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第十八話 生きている

 




 目を開けた。


 息を吸った。


 空気が肺へ入る。





「…………」





 蓮司は、しばらく動かなかった。




 見慣れた天井。


 自分の部屋。


 朝の光。


 海ではない。


 冷たくない。


 苦しくない。


 胸元へ手を当てる。


 心臓が動いている。




「……生きてる」



 呟いた瞬間。


 記憶が一気に戻ってきた。


 炎。



 悠真。



 海。




 そして。


 《運命》。





「悠真!」



 蓮司は跳ね起きた。



 壁のカレンダーを見る。


 そこで初めて気づいた。



 数週間。


 時間が戻っている。



 榊原が仲間たちへ本格的に手を伸ばし始めるより前。


 正月が明けて、まだ間もない頃。




『あなたたちの願いを、聞き入れます』




 あの声が耳の奥に蘇る。



「……悠真」





 まだ何も起きていない。


 榊原に捕まっていない。


 火もつけられていない。




 今すぐ。


 自分の目で確かめなければ。


 声だけでは足りない。


 生きている悠真を。


 いつもの馬鹿みたいな顔を。


 自分の目で見たかった。


 蓮司は制服を掴み、家を飛び出した。





 学校までの道を、蓮司は走った。


 冷たい空気を吸い込むたび喉が痛む。それでも足を緩めることはできなかった。


 校門を抜け。


 廊下を走り。


 階段を駆け上がる。


 教室の扉を勢いよく開けた。


 何人もの視線が、一斉に集まった。


「悠真は!?」


 ざわめきが止まる。


 蓮司は教室を見回した。


 いない。


「相馬、まだ来てねぇのか?」


 近くにいた仲間が首を傾げた。


「……誰?」


 蓮司はそいつを見る。


「悠真だよ」


「誰だよ」


「相馬悠真」


 沈黙。


「今日休みか?」


「いや」


 友人は、困ったように眉を寄せた。


「だから、誰の話してんの?」


 蓮司は笑った。


 冗談だと思った。


 思いたかった。


「つまんねぇから」


「何が?」


「そういうのいいから。悠真どこいる」


「マジで知らねぇって」


「……は?」


 別の顔を見る。


「お前は?」


「何が?」


「悠真」


「だから誰だよ」


 その隣。


 知らない。


 さらにその隣。


 知らない。


 誰に聞いても同じだった。


「ふざけんなよ」


「いや、蓮司」


「ずっといただろ!」


 声が大きくなる。


「十二年だぞ!」


 教室が静まり返った。


「小学校からずっと……俺と一緒にいただろ!」


 誰も答えない。


「右腕だよ」


 喉が掠れた。


「俺の右腕」


「……お前、何言ってんの?」


 冗談ではない。


 誰も。


 本当に。


 知らない。


 背中を冷たいものが這った。


「……写真」


 蓮司は携帯を取り出した。


「写真あるから」


 見せれば終わる。


 ただの記憶操作だ。


 榊原の異能かもしれない。


 去年の夏。


 皆で出かけたときの写真を開く。


「ほら、ここに――」


 指が止まった。


 いたはずだった。


 一番前。


 馬鹿みたいに大きく口を開けて笑っていた。


 なのに。


 そこに悠真はいない。


「…………は?」


 別の写真。


 秋。


 いない。


 学校の行事。


 いない。


 中学の頃。


 いない。


 もっと前。


 いない。


 指で画面を送る。


 送る。


 送る。


 何十枚。


 何百枚。


 そのどこにも。


 相馬悠真だけがいなかった。


「何だよ……」


 呼吸が浅くなる。


「何だよ、これ……」


「蓮司」


 仲間の一人が近づく。


「一回落ち着けって」


「触んな!」


 反射的に手を振り払った。


 一歩。


 後ろへ下がる。




 そのときだった。


 何かへぶつかりそうになった。



 蓮司は振り返る。


 そこに。


 銀色の甲冑を纏った騎士が立っていた。




「…………」



 知らない。




 こんな奴は。


 知らない。


 人間より一回り大きな身体。


 腰には長い剣。


 兜に覆われた顔からは、何の感情も読み取れない。




「……誰だよ」



 呟いた。


 騎士は答えない。




「お前、誰だよ!」




 蓮司が叫んだ。


 仲間たちが顔を見合わせる。


「……何が?」


「こいつだよ!」


 蓮司は騎士を指差した。


「俺の後ろにいる、こいつ!」


「だから……」


 仲間の一人が、不思議そうに銀の騎士を見る。


「いつもの奴じゃん」






 蓮司の思考が止まった。



「…………は?」


「お前の従者だろ?」



 視線。


 確かに。


 男の目が、銀の騎士を追っている。


 見えている。


 蓮司は男の顔を見る。


 次に。


 別の仲間を見る。


 そいつも騎士を見ている。


 さらに。


 その隣も。


 全員。


 見えている。


「……お前ら」


 声が震えた。


「見えてんのか?」


「何が」


「こいつが」


「そりゃ見えるだろ」


 何を聞いているんだという顔だった。


 蓮司の背筋を。


 別の種類の寒気が走る。


「……巨人は」


「は?」


「顔のない……でかい奴」


「いるじゃん」


 一人が教室の後方へ視線を向けた。


 蓮司も見る。


 顔のない巨人が立っている。


 その男は。


 正確に。


 巨人を見上げていた。


「黒いのは」


「獣?」


 別の仲間が言う。


「あそこにいるだろ」


 黒き獣が机の間を歩いている。


 そいつの目も。


 その姿を追っていた。


 蓮司には。


 言葉が出なかった。


 今まで。


 見えていなかった。


 悠真以外には。


 仲間たちは、蓮司が異能を持っていることを知っていた。


 従者と呼ばれる何かがいることも、話としては知っていた。


 けれど。


 その姿そのものを見たことはない。


 それなのに。


 今は。


 当たり前のように見ている。


「お前、どうしたんだよ」


 友人が本気で心配そうに聞いた。


「昔から見えてるだろ」


「……昔から?」


「ああ」


「全員?」


「少なくとも俺らは」




 蓮司は周囲を見る。


 誰も笑っていない。


 嘘をついているようにも見えなかった。


「お前の従者、三体だろ」


「……違う」


「違わねぇって」


 一人が指を折る。



「でっけぇ顔なし」


 顔のない巨人。



「黒い犬みたいなやつ」


 黒き獣。



「犬って言うとお前怒るよな」


 周りの何人かが笑った。


「そうそう。前もそれでキレてたじゃん」


「『犬じゃねぇ』って」



 いつもの会話らしい。


 蓮司には。


 まったく覚えがない。



「それと」


 仲間が。


 蓮司の後ろを指した。


「銀の騎士」



 三体。


「昔っからずっと、その三体だろ」


 別の奴が笑う。



「何だよ蓮司、寝ぼけてんの?」


「今日マジで変だぞ」



 気軽な声。


 心配する声。


 笑う声。


 そのどれもが。


 蓮司にとっては。


 知らない過去の続きだった。


 銀の騎士だけではない。


 悠真だけが見ることのできた世界を。


 今では。


 皆が当たり前のように見ている。


 そして彼らは。


 まるでずっと昔からそうしてきたように。


 蓮司へ普通に話しかける。


 笑う。


 茶化す。


 心配する。


 そこにはもう。


 蓮司が異能持ちだからという距離がない。


 悠真がいた頃。


 一人だけが越えてきた境界を。


 この世界では。


 皆が最初から越えている。


 なのに。


 その輪の中で。



 蓮司だけが。



 一人。



 取り残されていた。





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