33.マテウスの想い
マテウスは執務室でぼんやりと窓の外を眺めていた。
どんよりとした雲に覆われた空は暗く、まるで今の自分の心のようだ。
自分からシルヴィアを遠ざけようとしたのに、いざ離れ離れになると寂しくて仕方がない。
「情けねえな……」
そう呟き、マテウスは自嘲の笑みを浮かべる。
シルヴィアが王都に旅立ったあの日以来、マテウスはずっとこんな調子だった。
仕事こそこなしているものの、心ここにあらずとでもいうのか、すぐに気が散ってしまう。
「シルヴィアさまでしたら、きっと大丈夫ですよ。すぐにお戻りになります」
マテウスの呟きを聞きつけ、執事ダンが声をかけてきた。
「……戻って来られても困るんだよ」
マテウスは嘆息すると、ダンに向かって言う。
「俺の魔力のせいで、あいつを傷つけたくないんだ。だから、あいつが王都に行ったのは正しいことなんだよ」
そう言って、マテウスは再びため息をつく。
「ですが、シルヴィアさまは乗り越える方法があるはずだとおっしゃっていました。マテウスさまは、シルヴィアさまに戻って来てほしくないのですか?」
ダンの言葉に、マテウスは首を横に振る。
「そんなわけあるか! 俺はあいつに側にいてほしいんだ!」
思わず叫んでしまい、慌てて口を押さえる。
ダンはそんなマテウスの様子を微笑ましそうに見ながら、口を開く。
「では、そうお伝えすればよいではないですか。シルヴィアさまも、きっと喜んでくださいますよ」
ダンの言葉に、マテウスは首を横に振る。
「ダメだ! 俺が側にいると傷つけてしまう……」
自分でも言っていることが矛盾していると思う。
シルヴィアを傷つけたくないから、遠ざけたい。
だが、心のどこかで、彼女が去り際に残した、待っていてくださいという言葉に縋り付いている。
「では、シルヴィアさまが他の男に嫁いでも平気なのですか?」
「……っ!?」
ダンの思わぬ言葉に、思わず息をのむ。
「それは……」
口ごもるマテウスに、ダンは続ける。
「マテウスさま、シルヴィアさまが他の男に嫁ぐことを想像してください。シルヴィアさまが幸せそうな笑顔で、他の男と手を取り合って歩む姿を」
ダンに言われ、マテウスはシルヴィアが見知らぬ男と並んで歩く姿を思い浮かべる。
その隣に立つのは自分ではない。自分以外の誰かだ。
「う……っ!」
想像をした途端、胸が締め付けられるような痛みに襲われる。
心の奥底からどす黒い感情がわき上がり、マテウスの心を塗りつぶしていく。
それは怒りであり嫉妬であり独占欲だ。自分の中にこんな感情があったのかと思うくらいに強烈だった。
「どうですか、マテウスさま?」
ダンの言葉で我に返る。
「どうですって……そりゃあ……」
言葉に詰まりながら、マテウスはいつの間にか握りしめていた拳を見つめる。爪が皮膚に食い込み、血が滲んでいた。
ため息を吐き出し、マテウスは拳をほどく。
「……いつの間に、あいつのことをこんなに好きになっちまってたんだか」
マテウスは自嘲気味に呟く。
最初は、強引に迫ってくる彼女に辟易していたはずだった。
しかし、あまりにも真っ直ぐで、ひたむきな彼女のことを好ましく思うようになっていった。
最初に意識したのはいつだっただろうか。
おそらく、マテウスが思いつきで彼女の手に口づけをしたときだろう。
いつもとらえどころのないシルヴィアが、呆然自失としていた。
あの時の驚いた彼女の顔はとても可愛かったと、マテウスは思う。
同時に、シルヴィアには意外と初心なところがあるのだと気づいた。口では大胆なことを言うくせに、自分の行動に一喜一憂する姿を可愛らしいと感じていた。
いつからだろう。
そんな彼女のことが愛おしいと感じるようになったのは。
「なあ、ダン」
「なんですか?」
「俺ってこんな人間だったか? 誰かに執着するなんて、まるで俺らしくねえ」
マテウスの言葉に、ダンは笑みを浮かべて答える。
「これまでのマテウスさまは、諦めることに慣れていらっしゃいました。ですが、諦められないほど大切な存在ができたのです。それはとても喜ばしいことですよ」
ダンの言葉に、マテウスは苦笑する。
「そうかもな……。でも……それは俺の身勝手だ。あいつを傷つけたくないと言いながら、結局は自分の感情を優先しちまってる」
「お言葉ですが、マテウスさまはシルヴィアさまのことを見くびっていらっしゃるのでは? あの方こそ、自分の気持ちを最優先にして突き進んでいらっしゃるではありませんか」
ダンの言葉に、マテウスは苦笑する。
「確かにな……あいつはそういう奴だ……」
出会った時からそうだった。
彼女は周囲の思惑など無視して、己の思うまま、欲しいものには全力で手を伸ばす。
身一つで辺境までマテウスを追いかけてきたこともそうだ。
そう考えれば、マテウスこそが彼女に捕まってしまったと言えるだろう。
だが、不思議と悪い気はしなかった。それどころか、ぞくぞくとした高揚感すら覚える。
「ああ、そうだな。結局、俺はあいつのそういうところが好きなんだ」
マテウスは憑き物が落ちたかのように、すっきりとした気分になっていた。
「どうやらお覚悟が決まったようですね」
ダンの言葉に、マテウスは頷く。
「ああ、俺はシルヴィアが好きだ。だからあいつに戻ってきてほしいし、側にいてほしいと思っている」
それはまぎれもない本心だ。
彼女のことがこんなにも好きだったなんて自分でも驚くばかりだが、これが真実なのだ。
自分の魔力で傷つけてしまう可能性を考えながら、それでも手放せない。
どうにか傷つけずに済む方法を探し出してみせる。
「ならば話は簡単です。すぐにでもシルヴィアさまを迎えに行かれては?」
「そうだな……。だが、今の状況で俺が王都に行くのが正しいことだろうか。王家の思惑、神殿の権力争い……そんな状況じゃ、俺が行くのは逆効果になるかもしれねえ。下手すりゃ、あいつを余計に危険にさらすことになる」
マテウスは考え込む。
以前から王都のベアトリクス王女とは手紙をやり取りしており、現在の状況は把握している。
王女は、神殿の王家に対する干渉を快く思っていないらしい。
シルヴィアを二人の王子のどちらかの妃にし、将来の王妃にすることは、神殿の干渉を強めるだけなので、反対だと手紙に書いてあった。
それはマテウスの思惑とも一致しており、協力したい旨を伝えている。
だが、そこにマテウスの魔力でシルヴィアを傷つける事態が発生してしまった。
そのため、マテウスは王家と神殿への抵抗を止め、シルヴィアを王都に返すことにしたのだ。
そういった状況下で、どう動くのが正解なのか。
「確かに……。シルヴィアさまも、待っていてほしいとおっしゃっていました。今はまだ時機ではないかもしれませんね……」
ダンの言葉に、マテウスは俯く。
「そうだ、あいつは二人の未来のために戦って来ると言っていたんだ。なら、俺も待つべきなのかもしれねえ……」
そう呟いて、マテウスは再び黙り込む。
しかし、心の中には不安が渦巻いていた。
シルヴィアの身に何か起こるのではないか。また、彼女にだけ戦わせておいて、自分はここで手をこまねいているだけでいいのだろうか。
そんな思いがぐるぐると頭の中を駆け巡り、マテウスは頭を抱える。
「くそ……っ、どうすりゃいいんだ……!」
その時、執務室の扉が勢いよく開かれ、マテウスは驚いて顔を上げた。
「マテウスさま、大変です!」
息せき切って駆け込んできたのは、王都に行ったはずの研究者ロイドだった。
「ロイド!? どうしてここに……?」
驚くマテウスに、ロイドは息を整えながら答える。
「……はぁ……はぁ……。実は、シルヴィアさまが異端審問にかけられそうになっているのです!」





