第二十六話 一人の少女の決意
高校卒業は、もう間近だった。
どこから話が広がったのか。
気がつけば。
周囲の視線が変わっていた。
「相手分かんないらしいよ」
「え……」
「まだ高校生でしょ?」
「普通、一人じゃないんじゃない?」
「遊んでたってこと?」
大きな声ではない。
聞こえないつもりなのだろう。
でも。
聞こえた。
咲希は前を向いて歩いた。
怒鳴り返したかった。
何も知らないくせに。
自分だって。
何も分からない。
だから。
余計に。
悔しかった。
家へ帰れば。
家族からも聞かれる。
「相手は誰なの」
「分からない」
「分からないって、そんなこと」
「私だって分からないよ!」
声を荒らげた。
部屋へ戻り。
扉を閉める。
一人になる。
泣いた。
怖かった。
これからどうする。
学校。
仕事。
お金。
子ども。
全部。
一人で。
できるのか。
何より。
この子の父親が。
誰なのかさえ。
自分には。
分からない。
夜。
咲希は布団の中で、お腹へ手を置いた。
まだ。
動かない。
何も。
感じない。
それでも。
そこに。
命がある。
その事実だけは。
医師が教えてくれた。
目を閉じる。
不意に。
何かが。
胸の奥を掠めた。
声ではない。
映像でもない。
ただ。
ひどく懐かしい感覚。
誰かの隣で。
笑っていた気がする。
誰かに。
何かを。
約束したような気がする。
『大事にします』
咲希は目を開けた。
「……?」
今。
何を。
思い出した?
分からない。
誰に言った言葉なのか。
そんな言葉を本当に口にしたことがあるのか。
分からない。
ただ。
胸の奥に。
その言葉だけが。
妙に。
残った。
咲希は自分のお腹へ置いた手を。
少しだけ。
強くした。
「……大事にする」
誰に聞かせるでもなく。
呟いた。
それが。
過去の約束への返事だったのか。
これから生まれる命への約束だったのか。
咲希自身にも。
分からなかった。
数日後。
咲希は再び診察室にいた。
これからのことを聞かれた。
家族。
卒業。
生活。
仕事。
お金。
現実が一つずつ並べられていく。
怖かった。
何一つ簡単ではない。
相手も分からない。
自分一人でどこまでできるかも分からない。
それでも。
咲希はお腹へ手を置いた。
理由は説明できない。
誰の子なのかも分からない。
どうして自分が。
こんなにも。
この命を失いたくないと思うのか。
分からない。
それでも。
これだけは。
自分で。
決められる。
咲希は顔を上げた。
「……産みます」
最初の声は。
震えていた。
医師が静かに咲希を見る。
もう一度。
言った。
今度は。
震えなかった。
「私、この子を産みます」
その決意を。
久世蓮司は知らなかった。
銀の騎士も知らなかった。
そして。
相馬悠真という人間は。
この世界のどこにも存在していなかった。
それでも。
確かに。
残ったものがあった。
それが《運命》の意図だったのか。
悠真の願いが、消えていく世界へ何かを繋ぎ止めたのか。
すでに始まっていた一つの命だけは、変えられなかったのか。
あるいは。
《運命》でさえ。
すべてを綺麗には変えられなかっただけなのか。
答えを知る者はいない。
ただ。
この日。
一人の少女が。
自分の意思で。
一つの未来を。
選んだ。




