第8話 魔法少女と、願い
ティトは、彼女が泣き始めたあたりで気を遣ったのか、いつの間にか部屋の外へ出ていた。
しばらくして彼女がようやく泣き止むと、ティトは窓の外からひょいと戻ってきた。
外の様子を見てきてくれたらしく、あのでかいモンスターの気配はもう周囲になく、魔力の反応も感じられないとのこと。
ひとまず、今すぐまたあいつに襲われる心配はなさそうだ。
おれはベッドの上で、彼女と隣同士に座っていた。
治癒魔法のおかげで怪我はすっかり癒え、破れていた服も元通りになっている。袖口のほつれや、肩口に走っていた裂け目まで綺麗に消えていた。
あらためて見ると、本当に便利な魔法だ。
前の世界でも、これのおかげで何度助かったことか。
ティトが戻ってきたのを見て、おれは繋いでいた手をそっとほどき、立ち上がろうとした。
「ぁ……」
隣から、小さく心細げな声が漏れた。
振り向くと、彼女は胸元で両手をきゅっと握りしめ、ひどく寂しそうな目でおれを見つめていた。
「まだ、繋いでたほうがいいか?」
「……いいの?」
彼女は小さく頷いてから、おそるおそるおれを見上げた。
澄んだ青い瞳が、不安げに揺れている。
「できれば……あと、ほんの少しだけ……」
そう言って、おずおずと指先を伸ばしてくる。
触れていいのか、拒まれないのか、それを何度も確かめるみたいな動きだった。
おれは何も言わず、自分から手を差し出した。
細い指先に触れ、そっと握る。
すると彼女の肩から、わずかに力が抜けた。
安心させるように笑ってみせると、彼女も初めてほんのかすかな笑みを浮かべた。
「ありがとう……」
「大丈夫だよ。べつに減るもんじゃないしな」
「そうそう! 減るもんじゃないですよねっ! そういうわけで、ボクはマスターのお膝の上に失礼しまーす!」
「なんで?」
おれが聞き返しているあいだに、ティトはなぜかベッドの上へ飛び乗り、そのまま当然のようにおれの膝の上へ収まった。
ちなみに右手は、まだ隣の少女と繋いだままだ。
つまり、おれはベッドの上に座り、右手で少女と手を繋ぎ、膝の上にティトを乗せていることになる。
なんだこれ、どういう体勢?
「っ……」
すると横合いから、わずかに息をのむ音がした。
見れば、彼女が身体をこわばらせながら、ティトのほうを見つめている。
さっきまでの泣きそうな顔とは違う。そこには、驚きと戸惑いが浮かんでいた。
「……驚いた。あなたは、妖精と行動を共にしているの……?」
「妖精?」
初めて聞く単語だった。
いや、正確に言えば、前の世界にも妖精族と呼ばれる種族はいた。けれど、それはエルフやドワーフ、精霊に近い種族をまとめて指す呼称であって、彼女の言う妖精とはおそらく意味が違う。
するとティトは、ふふんと得意げに胸を張った。
「ボクはティトですっ! マスターにお仕えするべく故郷の世界を捨ててやってきた、忠義あふるるキュートでラブリーな使い魔ですよっ!」
その言葉を聞いた彼女が、不思議そうに首を傾げた。
「故郷の世界を捨てて、あなたに仕える使い魔……ということは、この子は妖精界を捨てたということ……?」
「あー……悪いが、おれたちは君の言っていることをまだ理解できていないんだ」
おれは彼女の手を握ったまま、できるだけ穏やかに言った。
「妖精や妖精界が何なのか。それに、君が戦っていたあのモンスターが何なのか。よければ教えてくれないか?」
彼女はじっとこちらを見つめた。
青い瞳が、おれの真意を探るように揺れる。
けれどやがて、彼女は小さく頷いた。
「……分かった」
頷いた声は、まだ少し掠れていた。
「でも、うまく説明できないかもしれない……人とこんなふうに話すのは、久しぶりだから……」
彼女は少しだけ不安そうに目を伏せた。
「……それでも、いい?」
「ああ、もちろん」
急がなくていい。
そう伝えるつもりで頷くと、彼女は繋いだ手に少しだけ力を込めた。
「私は……雪崎冬花。そして、妖精と契約した魔法少女の一人」
「おれはアキトだ。その、妖精と契約って?」
「……私たちがいるこの世界とは別に、妖精界と冥獣界……そう呼ばれる二つの世界が存在しているの」
冬花は、ゆっくりと言葉を選びながら話し始めた。
「冥獣界に棲む冥獣は、生き物の魂や生体エネルギーを捕食して強くなる。私が戦っていた、あの大きな獣こそが冥獣。彼らは人間界へ侵入しては、人知れず人を襲い、喰らうの」
「人知れず……?」
「ええ……冥獣に襲われた人間は、事故や失踪として処理されることが多い。あるいは、誰にも気づかれないまま消えてしまう。だから普通の人は、冥獣の存在を知らない……」
冬花の声は静かだった。
けれどその静けさの奥に、長いあいだ積み重なってきた恐怖と疲労が滲んでいるように感じた。
「それを防ぐために、魔法少女が戦っているの」
なるほど。
それだけ聞くと、おれが前の世界で見ていた日曜の朝のアニメに出てくる魔法少女と似たような話だ。
つまり定番の流れとしては、妖精界からやってきた妖精が、女の子にこう頼むわけだ。
『君は選ばれたんだ。魔法少女になって、いっしょに人間界を守ってほしい!』みたいな。
などと考えていたおれに、冬花は続けた。
「いままでは、冥獣界と妖精界が戦力の均衡を保っていた。だから、人間界は安全だった……でも数年前に妖精界が敗北し、冥獣界の占領下におかれて植民地化されたの」
「妖精界、植民地化されてんの!?」
日曜の朝アニメにとても出せないような単語が飛び出してきた!
「ええ」
だが、冬花は真面目な顔で頷く。
「冥獣たちは、妖精界の知識と技術を奪った。そして……妖精界を統べる妖精女王まで捕らえたの。力を増した冥獣たちは、とうとう人間界にも手を伸ばし始めた」
「……となると、だいぶ状況が悪いな」
というか、妖精界側はほぼ詰んでないか、それ。
「でも……妖精女王の直属だった妖精騎士たちのうち、一人だけが、なんとか人間界へ逃げることに成功したの」
そこで冬花は、わずかに目を伏せた。
「その妖精は、世界中にいる少女たちに接触した。そして、こう告げたの。人間界に侵入し、人を喰らう冥獣を打倒してほしい。そのための力を授ける。戦いの代価として……ひとつだけ、どんなことでも願いを叶える――って」
「どんな願いでも……?」
おれの問いに、冬花は頷いた。
「妖精は、≪妖精の雫≫というものを、いくつか密かに持ち出していたの」
「妖精の雫?」
「妖精界に伝わる、特別な魔法結晶。とてつもない魔法力を秘めていて、人間の魂と結びつくことで、一度だけどんな願いでも叶えることができる……」
――どんな願いでも叶える。
その言葉だけ聞けば、まさに希望のような力だ。
けれど……冬花の表情は、とても希望を語っているようには見えなかった。
「魂に≪妖精の雫≫が根付いた人間は、冥獣と戦うための存在……魔法少女へと変身できるようになるの。今の私みたいに」
冬花は、自分の胸元にそっと手を当てた。
おれは少し考えた後、今度は自分から口を開いて質問を投げた。
「つまり、≪妖精の雫≫を埋め込まれると、ただの女の子でも魔法少女になって、冥獣と戦えるようになる。契約の見返りとして、願いも叶えてもらえるってわけか。でも、なんで女の子なんだ? 男や、大人じゃ駄目なのか?」
「≪妖精の雫≫は、誰にでも適合するわけではないそうなの。宿主の魂と深く結びつくものだから、魂の形が固まりきった大人では拒絶されやすい。逆に……幼すぎる子どもでは器が耐えられないって言ってたわ」
「それで、十代の少女が……」
「うん。もっとも適合率が高かったのが、心身ともに変化の途上にある十代の少女たちだったそうなの。でも……あなたが今ここにいるということは、必ずしもそうではない、ということね」
そう言って、冬花は小首をかしげながらおれを見た。
なるほど。道理で彼女はおれを『男の魔法少女』なんて変な呼び方をしたわけだ。
けれど――
「じゃあ、冬花も何か願いを叶えてもらうかわりに、魔法少女になったのか」
「……うん。私も、自ら望んで魔法少女になった」
冬花の声が、ほんの少しだけ震えた。
繋いだ手に力がこもる。
細い指先が、おれの手を縋るように握りしめた。
「……おねえちゃんに、生きててほしかったから」
彼女はそう言って、泣き腫らした目を伏せた。




