11:天然猫水は口から出る……?
「お風呂、なんて無いのよね……」
そう柚香が溜息交じりに呟いたのは、ヴィート達の旅に同行して二日目の昼。
彼等の気遣いもあって歩き通しは苦でもなく、夜もテントの片方を柚香とニャコちゃん用にと借してもらっている。はじめての寝袋ではあるが不都合なく眠る事ができており、幸い、旅とはいってもそう苛酷な環境ではない。
……のだが、いかんせん衛生面だけは気になってしまう。
もちろん汗を掻いたままではない。水場を見つければタオルを濡らして髪や体を拭いているし、衣服だって洗っている。
一応の衛生は保てているはずだ。とりあえずニャコちゃんが露骨に避けたりフレーメン反応をしないあたり、まだ平気なのだと思う。やたらと嗅いでくるのもそれはそれで怖いが、今のところニャコちゃんの反応は普段通りだ。
「ニャコちゃん、私まだ平気よね。臭くないよね……」
大丈夫だよね? と柚香が尋ねれば、抱っこされていたニャコちゃんが『ウルルル』と返事をしてきた。
鼻をひくつかせている様子はないので、これはきっと大丈夫なのだろう。
だけど時間の問題かもしれない。いつニャコちゃんが露骨に避け、かと思えばやたらと執拗に嗅いできて、その挙句に口を半開きにしてくるか分からない。
そう考えていると「どうした」と低い声が聞こえてきた。
振り返ればブラッドがこちらに歩いてくる。手で雑に掻き上げた髪は濡れており、銀色の髪に溜まっていた水滴がポタと落ちた。
「おはよう、ブラッド。水浴びしてきたの?」
「あぁ、向こうに水場がある。今はリュカとルーファスが使ってるから二人が戻ってきたら使うと良い」
「ありがとう、そうするわ。……でもさすがに頭から浴びるのは無理かも」
思わず柚香が溜息を吐く。
水場を見つけるとブラッド達は頭から水を浴びていた。浅い川であっても大胆に水を被って体を洗うのだ。
柚香もそれに倣おうとしたのだが、森の中の水はやたらと冷たく、足先を入れただけで震えあがってしまった。あれを全身なんて浴びようものなら体が冷え切り、綺麗になる代わりに一日中寝袋に入って震え続ける羽目になるだろう。
ゆえにタオルを浸して体を拭っていたのだ。だけどやはり水を浴びてさっぱりしたい……。否、水ではなくお湯を浴びたい。
「水を汲んでニャコちゃんの火でお湯にするのはどうかしら」
「そういえば、ルーファスが以前に『聖獣は炎だけじゃなくて水や雷も操る』って言ってたな。聖獣様ならお湯も出せるんじゃないか?」
「……口から?」
パカッと開けたニャコちゃんの口からドバドバとお湯が出る様を思わず想像してしまう。
マーライオンや豪華なお風呂についているライオンの顔のようなものだろうか。だがさすがにニャコちゃんの口から出るお湯を浴びるのはあまり気乗りしない。
「でも『天然猫水』と考えればなんとかいける……? だけど生温いのはちょっと嫌だし、かといって冷たいなら意味がないし……」
「あんまり考え込むなよ」
「だって、私もさっぱりしたいのよ!」
限界! と柚香が声を荒らげた。
その瞬間……、
ブワッ、と柚香の体を中心に強い風が一度巻き上がった。
「な、なに!?」
思わず柚香が声をあげる。
ブラッドも驚いたようで、すぐさま無事かと尋ねてきた。
「なに今の……、風が……」
「おい、大丈夫か。何をしたんだ」
「それは私だって分からないわ。なんだか強い風が巻き上がって、それで……」
それで、と呟いて柚香は自分の身体を見下ろした。もっとも、腕にニャコちゃんを抱えているので体の殆どは見えないのだが。
ちなみにそのニャコちゃんはと言えば、一瞬の風に驚いた様子ではあるものの、柚香と目が合うと『ンー』と返事をして目を瞑った。ニャコちゃん的には驚きはしたが警戒する程のことではないのだろう。
「風は起こったが他に異変は無さそうだな」
「ブラッド、私……」
「どうした、何かあったのか?」
案じるようにブラッドが尋ねてくる。
それに対して、柚香はパッと顔を上げて彼を見上げた。
「私……、凄くさっぱりしてる!!」
◆◆◆
聖女の力は主には『癒しの力』、手をかざす事で怪我や病気を治療するという力だ。
仮にこれを平時の日本で聞いていれば『そんな馬鹿な話』と笑い飛ばしただろう。もしくは怪しい宗教にでも嵌ったのではと話し手を案じたかもしれない。だが実際に柚香は己の力を目の当たりにしているのだ。
そしてそんな『癒しの力』とは別に『浄化』というものもあるらしい。
これは不浄を払う力らしく、場や物を清めることが出来るのだという。
「つまり、その力で私は自分自身を清めた。……洗ったってこと?」
「その通りです。さすが柚香様! これで水を頭からかぶらなくて済みますね!」
素晴らしい! と褒めるのはルーファス。
彼もまたさっぱりとした顔をしている。これは水浴びをしたからだけではない。話を聞いても半信半疑な柚香に「ぜひ僕でその力を試してください!」と名乗り出たからだ。結果、彼もまた強めの風を浴び、さっぱりして今に至る。
「良かった。これでお風呂に入らなくても少しは楽になれる」
「柚香様、あの、僕にも『浄化』の力を使って貰えますか?」
「えぇ、もちろん良いわよ」
リュカの手に触れる。
そうして『浄化の力』について考えた瞬間、リュカの周辺に強い風が舞い上がった。
茶色の髪がふわんと揺れ、「わぁ!」と子供らしい歓喜の声があがる。
「凄いですね、ふわっとしました!」
そう答えるリュカの声は随分と楽しそうだ。
彼にとっては身を清める事よりも風を感じる楽しさの方が勝ったのだろう。風を受けて少し乱れた髪が無邪気な可愛さをより増させる。
そんなやりとりを見ていたヴィートが「さすがだな」と褒めてきた。
「これで水を節約できる。後で俺もお願いできるかな」
「任せて! これで少しは快適に過ごせるし、それに『天然猫水』を浴びなくて済むわ。ブラッドも後で浄化してあげるからね」
ようやく自分にもできることが見つかった。
そう柚香は喜んで、さっそくとヴィートとブラッドのために力を使うべく彼等に手を伸ばした。




