戦記86
アルザニア平原の戦いから二ヶ月を過ぎ、公国と共和国の和平会談は、経費の問題でもはや捕虜の面倒を見切れない公国と、敗戦後の総選挙で勝利した国内派が公約とした捕虜の早期帰還を目指す共和国との互いの利害が一致して講和会議へ昇格しての開催だった。
「二カ国間の交流は剣ではなく交易で行うことが望ましいと考えます。」
初回の会議冒頭でのルード伯爵の発言は、自領が共和国との貿易路に当たる利と共和国の侵攻の入り口となる害を勘案しての、総論として非戦が公国の利であると語る。
「我が国は民意の国であり、他国からの圧力を民衆に感じさせぬことが肝要となります。」
共和国の外交政策を百八十度転換させた国内派政権の新外務大臣は、公国にとって馴染みのない言葉を交えながら現在の自国の立場を説明した。
「ならば我が国と貴国との関係を改善する術はあるという事だな。」
共和国の方向転換を感じ取ったエヴァの言葉が契機となり、公国と共和国は前向きな姿勢で交渉を開始した。
共和国からは外務大臣を代表として文官は外務次官や財務次官らが、軍部は参謀本部参謀次長オルテス将軍他参謀級が並び、話は賠償金、国境問題、捕虜の取り扱いと移送、両国の交易再開と多岐にわたった。
すでにルード伯爵の根回しで共和国から内諾を得ていた内容は合意事項となり、調整中の議題は交渉の末に合意に至る。互いの主張で歩み寄れない議題は次回に持ち越しとなったが、その中で今後の両国の紛争を条約で回避するのか、代表同士の紳士協定で済ますのかについて、共和国は安全保障上の最重要事項である公国と帝国の軍事条約の密約を含めての有無が確認できていないため、最終決断できないでいた。
「我が国が懸念するのは貴国の保護を名目として大国が介入する事です。」
軍の最重要事項のため、オルテス将軍自ら口にして公国の反応を待つ。
「貴国の懸念は最もである。」
ルード伯爵の権限を超えるため公王代理の肩書きを持つエヴァが答える。ただしエヴァの話す内容は事前にルード伯爵と詰めた内容だった。
「想像通り此度も申し出はあった、が断わっておる。」
外務大臣はルード伯爵の様子からエヴァの勇み足ではないと理解したものの、ここまで発言するとは想像しておらず、公国側の意思を推理し始める。
「此度もですか。」
若干の溜め息は演技でも、オルテス将軍にとって対公国戦略の最も厄介な部分であるため心の中では本気で溜息をつく。
「他国が我が国に興味を持つたびに帝国が手を差し伸べようとするのでな、大変困っている。」
つまり公国に手を出せば、帝国が介入するぞと暗に示している。エヴァの言い回しからオルテス将軍をはじめ大多数の出席者はそう感じた中で、外務大臣は一歩踏み込んで目の前の少女と公国を試す事にする。
「殿下は今後とも帝国と軍事に置いて強固な関係を持つことは無いとおっしゃるのですね。」
紳士的な風貌と柔らかな物腰で数ヶ国語を操る外務大臣の、エヴァの言葉を逆手にとっての念押しに会議場に緊迫が走る。
「軍事という点では一切ない無い。我が国の領土に他国の軍が入ることは善意、悪意に関わらず望ましくない。」
帝国だけでなく他国全てとの軍事協定の拒否と取れるエヴァの発言は、外務大臣にとって外交的選択肢を減らす反面、対外伸張を望まない国内派には十分有益な回答だった。念のため外務大臣はルード伯爵の様子を覗うが、慌てた様子もないためエヴァの回答が公国の方針に沿っていると確認する。
それでも互いに非戦の協定を欲しながらも、まだ自らは口にはしない。外務大臣はエヴァが少なくとも脚本があればこのような配役を務めれる程度の能力は持っている、と理解した上で翌々日の二回目の交渉を約束して会議を終えた。
「そういえば共和国のある新聞で、黒策士の告白というものが掲載されておりました。」
会議が解散となり公国代表団が移動の馬車の準備が整うまでの間、外務大臣がエヴァへ自然と話を持ち出す。
「ほう、それはどのような。」
興味深げに尋ねるエヴァに、外務大臣は少し優越感を感じながら話したのは否めない。
「我が国の将軍が謀反のかどで勾留されたのはすべて黒策士の差し金だと。」
「よく調べられたな。その通りだ。」
大きくもなく、夜の晩餐の出席に同意するぐらいの気軽さでエヴァが答える。室内にいた全員の会話が止まる中で外務次官は恐る恐る尋ねる。
「お認めになるのですか。」
「認めるもなにも、かの軍師から新聞を使い貴国の世論というものを操作したとの報告を受けている。ファリス将軍であったか。一軍で三つの軍に匹敵する戦術家ゆえに、貴国が疑心暗鬼になる策を用いたと。」
「我が国への謀略をお認めになるのですか。」
外務大臣は話を続けるべきでは無かった。エヴァが余りに自然に話したため、外務大臣は謀を感知できなかった。
「貴国には全ての会談が終わりに、また両国にとって円満に会議が終わればだが、新聞記者による会見、というものがあるのであろう。その場でファリス将軍をこの窮地に落としいれたのは我が軍師であると述べるつもりだが。」
「お、お待ちください、殿下。」
唖然とする外務大臣に代わり外務次官がエヴァに留意を求める。同席した警備の将校が部下に目くばせを行いこの場から一人退出させる。同様に財務次官が秘書に耳打ちを行い去らせた。周囲の状況に気が付く余裕も無い外務大臣は、態勢を整えようと素早く頭を巡らせる。
公国側が発表しようとするのは、国内ではファリス将軍逮捕を強引に進めた拡大派の失態でも、対外的には共和国全体の間抜けぶりだった。対外戦争よりも国内政争を優先した議会、主流派と非主流派で争う軍部、そして利用された新聞業界、全てが黒策士の手のひらで踊った道化であると。
更には総選挙後に国内派の複数の議員からの勧告があったにもかかわらず、軍の中枢部に押し切られて其のままファリス将軍の勾留を続けた現政府にも非難が及ぶ。
「此度の策はあくまでファリス将軍の戦線からの離脱を狙ったもの。将軍を反逆罪に陥れる意図はなかった。我が国から真実を明らかにすれば貴国も対処頂けよう。」
「そ、それは。」
無論これを口実に交渉を優位にする策もあるが、突然の話で準備も閣僚と話す時間もろくに無い。外務大臣は旧知のルード伯爵を見るが、首を振られてはどうしようもなかった。
「その件につきましては色々と影響が大きいと考えますので一旦、お止め頂けないでしょうか。」
「貴国の事情があるのであれば、やぶさかではないが。」
あくまで次の交渉に向けて揺さぶりに使うための話題から、逆に窮地に追い詰められた外務大臣へ周囲から非難の視線が向けられる。それを感じながら外務大臣は屈辱の中でエヴァに礼を言うしかなかった。
「殿下、先ほどのは。」
宿舎となる屋敷に戻る公国交渉団一行が乗る馬車の中で、ルード伯爵はエヴァに唯一の脚本外の行動について説明を求めた。
「あやつからの密書に、共和国を揺さぶる話題の一つとして記されていた。」
「一言いただければ。」
「すまぬ。利用するつもりが無かったのでな。まさか向こうから切り出すとは思わなんだ。」
「まさか、新聞の告白というのは。」
「それは知らん。」
新聞に載った『黒策士の告白』がノエルの策であるか知らないエヴァは、間違いなく事実を答えた。ルード伯爵もそれ以上は追及しない。
「さようでございますか。して、それ以外には。」
ルード伯爵が気にしたのは他にも策があるのではとの心配で、的中したためエヴァは笑みを浮かべて答える。
「いっそのことファリス将軍を脱出させ、公国に引き込めとあった。出来ることなら第十一軍の幹部全部だと。」
「また共和国との戦争になりますぞ。」
「それはファリス将軍に迎え討たせれば良い。」
屋敷の玄関でルード伯爵の手を取り馬車から降りながら、なんの躊躇いもなくエヴァは告げると迎えの騎士の挨拶を受けながら屋敷に入る。
「お戯れを。」
冗談として処理することにしたルード伯爵に、エヴァは付け加えた。
「歩兵主体の兵力で竜騎士団と五分に渡り合う才は本物だ。貸しを作るのもよかろう。」
それには頭を下げただけで、ルード伯爵はこの後の首相主催の晩餐会に向かう時間を告げる。頷いたエヴァが自室へと向かう姿を見送りながら、この使節団の形式上の上役に対してルード伯爵は呟く。
「あの臣下にしてこの主か。」
夕闇が夜にとって変わられる寸前に、エヴァは公国軍第二正装で首都中心にある首相官邸での晩餐会に現れる。軍装なのはルード伯爵と打ち合わせて次の交渉に向けての強気な姿勢を崩さないためだったが、エヴァが美少年とも受け取れる風貌に高貴な雰囲気を纏わせていたため、共和国の出席者の中から見惚れる者が続出した。
「公国の戦女神と名高い殿下にお会いでき光栄です。」
「共和国の賢人と知られる貴殿と会えて嬉しく思う。」
互いの腹は別にして一国の代表と代表代理は和かに挨拶を交わす。平民のみの国である共和国でも賓客に対する礼儀はある。身分制度が国の根幹である公国でも一国の長ともなれば平民出身でも貴人として扱う。
「しかし先ほどから殿下のお姿に熱い視線が途切れませんな。私などただの置き物扱いですな。」
「なに、もの珍しさの延長であろう。それより先程から貴殿の知性にあてられて我が若輩さが身に染みているところだ。」
会が進む中で、互いに褒め合いながら相手から言葉を多く引き出そうとする。
「公国の歴史の深さには敬意を覚えます。それに引き換え我が国はまだ浅い。」
「貴国からは自らの力で勝ち取ったという自負を感じる。活力あり羨ましいことだ。」
裏を勘ぐれば一方は相手を年寄りと、もう一方は若造だと揶揄している。そう取る向きもありながら、首相は公国の意思を確認するために一歩踏み込む。
「殿下と同じ歳の娘が私にいます。親としては普通の人生を望みところです。」
「貴国の、いや貴殿の普通とは。」
「少なくとも夫や子が異国で死に涙を流す事がない人生です。」
「その点については貴殿とは判りあえそうだな。」
もとは共和国の学府で教鞭をとり歴史や哲学を教えていた首相は、政界の拡大派や急進派の軍事的冒険に警鐘を鳴らし、一時期は教壇を追われた。学生と元学生の圧倒的な支持により教壇に復帰した首相は、国内派の教え子である議員に請われて政治顧問となり政界に身を投じて今ここにいる。
「共和国は革命の余韻を知る者がまだおり、それゆえ剣による正義を信奉することも無理ないのですが。」
王国末期と共和国建国初期に流れた血は数十万でも収まらない。その記録を知るだけに首相は人知による戦の制御を望む。
「私の望みは貴殿より小さく我が公国の安寧のみ。それには公国軍が戦わない事が一番であり、ましてや外征など二度と必要ないと悟った。」
「その点については殿下と同じかと思います。」
対帝国同盟から公国包囲戦までの間に両国が得たものは何もなく、失ったものの方が大きい。全てではないにしろエヴァと首相は共通の価値観があり、互いの考えを隔絶する壁が無いことを知る。二人の間に講和への道筋が見えたところで晩餐会は終わり、エヴァは首相と会議の成功を誓いあって別れた。
二回目の会議では共和国側は予定を変えて首相が出席した。晩餐会で良好な感触を得た首相の判断で一歩踏みこんだ関係を構築するためだった。身分制度を維持する公国との関係をどうするか、政府内の調整で激しい議論があったものの、最終的には若き皇帝の登竜が確定した帝国への対策として公国との友好関係は急務だと判断された。
共和国の期待に応えるかたちで公国が提示したアルザニア城塞の完全破棄と跡地に寺院を立てる案は、共和国に和平への明確な意志表示と受け取られ、両国間でアルザニア平原の非武装化及び両国間の街道の五百名以上の部隊の移動制限の条約が結ばれることとなった。
なお国境地帯の完全非武装化は治安維持や商隊警護があり難しいため、移動制限とする案に落ち着いた。実はこの移動制限案はノエルからエヴァへの助言の一つに含まれており、両国の関係者がその真の狙いを知るには年単位での年月が必要だった。




