【Another Page】マリサ・ソヴェール ―にがいお茶―
これは、『醜いあひるのお姫様~誰にも選ばれない私を、氷の騎士だけが見つけてくれました~』に登場する、マリサ・ソヴェールが十二歳のころのお話です。
姉と一緒にいることを、少しだけ恥ずかしいと思っていた夏の日。
ひとつの病と、にがいお茶をきっかけに、マリサが初めて「人を思いやる」ということを見つめなおしたお話です。
エステリアの王宮の庭は、夏のはじめが、いちばん美しい。
薔薇の垣根が、白と淡い紅の花でうずまる。噴水のまわりの花壇には、名前も知らない青や黄色の花が、ひしめきあうように咲いている。風が吹くたびに、甘い匂いが、回廊の奥まで流れてくる。
その庭を、マリサは、早足で歩いていた。
十二になったばかりだった。
淡い色の巻き毛を、お母様が選んだ淡い杏色のリボンで結んでいる。ドレスも、杏色だった。今日は、お母様の茶会に、貴族の令嬢たちが何人も招かれている。
マリサの、少し後ろを、もうひとりが歩いていた。
黒い髪を、飾りもなくひとつにまとめた、ふくよかな女。
姉だった。
第一王女、アヤ。
マリサは、歩く速さを少しだけ上げた。
後ろの足音が、ついてこられずに遠くなった。
薔薇の垣根の向こうの東屋で、令嬢たちが扇をひらいて、こちらを見ていた。
「まあ、マリサ様。今日も、なんてお可愛らしい」
「杏色が、よくお似合いですこと」
マリサは、ドレスの裾をつまんで膝を折った。
令嬢たちの目が、マリサの肩越しに後ろへ動いた。
扇の陰で、誰かがくすりと笑った。
誰かが、何かをささやいた。
あひる、という言葉だけが、マリサの耳に届いた。
マリサは、振り返らなかった。
振り返れば、姉を気にしていることが令嬢たちに知られてしまう。
マリサは、いちばん奥の椅子にさっさと腰を下ろした。
しばらくして、アヤが東屋の入り口に着いた。
少し、息が上がっていた。
アヤは、令嬢たちにひとりずつ、ていねいに挨拶をした。扇の陰の笑い声にも、何も気づかないような顔をして。それから、空いていたいちばん端の椅子に座った。
マリサの席からは、いちばん遠い椅子だった。
マリサは、そちらを一度も見なかった。
焼き菓子を、ひとつ口に入れた。
甘いはずの焼き菓子が、なぜか少しも甘くなかった。
* * * * * *
その夜から、マリサは熱を出した。
はじめは、ただ、身体がだるいだけだった。次の朝には、起き上がれなくなった。その次の日には、自分がどこにいるのかも、よくわからなくなった。
侍医が、何度も呼ばれた。
お母様が、寝台の脇で泣いていた。
熱は、下がらなかった。
夜が、ひどく長かった。
身体じゅうが熱くて、骨の奥まで痛かった。目を閉じると、天井がぐるぐると回った。夢と、そうでないものの境目が、わからなくなった。
その長い夜のどこかで、マリサは、額に冷たいものが当てられるのを感じた。
水で絞った布だった。
布がぬるくなると、すぐにまた冷たいものに替えられた。何度も、何度も。
それから、誰かの手が、マリサの背中に回って身体を少しだけ起こした。
唇に、温かい杯が当てられた。
「マリサ。ひと口だけ、飲んで」
やわらかな声だった。
マリサは、言われるままに、ひと口、飲んだ。
ほんのりと甘くて、少しだけ草の匂いがした。
喉の奥が、すうっと楽になった。
それから、また寝台に寝かされた。
誰かが、寝台の脇で何かを小さく口ずさんでいた。子守唄のような、ゆっくりとした節だった。
お母様だろう、とマリサは思った。
お母様が、ずっとついていてくださるのだ。
マリサは、その歌を聴きながら、また、熱い眠りの中へ落ちていった。
* * * * * *
三日目の夜も、熱は下がらなかった。
王宮の東の廊下の、いちばん端の部屋に、夜更けまで灯りがともっていた。
王宮図書館の、薬草の棚から運びこまれた本が、机の上に、何冊も積み上げられていた。頁のあいだに、細く裂いた紙がいくつも挟まっていた。
その机に、アヤが向かっていた。
片手でペンを走らせながら、片手で、乾いた花を指先でつまんでは、小さな秤に載せていた。
カモミール。菩提樹の花。ノコギリソウ。ほんの少しの、ペパーミント。
熱を下げる。汗を出させる。眠りを深くする。喉を楽にする。
古い薬草の本に書かれていることを、ひとつずつ確かめて、紙に書き写していく。量を変えて、配合を変えて、また書き写す。
この三日、アヤは、ほとんど眠っていなかった。
侍医は、熱が下がらないのは病がまだ身体の中で暴れているからだと言った。薬は、出してある。あとは、本人の力しだいだ、と。
アヤは、その「あとは」のところを、ただ待っていることができなかった。
侍医に、処方した薬と一緒に飲ませても差し支えない草を確かめた。その中から、熱に苦しむ妹が少しでも眠れるようなものを選んで、お茶にした。 夜のあいだ、侍女たちが休んでいる時刻に、それを持って、マリサの部屋へ通った。お母様は、昼のあいだ、ずっと泣き通しで、夜にはもう起きていられなかった。
額の布を替えた。
お茶を、ひと口ずつ飲ませた。
眠れない妹のそばで、小さく歌を歌った。
それでも、熱は下がらなかった。
四日目の夜更け、アヤはペンを置いた。
机の上の書き散らした紙を、長いあいだ見下ろしていた。
それから、燭台を一本だけ持って部屋を出た。
* * * * * *
王宮の礼拝堂は、夜になると誰もいなくなる。
高い天井の下に、祭壇の蝋燭の火だけが細く揺れていた。
アヤは、いちばん後ろの長椅子の脇に膝をついた。
手を、組んだ。
王宮図書館で、これまで何冊もの本を読んできた。祈りが熱を下げるなどと書いてある本は、一冊もなかった。
それでも、アヤは手を組んだ。
もう、本には、何も書いていなかったから。
「どうか」
声にはならないくらいの、小さな声だった。
「マリサの熱を、わたくしに、うつしてください。……あの子のかわりに、わたくしに」
祭壇の蝋燭が、ゆらりと揺れた。
「わたくしは、丈夫ですから。……あの子は、細いから」
アヤは、組んだ手に額を押しあてた。
長いあいだ、そうしていた。
礼拝堂の脇の小部屋で、夜の灯りの番をしていた年老いた堂守が、その小さな背中を黙って見ていた。
堂守は、声をかけなかった。
ただ、第一王女が立ち上がって礼拝堂を出ていくまで、祭壇の蝋燭が消えないように見守っていた。
* * * * * *
五日目の朝、マリサは目を覚ました。
窓から、朝の光が差しこんでいた。
天井が、回っていなかった。
身体が、軽かった。
喉が、からからに渇いていた。
「……おみず」
かすれた声で言うと、寝台の脇でお母様が、はっと顔を上げた。
お母様は、マリサの額に手を当てた。
それから、両手で顔を覆って泣きだした。
「下がった……下がったわ……」
侍女たちが、廊下を走った。侍医が呼ばれた。お父様が、執務の途中で駆けつけてきた。ミエ姉様が、戸口からそっと顔をのぞかせた。リカが、侍女の止めるのも聞かずに寝台に飛び乗ってきた。
侍医は、マリサの脈をとって、深くうなずいた。
「峠を越えられました。もう、ご心配はいりません」
お母様が、侍医の手を取って、何度も礼を言った。
マリサは、枕に頭をあずけたまま、部屋の中を見回した。
お母様。お父様。ミエ姉様。リカ。侍医。侍女たち。
ひとり、足りなかった。
マリサは、少しだけ首をかしげた。
それから、すぐにそのことを忘れた。
リカが、マリサの手を握って、わんわん泣いていたので。
* * * * * *
その日の昼過ぎ、侍女がマリサの部屋に、粥を運んできた。
その侍女が、粥の盆を置きながらぽつりと言った。
「アヤ様が、今朝からお熱を出されまして」
マリサの匙が、止まった。
「……お姉様が?」
「はい。お部屋で、伏せっておいでです。侍医の先生は、お疲れが出たのだろうと」
侍女は、言いにくそうに、言葉を継いだ。
「アヤ様は、この四日、ほとんど、お休みになっていらっしゃらなかったので」
マリサは、侍女の顔を見た。
「どういうこと」
侍女は、少し迷うように目を伏せた。
「夜のあいだ、ずっと、マリサ様のおそばにいらしたのは、アヤ様です。額の布を替えて、お茶をお飲ませして。……王妃様は、昼間のお疲れで、夜はもう、お休みになっていらしたので」
マリサは、何も言えなかった。
額に当てられた、冷たい布。
背中に回された、手。
唇に当てられた、温かい杯。ほんのりと甘くて、少しだけ、草の匂いのするお茶。
寝台の脇で、小さく口ずさまれていた、子守唄。
お母様だと思っていた。
お母様では、なかったのだ。
マリサは、粥の匙を盆の上に置いた。
それきり、ひと口も食べられなかった。
* * * * * *
夕方、マリサは侍女の目を盗んで、寝台を抜け出した。
まだ、足もとがふらついた。壁に手をつきながら、東の廊下をいちばん端まで歩いた。
姉の部屋の扉は、少しだけ開いていた。
中をのぞくと、寝台の上で、姉が眠っていた。
頬が、赤かった。額に、汗が浮いていた。息が、浅く速かった。
マリサが、四日のあいだ、そうだったように。
寝台の脇の机の上に、本が何冊も積み上げられていた。
マリサは、足音を殺して机に近づいた。
薬草の本だった。どの本にも、細く裂いた紙が、何本も挟まっていた。
机の上には、紙が、何枚も散らばっていた。
マリサは、一枚を手に取った。
姉の字だった。
小さくて、きちんとした字。ところどころ、ほんの少しクセのある字。
――一日目の夜。カモミールひとつまみ、菩提樹の花ふたつまみ。蜂蜜ひとさじ。半分飲む。
――二日目の夜。ノコギリソウを足す。苦いと嫌がる。蜂蜜をふやす。全部飲む。
――三日目の夜。熱、下がらず。ペパーミントを少し。喉が楽そう。歌うと、眠る。
――四日目の夜。熱、下がらず。
その下に、何も書いていなかった。
四日目の夜のところだけ、ペン先が、紙に小さな染みをつくっていた。
何かを書こうとして、書けなかったように。
マリサは、紙を胸に押しあてた。
姉が、何を書こうとしたのか、わからなかった。
わからなかったのに、目の奥が熱くなった。
* * * * * *
部屋を出て、廊下の角を曲がったところで、マリサは、年老いた堂守と鉢合わせをした。
礼拝堂の、夜の灯りの番をしている老人だった。祭壇の蝋燭の替えを抱えて、礼拝堂へ戻るところらしかった。
堂守は、マリサを見て目を細めた。
「マリサ様。お熱が、下がられたそうで。……ようございました」
それから、東の廊下のいちばん端の扉のほうを、ちらりと見た。
「アヤ様の祈りが、届いたのでしょうな」
マリサは、足を止めた。
「……お姉様の、祈り?」
堂守は、しまった、という顔をした。
少し迷って、それから声をひそめた。
「ゆうべの夜更けに、アヤ様が、おひとりで礼拝堂にいらっしゃいまして。……妹君の熱を、自分にうつしてくださいと。あの子のかわりに、自分に、と」
マリサは、息を止めた。
「わたくしは丈夫だから、あの子は細いから、と、おっしゃっておられました」
堂守は、蝋燭の束を抱えなおした。
「ほかの方には、内緒にしてさしあげてくださいましね。アヤ様は、どなたにも、知られたくないご様子でしたから」
堂守が、礼拝堂のほうへ去っていったあとも、マリサは、廊下の角に立ちつくしていた。
わたくしは、丈夫だから。
あの子は、細いから。
マリサは、自分の手首を見た。
細い手首だった。
茶会のとき、令嬢たちが、可愛らしいと褒めてくれた手首だった。
姉の手首は、太かった。扇の陰で、あひる、と笑われる身体だった。
その身体で、姉は、妹の熱を引き受けると言ったのだ。
誰にも、知られないように。
* * * * * *
次の日の朝早く、マリサは王宮の庭に出た。
寝間着の上から、肩掛けを一枚だけ羽織って。
手に、姉の机から持ち出した紙を一枚、握りしめていた。
夏のはじめの朝の庭は、露で濡れていた。薔薇の垣根の向こうに、厨房の裏手の、小さな薬草の畑があった。庭師が、王宮の台所のために香草を育てている畑だった。
マリサは、その畑に一度も入ったことがなかった。
王女が、土の上を歩くものではない。ドレスが汚れる。手が荒れる。
お母様に、そう言われて育った。
マリサは、畑の縁で、少しだけためらった。
それから、柔らかな土の上に足を踏み入れた。
室内履きが、土にめりこんだ。
マリサは、紙を広げた。
――カモミール。白い花びら、黄色いまんなか。
畑の端に、小さな白い花が、いっぱいに咲いていた。
マリサは、しゃがみこんで、その花を、ひとつずつ、指で摘んだ。
――菩提樹の花。
菩提樹は、畑の脇に、大きな木が一本立っていた。花は、マリサの背丈よりずっと高いところに咲いていた。
マリサは、背伸びをした。届かなかった。
跳んだ。届かなかった。
三度目に跳んだとき、枝の先が、指に触れた。花が、いくつか、ぱらぱらと落ちてきた。
マリサは、それを土の上から拾い集めた。
――ノコギリソウ。葉がぎざぎざ。
ぎざぎざの葉は、畑のあちこちにあった。どれがそうなのか、わからなかった。
マリサは、いちばんぎざぎざしている葉を、思いきってつかんだ。
指先に、ちくりと、鋭い痛みが走った。
「いたっ」
思わず、手を離した。指先が、みるみる赤く腫れてきた。
畑の向こうから、朝の水やりに来た庭師が、目を丸くして駆けよってきた。
「マ、マリサ様! それは、イラクサでございます!」
マリサは、腫れた指先を見下ろした。
涙が、にじんだ。
痛いからでは、なかった。
姉は、四日のあいだ、毎晩、これをひとりでやっていたのだ。
本を読んで。どの草が熱に効くのか、調べて。量を量って。配合を変えて。妹が、苦いと嫌がれば、蜂蜜をふやして。
誰にも、頼まれずに。
誰にも、知られずに。
マリサは、袖で、ぐいと目もとを拭った。
それから、庭師を見上げた。
「……ノコギリソウは、どれ?」
庭師は、目を瞬いた。
「は、はい。こちらの、この、羽根のような葉のものが……」
「教えて」
マリサは、言った。
「どれが、どれなのか。全部、教えて」
* * * * * *
厨房の隅を借りて、マリサは、生まれて初めて、お茶を淹れた。
姉の紙に書いてあったとおりに、摘んできた草を、ひとつまみずつポットに入れた。
ひとつまみが、どれくらいなのかわからなかった。
少ないと効かない気がして、多めに入れた。
湯を注いだ。
厨房の料理番が、心配そうに横からのぞきこんでいた。
しばらく待って、杯に注いだ。
濃い、黄色い色をしていた。
マリサは、ひと口、味見をした。
顔を、しかめた。
苦かった。
舌の奥が、きゅっと縮むほど、苦かった。
姉が飲ませてくれたお茶は、ほんのりと甘くて、少しだけ草の匂いがするだけだった。
マリサは、蜂蜜の壺を取った。
ひとさじ、入れた。
味見をした。
まだ、苦かった。
もうひとさじ、入れた。
まだ、苦かった。
マリサは、蜂蜜の壺を、しばらく見つめた。
それから、杯を盆に載せた。
* * * * * *
姉の部屋の扉を、そっと押した。
寝台の上で、姉が目を開けていた。
熱で、目がうるんでいた。
戸口に立っているマリサを見て、姉は目を瞬いた。
「……マリサ?」
かすれた声だった。
「まだ、寝ていなくちゃ。……熱が、下がったばかりなのに」
マリサは、何も言わずに、寝台の脇まで歩いていった。
盆を、机の上に置いた。
それから、姉の背中に手を回した。
姉の身体は、重かった。
マリサの細い腕では、少ししか起こせなかった。それでも、マリサは歯を食いしばって、枕を背中に押しこんだ。
姉が、驚いた顔でマリサを見ていた。
マリサは、杯を姉の唇に当てた。
「……ひと口だけ、飲んで」
姉の目が、見ひらかれた。
それから、言われるままに、ひと口、飲んだ。
姉の眉が、ほんの少しだけ寄った。
マリサは、うつむいた。
「……にがいでしょう」
姉は、答えなかった。
杯を、マリサの手から、そっと受け取った。
そして、もうひと口、飲んだ。
もうひと口。
マリサが、顔を上げたときには、杯は空になっていた。
姉は、空の杯を、両手で包んだまま、マリサを見ていた。
「……マリサが、淹れてくれたの?」
マリサは、うなずいた。
「庭で、摘んできたの。お姉様の、紙に書いてあったとおりに。……でも、ひとつまみが、わからなくて」
姉の目が、マリサの手に落ちた。
赤く腫れた、指先に。
姉は、空の杯を、膝の上に置いた。
それから、マリサの腫れた指先を、熱い両手でそっと包んだ。
「……イラクサね」
マリサは、こくりとうなずいた。
姉の目尻が、ゆるんだ。
「とても、苦かったわ」
マリサの肩が、びくりと揺れた。
「でも」
姉は、マリサの指を包んだまま、言った。
「今まで飲んだお茶の中で、いちばん、効きそう」
マリサは、姉の顔を見た。
熱で赤い頬。汗に濡れた額。ひとつにまとめた黒い髪がほつれて、首筋にはりついていた。
扇の陰で、あひる、と笑われる顔だった。
茶会の東屋で、いちばん遠い椅子に座っていた顔だった。
マリサは、その顔から、目をそらさなかった。
「……お姉様」
「なあに」
「明日も、淹れてくるわ」
姉は、少し驚いたように目を瞬いた。
マリサは、続けた。
「明日は、もっと、上手に淹れる。……だから、ひとつまみが、どれくらいなのか教えて」
姉は、しばらく、マリサを見ていた。
それから、マリサの指を包んでいた手の片方を、そっと離した。
その手を、マリサの頭の上に、ぽん、と置いた。
「ひとつまみはね、親指と、人さし指と、中指の、三本の指先で、つまめるだけ」
熱い手だった。
「それから、蜂蜜は、最後に入れるの。お茶が、少し冷めてから。……熱いうちに入れると、蜂蜜の、いいところが、逃げてしまうから」
マリサは、うなずいた。
頭の上の、姉の手が重かった。
重くて、温かかった。
マリサは、うつむいた。
寝台の毛布の上に、ぽたり、と、しずくが落ちた。
姉は、何も言わなかった。
ただ、頭の上の手を、ゆっくりと動かした。
* * * * * *
姉の熱は、三日で下がった。
マリサは、その三日のあいだ、毎朝、庭に出た。
庭師に、草の名前をひとつずつ教わった。カモミール。菩提樹。ノコギリソウ。ペパーミント。それから、イラクサ。
三本の指先で、ひとつまみ。
蜂蜜は、少し冷めてから。
二日目のお茶は、一日目より、少しだけ苦くなかった。
三日目のお茶を飲んだとき、姉は、目を細めて言った。
「……ほんのり甘くて、少しだけ、草の匂いがする」
マリサは、盆を抱えたまま、少しだけ胸を張った。
* * * * * *
それから、ひと月ほどたったころ。
王宮の庭の、薔薇の垣根の向こうの、厨房の裏手の薬草の畑の隣に、小さな花壇が、ひとつ、増えていた。
まだ、何も植わっていない、耕したばかりの土だった。
その花壇の前に、淡い杏色のドレスの裾を、膝の上までたくし上げた少女が、しゃがみこんでいた。
手のひらに、小さな種を、いくつも載せていた。
「マリサ様、そちらは、カモミールでございますから、もう少し、間をあけて」
庭師が、横から、はらはらしながら言った。
「わかってるわ」
マリサは、土に指で小さな穴をあけた。
種を、ひとつずつ、落としていった。
王宮の回廊のほうから、足音が近づいてきた。
マリサは、顔を上げた。
黒い髪をひとつにまとめた、ふくよかな姉が、回廊の柱の陰に立っていた。
ドレスの裾をたくし上げて、土だらけの手で種をまいている妹を、目を丸くして見ていた。
マリサは、少しだけ頬を赤くした。
それから、土のついた手で、花壇の隣の土を、ぽんぽん、と叩いた。
「お姉様。……手伝って」
姉は、目を瞬いた。
それから、回廊の段を下りて、薬草の畑のほうへ歩いてきた。
少し、息を切らして。
マリサの隣に、しゃがみこんだ。
マリサは、手のひらの種を半分、姉の手のひらに載せた。
二人で、並んで種をまいた。
夏の風が、薔薇の垣根を越えて、二人の髪を揺らしていった。
その花壇が、のちに、王宮でいちばんの薬草の庭になることを。
その庭の主として、マリサの名が王宮じゅうに知られるようになることを。
このときの二人は、まだ、知らなかった。




