戦記85
「殿下、かの者より使いが参っております。」
御前会議から直接黒バラ騎士団の本部に来たエヴァは、早馬を出す直前だった騎士長から報告を受ける。こちらはエヴァの気分とは関係なく密使であったため、騎士長は名前を出すのは控えた。
「会う。」
短い返事で優先度を理解した騎士長はエヴァに確認する。
「地下室で。」
「いや謁見室だ。」
重要度も理解した騎士長ハイラントは部下に段取りを命じながら、若干早足で執務室へと消えるエヴァを笑みを浮かべながら見送った。
謁見室の扉が開きノエルと専属契約を結ぶ密偵派遣組織『屋根裏』の黒猫が、二名の騎士に連れられて入ってくる。黒猫は真近で見たエヴァに対して畏まる振りをしつつ器量を計る。ノエルが陰だとすれば、その主人は陽だと黒猫は判断した。同時にエヴァの人の上に立つ者としては認めたものの、策謀や工作などの裏の仕事に対しては潔癖ではないかと予想する。
本当に策謀を告げて良い相手なのか、ノエルの依頼と同時に自身の希望が達成できるか。
エヴァを前にして隠しているものの心穏やかにはなれない黒猫が、そもそも公国にいる経緯は一週間前にさかのぼる。
「では、この書状を持って公都に向かってくれるか。黒猫よ。」
押しかけてきた共和国の元軍人ミュレアを丁重に送り出した翌日、ノエルは執務室に籠って書状を書きあげた。破り捨てた紙は十数枚、完成した書状を二度推敲したノエルがハイネスしかいない部屋で黒猫の名を呼ぶ。
「共和国の将軍の件でしょうか。」
「そうだ。これに例の件が含まれている。」
十数えることなく現れた密偵相手に剣を構えたハイネスと異なり、背後から声を掛けられたにも関わらず振り向きもせず平然と話続けるノエルに対して、豪胆なのか鈍感なのか黒猫は未だに判断つかない。ノエルにしてみれば黒猫が邸内に潜伏しているのは事実なので、突然現れようが急に声を掛けられようが存在している者が現れたという認識だった。
ノエルが軟禁されている邸宅に雇われ密偵の黒猫が現れたのはほんの数日前、共和国での工作の報告と契約の更新について雇い主と会うためだった。
黒猫は新聞記者という身分を手に入れるため、共和国首都のとある宿屋で働く子持ちの未亡人に目を付け口説き落として家族となった。二週間後には妻子持ちの身元確かな人物ヒーリングとして黒猫は新労働新聞社に潜り込み、編集長を焚きつけて編集方針を変えさせ世論操作を行った。
共和国侵攻軍の敗北後はいち早く姿を消して内務省情報局の内偵から逃げ切った黒猫は、組織の仲間から偽装結婚相手が憲兵隊に連行され、幼い娘が孤児院に入った事を知る。
騙されて何も知らない女を情報局が取り調べをしても、結局は何もでずに解放されるはず。それが憲兵隊に拘留され続け尋問を受ける日々の裏の事情をミュレアの訪問により知った黒猫は、ノエルに契約の解除を申し出る。
「救出は駄目だ。貴様が掴まる危険がある。」
混乱気味の共和国の国境の出入りならともかく、憲兵隊本部から人一人の救出など『屋根裏』の組織網を利用しても難易度が高く、ましてやファリス将軍を陥れるための証人に使われる予定の生贄を黒猫一人で助け出す事など失敗する可能性が高い。このままでは黒猫が捕縛される危険があると判断したノエルは、同時に黒猫の意思が固いとみると仕方なくファリス将軍の件と合わせて公国側で対処する事でなんとか説き伏せた。
ノエルは丸めた書状の表に筆を入れるとハイネスに渡す。ハイネスは結局受け取ったままのダロワイヨ家の紋章入りの指輪を使い、書状に蝋封を施すとノエルに返す。
「必ず公女殿下に直接渡せ。帝国で検閲を受けそうならマグオリンの名を、公国なら殿下の名前を出して開封させるな。」
「閣下の名前では。」
「逆に怪しまれる。」
自分の悪名を理解しているノエルだが、ふと別の解釈を付け加える。
「どうしても開こうとする者がいれば言ってやれ。書状の内容を知ったら命の保証は無いと。」
「穏便に済ませる気を疑われます。」
「ならば以前、黒策士の書状一つで血を血で洗う惨劇が起きたとでも説明しろ。」
ハイネスは黒猫の雰囲気が変わった事でさりげなく位置取りを変える。
「冗談が過ぎます。」
「冗談ではないからな。」
ノエルの言葉の意味を理解した黒猫は、それでも感情を表に出さない。
「貴様にとって共和国の将軍などどうでもいいだろう。貴様の家族、といっていいのか知らんがその命綱として扱え。」
「確かに仰るとおりかと。」
「ではいけ。」
「はっ。」
書状を懐に入れた黒猫が消え、気配が完全に無くなると緊張を解いたハイネスが微笑ながらノエルを褒める。
「お優しいですね、閣下は。」
「今回は奴の働きで公国が勝利を得た。屋根裏を今後も使う上での特別褒賞だよ。」
「はい、そうでした。」
ハイネスはノエルの素っ気ない言葉に返事をしながらも、指輪を撫でながら偽悪趣味を持つ少年の表情をみて微笑んでいた。
書状を託された黒猫は万難を排して公国黒バラ騎士団本部に辿り着き、エヴァとの謁見の場に臨む。名乗りと身元確認が行われた後、エヴァ直々に黒猫へ問いかける。
「わざわざ黒バラ騎士団で私と会うという事は、公国政府には内密にしたいことか。」
「はっ。」
「ダロワイヨ男爵の命令か。」
「こちらを殿下に直接お渡しせよ、との命であります。」
衣服や持ち物の改めは済んでいるものの、黒猫が懐から取り出した銀の筒は厳しい監視の目のなか開けられ、中から丸められた書状が慎重に取り出される。銀の盆の上で広げられた書状に目を通したエヴァは、しばらく考え込み黒猫への問いかける。
「貴様が残してきた妻子、いや偽装であるならそう呼ぶのはふさわしくないか。この共和国の親子に嫌疑がかかり、尋問を受けることは判っていたであろう。」
「仰せの通り。ただここまで厳しいとは思いませんでしたが。」
「何故いまさら助けようとする。」
「二人は経歴を詐称するための道具であります。調べられてもすぐに解放されるはずが、共和国の政府と軍部の謀略で憲兵から執拗に取り調べを受けております。万が一、細かな証言から私の正体が判明して今後の仕事に影響が。」
「ノエルより私の取り扱いについて聞かなかったか。」
黒猫は自分の話を遮ったエヴァの言葉に、負の感情よりも強いものを感じて黙る。
「貴様は初めてゆえ、もう一度聞く。何故いまさら助けようとする。」
自分よりも若い、若過ぎるはずのエヴァからただならぬ気配、間違いでなければ殺気を受けて黒猫は周囲を探る。案山子と思ったエヴァの左右の騎士と自分の背後に扉に位置する二名の騎士が、主君の声に反応して身構えているのを感じとった。
「公国であの女の機嫌を損ねるな。」
黒猫は以前に聞いたエヴァに関するノエルの忠告の意味を知った。策士に操られるお飾りどころか、血を厭わない苛烈さ。黒猫は背中に汗を感じながら最適な一言を探して答える。
「あの二人に幸せになって欲しい。」
口にした黒猫が驚いた。借りがあるから後味が悪いから、エヴァのような者を騙す言い訳ならいくらでもあるはずなのに、黒猫は何故か心の奥底の隠すべきものを言ってしまった。
「よかろう。」
さっきまでの気配が嘘のように消え、エヴァが破顔する。
「貴様の妻と子は公国で引き取ろう。」
エヴァの変貌により周囲の騎士達からの威圧感も消え、黒猫は安堵しつつも利用した親子との関係は訂正する。
「いえ、二人は妻でも子でもありません。」
「お主が善人でよかった。悪人であれば貴様の首を土産にその親子を救うところであったぞ。」
黒猫の言葉を無視して、エヴァは同じ笑みのまま告げる。その言葉に嘘は無いと感じた黒猫は、エヴァがノエルの主人たる理由を理解すると深々と頭を下げるのだった。
「オーリン。あの男を護衛の騎士として共和国に連れていく事は可能か。」
エヴァは謁見室から執務室へ移動する間に、同行する副団長のオーリンに質問する。ノエルがいないため、エヴァからのこのような相談は副団長で年長のオーリンが受け持っていた。
「恐らく交渉団の随行者の人選は宰相閣下とルード伯爵の裁量になるかと。」
オーリンから護衛は親衛隊が行う可能性が高いと聞き、エヴァは黒猫を紛れ込ますには無理があると知る。
「子はともかく、奴の妻が本物か偽物か判断できる者が居ないとな。」
共和国から引き渡された者が偽物で密偵や暗殺者の可能性も考慮しなければならない。またノエルの書状には、この妻子の件が黒猫の芝居の可能性も記載されていた。
「目の届く場所に置きたいが。」
「であれば、ノエルの密偵であると正直に宰相閣下に話されてはいかがでしょうか。」
オーリンの提案はエヴァの虚をつくもので、考えれば最も穏便に同行させやすい内容だった。
「ふっ、いかんな。あの男と一緒にいたお陰ですぐに策を弄しようとしてしまう。」
笑ったエヴァだがすぐに真面目な顔となると、オーリンと連れ立って執務室へと入る。
「宰相殿へは私が話すとして、黒バラ騎士団の騎士として連れていく事は可能か。」
「殿下の直属として随行は四名が限度のため、連れて行くのは無理でしょう。」
「なら私の書記官として同行させよう。」
「それが、よろしいかと。」
オーリンの同意を得て、エヴァは黒猫を書記官補佐として随行させるための命令書を作成する。
「これで黒猫の身分を整えさせろ。」
「畏まりました。」
オーリンが命令書を受け取り執務室から退室すると、残ったエヴァは自分の決裁が必要な書類に手を付ける。書類の作成者は殆どが軍務補佐官エンリッヒで、軍務局の管轄になったガルム街道の警備に関わる事務処理の他に人員不足の黒バラ騎士団の業務の大部分を肩代わりしていた。
「しかし、つくづくあの男の仕事は無茶苦茶過ぎる。」
ノエルがいた頃はエヴァは報告を聞き、その場で口頭で了承や同意するか却下するだけでよかった。今は机に積みあがる書類を、時間を掛けて目を通した上で認可と非認可の判を押す必要があり、これに軍務局には内密なノエルが投げ出した仕事を加味すれば一日書類に埋もれる事も珍しくない。
「東域の小王国の穀物の価格だと。」
「共和国の主要な新聞の調査報告か。」
「都市連盟の艦隊一覧など何に使うのか。」
ノエルの帝都拉致後も集まる情報の整理と進めていた策の承認など、誰に相談することもままならない業務をエヴァは独断と偏見でこなしていく。
「南方帝国の諸事情か。あの熱い大陸にまでが興味の対象とはな。」
公国が属する中央大陸から内海を経て南に位置する南の大陸は風土も文化も異なり、現在の最大勢力である南方帝国は異国として知られているだけで大抵の者にとって謎である。
「全てを見通すとはここまで面倒なものか。」
ノエルの膨大な量の後始末に嘆息しながらも、エヴァは黒策士の策謀の痕跡を楽しみつつ政務に励んでいた。




