31.大神官
やがて馬車は王都にたどり着き、シルヴィアは神殿へと連れていかれる。
神殿の門をくぐると、シルヴィアは神官に案内されて神殿の奥深くへ進んでいく。
シルヴィアが案内されたのは、神殿の中でも特に奥にある一室だった。
「聖女さまをお連れしました」
神官が扉に向かって声をかけると、中から返事がある。
「入れ」
その声を聞いて、神官はゆっくりと扉を開いた。
中へ入るように促されたシルヴィアは、堂々と部屋に足を踏み入れる。
部屋の中に入ると、そこには初老の男が座っていた。
「お久しぶりですね、聖女さま」
男はそう言って微笑む。
「ええ、お久しぶりでございます。大神官さま」
シルヴィアが挨拶を返すと、大神官は満足そうに頷く。
彼はスカイラー教の中でも頂点に立つ人物だ。
聖女の地位も大神官と同等とされてはいるが、実際にこの神殿を取り仕切っているのは大神官である。
「辺境の地では活躍されたと聞いております。さすがは聖女さまですね」
「いえ、わたくしは当然のことをしただけですわ」
シルヴィアが謙遜すると、大神官はますます笑みを深める。
「聖女さまは、まだお若い。理想ゆえに先走ってしまうのも無理はありません。ですが、あなたの使命を忘れてはならぬのです」
大神官の言葉に、シルヴィアは首を傾げる。
「わたくしの使命とおっしゃいますと?」
「それはもちろん、この国を救うことです」
大神官はそう言って微笑む。しかし、その目は笑っていなかった。
シルヴィアはその目を見つめ返しながら問いかける。
「この国を救うとは、どういう意味でしょうか?」
シルヴィアが尋ねると、大神官は笑みを深める。そしてゆっくりと立ち上がった。
「簡単なことです。あなたが王妃となり、神殿と王家の橋渡しをすればよいのです。そうすれば、神の加護は王家に届き、この国をさらに豊かにするでしょう」
にこやかに言われ、シルヴィアは眉をひそめる。
「つまり、夫となる国王を神殿の傀儡にし、私を王妃に据えて神殿の権力を増大させるということですね?」
シルヴィアが問いかけると、大神官は満足げに頷いた。
「さすが聖女さま、理解が早い。そのとおりです。あなたの使命はこの国を救うことなのです」
大神官はそう言って再び椅子に腰掛ける。
「さあ、あなたもおかけなさい」
大神官は、テーブルを挟んだ向かい側の椅子を示す。
シルヴィアは一瞬ためらったが、素直に従うことにした。そして、大神官と向かい合うように座ると、真っ直ぐに大神官の目を見つめる。
「それで? わたくしにどうしろとおっしゃりたいのですか?」
シルヴィアの問いに、大神官は笑みを浮かべる。
「簡単ですよ。二人の王子のうち、どちらかに嫁げばよいのです。どちらを選ぶかは、聖女さまの自由です」
己の寛大さを疑っていないような口調に、シルヴィアはため息をつく。
「あの王子たちが国王にふさわしいとお思いですか?」
シルヴィアが尋ねると、大神官は笑みを深める。
「もちろんですとも」
あっさりと頷かれ、シルヴィアは再びため息をつく。
「神殿が導くので、器量など関係ないということでしょうか」
シルヴィアが皮肉っぽく言うと、大神官は首を横に振る。
「いえ、王子たちにも器量はございます。ただ、神殿の加護があればより良い王となれるということです」
「なるほど……」
シルヴィアは再びため息をつくと、大神官の目を見つめる。
そして、静かに口を開いた。
「お断りいたします」
シルヴィアの言葉に、大神官は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻る。
「なぜでしょうか? これはあなたの使命なのですよ?」
大神官が尋ねると、シルヴィアは首を横に振る。
「確かにわたくしはこの国の聖女です。しかし、神殿の奴隷になる気はありませんわ」
シルヴィアが言い切ると、大神官は大きくため息をつく。
「やれやれ……辺境で羽を伸ばしている間に、ずいぶんとわがままになったようですね」
大神官の皮肉を聞いても、シルヴィアは表情を変えない。
「わたくしはもともと、わがままなのです。それに、次期国王にふさわしいというのなら、ベアトリクス王女が適任ですわ」
シルヴィアが王女の名を出すと、大神官は再び大きくため息をつく。
「ベアトリクス王女は、無理です。あの方には神を敬う心が欠けています」
返ってきた内容に、シルヴィアは首を傾げる。
「どういう意味でしょうか?」
シルヴィアの問いに、大神官は薄く笑ったまま答える。
「そのままの意味ですよ。あの方は神の教えを軽んじている節がある。そのような人物に国を任せるわけにはいきません」
大神官の言葉に、シルヴィアは考え込む。
神殿には保守派と革新派がいるという話は、以前聞いたことだ。ベアトリクスは革新派にあたるのだろう。
「では、神の教えとは何でしょうか?」
「神の教えとは、すなわち神のご意思です。我々はその教えに従い、この国を導いていくのです」
大神官の言葉に、シルヴィアは眉をひそめる。
「わたくしは、神の言葉を聞くことができます。しかし、神はいつもわたくしを後押ししてくださるだけ。そしてわたくしは、常に自分の心に従って行動してまいりました。それが神の意思に沿うことだと、わたくしは信じております」
シルヴィアがそう告げると、大神官は一瞬だけ苦渋に満ちた表情を浮かべる。しかし、すぐに元の笑顔に戻った。
「ふむ……やはり、呪われた男の側にいて、感化されましたか。聖女とあろうものが、なんと嘆かわしい……」
大神官は悲しそうに首を振る。
「呪われた男……マテウスさまのことですか?」
シルヴィアが尋ねると、大神官は頷く。
「ええ。あの男は呪われています。空を闇に染める悪魔の色を宿した髪。血のように真っ赤な瞳。そして、呪われた力……。あれは悪魔そのものです」
大神官の言葉に、シルヴィアは怒りをあらわにする。
「たかが髪や瞳の色で、呪われているなど……それこそ、神のご意思に背く行いではありませんか」
シルヴィアが反論すると、大神官は首を横に振る。
「いいえ、神のご意思とは神殿の教義のこと。つまりは神の教えです。その教えに背くものは、すなわち神の敵なのです」
もはや話が通じないようだ。シルヴィアはため息をつく。
「あなたのおっしゃりたいことはよくわかりました。しかし、それでもわたくしは自分の心に従います」
シルヴィアが宣言すると、大神官は眉根を寄せた。
「そうですか……やはり聖女さまは洗脳されているようですね。いいでしょう、ならばあなたを異端審問にかけることにしましょう。そうすれば、あなたのお心も変わるでしょう」
告げられた言葉に、シルヴィアは目を見開く。
「異端……審問……?」
「ええ、あなたを洗脳から解き放つためには仕方ありません。ご安心ください。命まで取るようなことはいたしません。ただ、少し苦痛を味わっていただくだけです」
大神官はそう言って、不気味に笑った。
シルヴィアは背筋がぞっとするのを感じる。しかし、すぐに気を取り直すと、大神官を睨みつけた。
「よいでしょう。わたくしは聖女です。洗脳などされていないと、証明してみせますわ」
シルヴィアがそう答えると、大神官は満足げに微笑む。
「それでこそ聖女さまです。ですが、耐えられなくなればすぐにおっしゃってくださいね。命まで取りはしませんが、あなたの心が壊れてしまうかもしれませんからね」
大神官はそう言って、シルヴィアに微笑みかける。
シルヴィアは無言で頷いた。
「では、神殿の地下にご案内しましょう。こんなこともあろうかと、準備していたのです」
大神官は立ち上がり、部屋の外へと歩き出した。シルヴィアはその後に続く。
逃げようと思えば、逃げられるかもしれない。
しかし、シルヴィアは立ち向かうことを選んだ。
聖女としての誇りと、マテウスへの想いを胸に、シルヴィアは大神官の後をついていった。





