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第二部 君が村人になった日(後編)



それから直人は、ほとんど喋らなくなった。


赤子を抱き。


美月が育てたトマト畑の前に座っていた。


朝。


昼。


夜。


村人が食事を持ってきても、ほとんど手をつけない。


「朝倉様」


返事はない。


「申し訳ありませんでした」


返事はない。


「我々は……」


「帰ってください」


静かな声だった。


村人は立ち去った。


直人はトマトを見る。


真っ赤な実。


美月が育てたもの。


この村で最初に実ったもの。


「……美味しかったってさ」


誰に言うでもなく呟く。


「みんな」


返事はない。


「よかったね」


声が震える。


「美月」


銀の騎士は。


その姿を、何日も見ていた。


見守れ。


それが主人の命令だった。


必要以上に介入するな。


本人が選ぶべきことがある。


それも理解していた。


だが。


騎士は初めて。


主人の命令よりも、自分の判断を優先した。





久世蓮司が店の事務所で発注表を見ていると。


突然、銀の騎士が現れた。


「……お前」


蓮司が顔を上げる。


騎士の様子がおかしい。


「直人に何かあったか」


『我が主』


「何があった」


『私は』


騎士が言葉を探す。


『これ以上、見ていることができません』


蓮司の表情が変わった。


話を聞き終えるまで。


蓮司は一度も口を挟まなかった。


美月。


村。


呪い。


儀式。


カボチャ。


死。


そして。


放心した直人。


「……そうか」


それだけ言った。


騎士が膝をつく。


『申し訳ありません』


「何が」


『あなたが彼を選んだ』


「そうだな」


『私が止めることも』


「お前のせいじゃねぇ」


『しかし』


「俺だ」


蓮司は椅子に座った。


両手で顔を覆う。


「俺が巻き込んだ」


沈黙。


しばらくして。


騎士が言った。


『我が主』


「……なんだ」


『あの者に、選択を』


蓮司の指が止まった。


『あなたは知っているはずです』


「やめろ」


『時を越える者を』


「やめろ」


『《運命》を』


蓮司が顔を上げた。


その目に。


かつて。


自分自身が見たものが蘇る。


失ったもの。


戻した時間。


選び直した過去。


そして。


その代償。


「……あれは救いじゃねぇぞ」


『承知しています』


「時間を戻したって、全部元通りになるわけじゃねぇ」


『承知しています』


「同じ未来になる保証もない」


『承知しています』


「だったら!」


蓮司は机を叩いた。


騎士は動かなかった。


『それでも』


静かな声だった。


『彼自身に、選ばせるべきです』


蓮司は何も言えなかった。






三日後。


村に、一人の男が現れた。


久世蓮司だった。


直人はトマト畑の前に座っていた。


腕には赤子。


蓮司が隣に座る。


「久しぶり」


返事はない。


「……悪かった」


直人はトマトを見たままだった。


「俺、軽く考えてた」


返事はない。


「お前なら大丈夫だと思った」


沈黙。


「折れねぇだろって」


そのとき。


直人が初めて口を開いた。


「折れてないよ」


蓮司が見る。


直人は笑った。


ひどく弱い笑顔だった。


「まだ、生きてるから」


蓮司は何も言えなかった。


「美月がさ」


直人が言う。


「トマト育てたんだ」


「聞いた」


「何にも育たなかったのに」


「すげぇな」


「すごいんだよ」


「うん」


「すごい人だったんだ」


声が震える。


「俺なんかより、ずっと」


蓮司は俯いた。


「……直人」


「何」


「会わせたい奴がいる」


直人は反応しない。


「ただ」


蓮司は続ける。


「会ったからって、美月が生き返るとは言わねぇ」


直人の目が、わずかに動いた。


「過去をなかったことにできるとも言わねぇ」


ゆっくり。


直人が蓮司を見る。


「どういう意味?」


蓮司は答えなかった。


立ち上がる。


銀の騎士が姿を現す。


その隣。


誰もいなかったはずの場所に。


もう一つの影が立っていた。


男にも。


女にも見えた。


老人にも。


子どもにも。


一瞬ごとに姿が変わる。


長い髪。


白い衣。


その瞳の中で。


星のような光が、逆向きに流れている。


直人は。


なぜか。


一目で分かった。


これが。


時間を戻す者。


これが。


蓮司が一度だけ頼った存在。


これが。


《運命》。


「朝倉直人」


それは静かに彼の名を呼んだ。


「あなたには、一度だけ選ぶ権利があります」


直人は赤子を抱きしめた。


「……何を」


《運命》が微笑む。


「どの朝から、もう一度生きますか」


風が吹いた。


美月のトマトが揺れる。


銀の騎士は黙っていた。


蓮司も何も言わない。


誰も。


答えを教えてはくれない。


サインする前へ戻ることもできる。


村へ来る前へ戻ることも。


美月がトマトを植える前へ。


彼女が村人に受け入れられる前へ。


儀式を引き受ける前へ。


あの朝。


カボチャのスープが配られる前へ。


戻ることが。


救うことと同じなのか。


まだ。


誰にも分からない。


直人は目を閉じた。


思い出す。


知らない文字で書かれた契約書。


自分を置いて先に歩き、必ず振り返ってくれた女。


荒れた土。


小さな芽。


赤いトマト。


初めて美月を名前で呼んだ村人。


嬉しくないと言いながら泣いた彼女。


繋いだ手。


二人で決めた夜。


色の違うスープ。


小さな泣き声。


冷たくなった手。


そして。


最後まで。


彼女が守ろうとしたもの。


直人は目を開いた。


目の前には、《運命》。


その後ろには。


まだ誰も知らない時間が広がっている。


「俺は――」


彼が選んだ朝を。


まだ。


誰も知らない。




第二部 完







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