や、や、や、家賃無料!?」
菅原が叫ぶ。
「そう、家賃無料」
「住まわせていただきます」
深々と頭を下げる菅原。
「うんうん。何かと物騒な世の中だろ? 女の子の一人暮らしには申し分ないセキュリティーだからね」
「家賃無料! 住まわせていただきます!」
狂ったように、家賃無料という言葉を繰り返す菅原の横で、俺は呆然としていた。
次の日、応接室。
御影家の事務担当が目の前に座っている。
机の上には、マンションの間取り図と入居申請書。
「こちらが入居にあたっての書類になります。菅原さんのお部屋は、六〇五号室。紫門さんのお部屋は六〇六号室です」
真剣な顔で申請書を書く菅原。
「家賃無料……」と小さく呟いている。
いや、こいつ家賃無料で頭がいっぱいになってるけど、よく考えたらこれ、親父の投資用マンションだし、あのジジィは、ほぼ手出しなしで、こいつに無償の時間外労働を押しつけてるだけじゃね?
そう言いたい。そう言いたかったけど、菅原が隣に住むのが“あり”すぎて、何も言えない。
「俺は、なんか書かねぇの?」
「紫門さんは、親族扱いですので、不要です」
「はぁ、なるほど……」
なんか、親父の手のひらの上で転がされてる気がする。
でも、自分から転がされに行ってるような気もした。
手続きが終わり、応接室から出る。
「もう鍵までもらっちまった」
「家賃無料!」
こいつ、完全に“家賃無料”に頭を支配されている。
「いつ引っ越すんだよ」
「忘れてた! 忘れてました! えーっと、予定を確認して」
そう言ってスマホを出す菅原。
「今月中には……」
「あと半月だぞ?」
「行けます! 大家さんに連絡して……引っ越し業者を手配して……」
そうブツブツ言いながら、歩き出す菅原。
あんなに嫌がってたのに、家賃無料ってだけで……
つーか、俺も実感が湧かない。一人暮らしかぁ。しかも、隣には菅原が住む。
うるさくしたら、怒ってくるんだろうか。
まぁ、いい。ようやく、この家から解放されるんだ。
――本当の意味での、解放ではないけど。それでも、一歩踏み出したような気がした。
菅原と。




