35.神の加護
拷問器具を持った細身の男が、シルヴィアに近づいてくる。
枷を嵌められた手に、拷問器具の冷たい感触が伝わる。
「こうして指を挟んで、ネジを締め上げていくのですよ。最初はゆっくりと。でも、だんだん強くしていきます」
細身の男はそう言って、シルヴィアの手を挟んでいる拷問器具を回転させようとする。
しかし、ネジが鈍い音を立てて軋むだけで、器具は動かない。
「くっ! なんで、どうして……!」
細身の男は焦ったように何度も力を入れるが、一向に動く気配はなかった。
それどころか、ネジが折れて器具そのものが壊れてしまった。
「いったいなぜ……」
困惑する細身の男に、シルヴィアは答える。
「わたくしには神の加護がありますもの。そんな卑怯な道具には屈しませんわ」
「くそ……!」
細身の男は憤怒の表情を浮かべると、今度は火かき棒をシルヴィアに突きつけてくる。
「お前は聖女なんかじゃない! 悪魔の手先だ!」
そう叫び、細身の男は乱暴に火かき棒を振り下ろす。しかし、その一撃はシルヴィアには届かない。
火かき棒は床に当たり、音を立てて折れてしまった。
「そんな……馬鹿な……」
愕然とする細身の男とは対照的に、シルヴィアは落ち着いた様子で男を見つめ返す。
「このような仕打ちをなさるほうが、悪魔では?」
「黙れ! この魔女め!」
細身の男は激昂し、今度は鞭を手に取る。そして、シルヴィアに向かって何度も振るった。
だが、そのすべてが弾かれてしまう。
まるで見えない壁に守られているかのように、シルヴィアには届かなかった。
「くそっ! なんでだ!」
細身の男が悔しそうに叫ぶが、シルヴィアは淡々とした調子で答える。
「わたくしは聖女ですもの。神の加護がある以上、あなたにわたくしを傷つけることは出来ませんわ」
その言葉に、細身の男は愕然とする。そして、その場に崩れ落ちた。
「そんな……こんな背徳者が聖女だなど……ありえない……。こんなことがあっていいはずがないんだ……!」
細身の男はうわ言のように呟き続ける。
「わたくしは聖女です。そのことは間違いありませんわ」
シルヴィアは諭すように言う。
しかし、細身の男は納得できないようだった。
「違う……お前は魔女だ! 悪魔に魂を売り渡し、神への反逆を目論む魔女なんだ!」
細身の男は叫び、床を何度も叩く。その姿はもはや正気とは思えなかった。
「おい、お前! こいつを殴れ! 道具が無理なら、素手でこいつを殴れ!」
細身の男は、側に控えていた大男に向かって叫ぶ。
すると、大男は無言でゆっくりとシルヴィアに近づいてくる。
「さあ、こいつを殴れ! 聖女の化けの皮を剥がしてやるんだ!」
大男はシルヴィアの前へと立つと、拳を振り上げようとした。
しかし、その拳は途中で止まってしまう。
「おい、どうした!? なぜ殴らない!?」
細身の男は激昂し、大男に詰め寄る。
だが、大男は力なく首を横に振ると、拳を解いてしまう。そして、シルヴィアの足下に跪いた。
「な、なにをしている!? なぜそいつを殴らない!?」
細身の男は動揺したように叫ぶが、大男はただ黙ってシルヴィアの足元に跪いている。
そんな大男の様子に、細身の男も言葉を失っていた。
大男はしばらくの間無言だったが、やがて静かに口を開いた。
「私は……聖女さまのお心に触れたのです」
「な、何を言っているんだ……?」
細身の男は困惑したように呟くが、大男の顔には確信に満ちた表情が浮かんでいる。
シルヴィアも思わず息をのんだ。
「この方は……本当に聖女だ! 神に愛されたお方だ!」
大男の言葉に、細身の男は狼狽える。そして、再びシルヴィアを睨みつけた。
「そんなはずがあるか! こいつは魔女なんだ! 悪魔に魂を売り渡した悪女なんだ!」
「そう思うのは、あなたの心が汚れていらっしゃるからでは?」
大男は落ち着いた口調で言う。
「なんだと!? 貴様、私を侮辱するか!」
「いいえ、そのようなことはございません。私はただ事実を述べたまで」
大男はあくまでも淡々と答える。
その様子に細身の男はますます怒りを募らせたようだった。
「もういい! お前など必要ない!」
細身の男は叫ぶと、大男に鞭を振るう。
「ぐあっ!」
鞭は大男の背中に当たり、男は悲鳴を上げた。
しかし、それでも大男はシルヴィアの前に跪いたまま、動こうとしない。
「このっ! なんでだ! なんで言うことを聞かない!?」
細身の男は何度も鞭を振るうが、そのたびに大男は歯を食い縛り耐えるだけだ。
そんな光景を見て、シルヴィアは思わず手枷の付けられた両手を持ち上げ、細身の男に向かって振り下ろした。
「ぐあっ!」
細身の男は悲鳴を上げ、その場に倒れ込んだ。
「いけませんわ、暴力なんて」
シルヴィアは細身の男を見下しながら言う。そして両手に力を込めて、手枷を引きちぎった。
「なっ……! そんな馬鹿な!」
細身の男は呆然とした様子で呟く。
シルヴィアは手枷を捨て、大男のもとへ歩み寄った。
「大丈夫ですか?」
そう問いかけると、大男の顔には驚きの表情が浮かんでいた。
「は、はい……。大丈夫です」
大男はシルヴィアを恐れるように見上げながら答える。
そんな大男に、シルヴィアは小さく微笑んだ。
「もう、安心ですわ」
シルヴィアは大男の前で両手を組むと、祈りを捧げる。
すると、みるみるうちに傷が癒えていった。
「ああ……なんとお優しい……」
大男は感激した様子で呟くと、その場に平伏する。
そんな様子に細身の男は呆然としていたが、やがて我に返り二人を睨みつけてきた。
「くそっ……。こんなことがあるはずがないんだ……!」
細身の男は怒りに顔を真っ赤に染め、再び鞭を手に取った。そしてシルヴィアに向かって振るおうとする。
だが、その直前にシルヴィアは手枷を引きちぎった手で、鞭を掴んでみせた。
「……え?」
細身の男の口から間の抜けた声が漏れる。
全力の一撃を、シルヴィアはいとも簡単に受け止めてしまったのだ。
「そんな馬鹿な……」
呆然と呟く細身の男に、シルヴィアは冷たい視線を向ける。
「これ以上、あなたの好きにはさせませんわ」
シルヴィアは細身の男の手から鞭を取り上げると、そのままへし折ってしまった。
「ひぃっ!」
細身の男は情けない悲鳴を上げて後ずさる。そして、その背が壁に突き当たり、そこに立てかけてあった拷問器具へとぶつかってしまった。
大型の拷問器具が、細身の男に向かって倒れていく。
「う、うわあああ!」
細身の男は悲鳴を上げてその場にうずくまり、なんとか避けようとするが間に合わない。
彼の足の上に器具が落ち、そのまま押し潰してしまう。
「ぎゃああああ!」
骨の砕ける音が響き渡り、細身の男は絶叫した。
しかし、それでも器具の下から抜け出すことができずにいる。
「い、痛い! 誰か助けてくれ!」
細身の男は涙ながらに助けを求めるが、彼の周りには誰もいない。この部屋にいるのは、シルヴィアと大男だけだ。
ため息をつきながら、シルヴィアは器具を蹴り飛ばして細身の男を自由にしてやった。
しかし、細身の男は立ち上がることもできずに、床に這いつくばったままだ。
「は、早く治せ! お前は聖女だろう!? この程度の傷、簡単に治せるはずだ!」
細身の男はシルヴィアに向かって叫ぶ。
しかし、シルヴィアは首を傾げただけだ。
「まあ、都合のよろしいこと。先ほどまで魔女だ、悪魔だとおっしゃっておりましたのに……」
シルヴィアは冷たい視線を細身の男に向ける。
「う、うるさい! いいから治せ!」
「困りましたわね。わたくし、あなたを治したいと思えませんの。これでは聖女失格かしら?」
「ふざけるな! 早く治せ!」
細身の男は怒りに任せて叫ぶが、シルヴィアは動じなかった。
「というわけで、神にお伺いを立ててみますわ」
そう言って、シルヴィアは神託を賜るための祈りを始める。
『汝の為したいように為すがよい』
シルヴィアの頭の中に、神の声が響き渡る。それはまさに神の啓示だった。
「ありがとうございます」
シルヴィアは深く頭を下げ、細身の男に向き直った。
「神はわたくしの心を肯定してくださいました。あなたの傷を治す必要はありませんわ」
シルヴィアの言葉に、細身の男は驚愕の表情を浮かべた。そして怒りに体を震わせる。
「こんな……こんなことが……!」
細身の男はなおも悪態をつくが、シルヴィアは気にも留めずに微笑む。
「では、ごきげんよう」
にこやかに告げると、出口に向かって歩き始めた。
「おい! 待て!」
細身の男が呼び止めるが、シルヴィアは歩みを止めることなく部屋を出て行った。
残された大男は呆然としていたが、やがてハッと我に返り、慌ててシルヴィアの後を追った。





