幕間 ー直人が願った朝ー
ー《運命》ー
――運命は、過去を変える力ではない。
それはもう一度、
同じ人を愛し、
同じ人を憎み、
同じ間違いを犯すかもしれない世界を、
それでも選び直すための力なのだから。
全部、なかったことにできるのなら。
直人は、あの日に戻りたかった。
久世蓮司が、わけの分からない書類を差し出してきた日。
『これ、何て書いてあるの?』
『いいからいいから。ここ』
『いや、読めないものにサインするのはちょっと……』
『大丈夫だって。お前なら』
あのとき自分は一度、確かに躊躇した。
知らない文字で書かれた書類だった。何のためのものかも分からなかった。
それなのに、蓮司の「大丈夫」という言葉を信じて、最後には名前を書いた。
あの一瞬だけ。
ペンを置けばよかった。
そうすれば、あの村へ行くことはなかった。
美月も巻き込まれなかった。
あの村の人々は、今も呪いに苦しみ続けるかもしれない。
けれど。 もう、それでもいいと思った。
自分でなくてもいい。
自分たちでなくてもいい。
もっと強い誰かが。
もっと賢い誰かが。
何も失わずに、あの村を救ってくれればいい。
誰かがいつか、何とかしてくれればいい。
もう嫌だった。
誰かを救うために選ぶことも。
選んだ先で、大切なものを失うことも。
美月さえ生きていてくれれば。
もう、それだけでよかった。
「……戻りたい」
直人は、《運命》を見た。
人なのか、異能なのか。それすら分からない存在は、何も言わずに彼を見返している。
「蓮司に、あの書類を渡された日の朝に」
言葉にした途端、胸の奥が痛んだ。
旅を経て、直人は自分で選ぶことを覚えたはずだった。
怖くても。
迷っても。
誰かに決めてもらうのではなく、自分で考えて、自分で選ぶ。
それができる人間になったはずだった。
けれど今の直人は、もう何も選びたくなかった。
強くなったからといって、壊れなくなるわけではない。
失ってしまったものが大きすぎれば、人はまた臆病になる。
直人は、ただ逃げたかった。
村から。
呪いから。
自分自身が選んだ未来から。
そして何より、美月を失った世界から。
「全部……なかったことにしたい」
声が震えた。
《運命》は、それでも何も答えなかった。
やがて、世界から音が消えていく。
最後に聞こえたのは、銀の騎士の声だった。
『どうか――今度こそ』
その続きを聞く前に、意識が途切れた。




