第7話 魔法少女と、ベッド
ホテルの部屋へ戻ると、おれはベッドの上に少女をそっと寝かせた。
白いシーツの上に横たわったその姿は、さっきまで怪物と渡り合っていたとは思えないほどか弱く見える。青と白を基調とした衣装はあちこちが裂け、布地には土と血がこびりついていた。肩口の裂傷も、腕や脚の擦り傷も痛々しい。
「ティト、周囲の索敵を頼む」
「はい、マスター!」
ティトが窓辺へ駆けていくのを横目に、おれは少女の傍らへ膝をついた。
まずは応急処置だ。
肩口の傷へそっと手を触れて、魔力を練る。
「――“回復”」
淡い光が掌からこぼれ、少女の傷口を包み込んだ。
裂けていた皮膚がゆっくりと閉じていく。血の滲みも止まり、苦しげだった呼吸も落ち着いてきた。
よし、効いてるな。
そのまま他の傷にも掌で触れながら、順に治癒をかけていく。
だが、治癒魔法をかけていて、ふと気づいた。
「……ん?」
衣装の表面から、かなり強い魔力の反発が返ってくる。
どうやらこの服自体に、相当高度な防御魔法の術式が織り込まれているらしい。
「へぇ、これはすごいな」
思わず小さく呟く。
少なくとも、あちらの世界であれば並の魔術師が身につけられる装備じゃない。
下手をすれば、魔王討伐の旅で仲間たちが使っていた装備に匹敵するか、それ以上だ。
これほどの装備を、どうしてこんな若い女の子が……?
だが、それ以上に気になったのは別のことだった。
少女の姿は、いまだに隠蔽魔法が解けていなかったのだ。
おれが隠蔽看破を維持しているから、彼女が見えている。
だが、それを解けば、たぶんこの子が目の前のベッドに寝ていても、おれは彼女を知覚できなくなる。
「おかしいな……もしかして、これもこの服の効果なのか?」
術者は気を失っている。
普通なら、先ほどの結界魔法と同じように、もう隠蔽魔法も切れていていい頃だ。
「ティト。やっぱりこの子の隠蔽、変じゃないか?」
そう声をかけると、窓辺にいたティトがぴょんとベッドの上へ飛び乗ってきた。
少女の顔を覗き込み、耳をぴくぴくと動かす。
「マスターの言う通り、たしかに奇妙ですねぇ。魔法や装備の効果というより、この子自身の存在が、この世界から薄れているみたいな感じがします……」
「存在が薄れてる?」
「はい。うまく言えませんけど、これは隠蔽というより、むしろ呪いに近い感じがします。しかも、かなり強い……魔王級の呪詛に近い気配ですよ」
「魔王級!?」
「マスターがボクに視覚共有してくれているから、ようやく見えてますけど……そうじゃなければ、ボクにもこの子の存在が認識できません」
「そうなのか……」
おれは改めて少女を見下ろした。
眠っている顔は年相応に幼く、長い睫毛が頬に影を落としている。
いったいどうして、こんな少女がそんな呪詛を受けているんだ?
そこまで考えたとき、少女の薄い色をした睫毛がかすかに震えた。
「……っ」
ゆっくりと瞼が開く。
湖みたいに澄んだ青い瞳が、ぼんやりと天井を見つめ、それからおれのほうへ向いた。
視線が合う。
その瞬間、彼女の目がはっきりと見開かれた。
「驚いた……」
掠れた声が、静かな部屋に落ちる。
「男性の魔法少女に会ったのは、初めて……」
「……魔法少女?」
思わず聞き返す。
いや、男の魔法少女って。字面の矛盾がすごくない?
「おれは、君の言う魔法少女ってやつとはたぶん違う。おれは――」
そこまで言って、喉が止まった。
あ、そっか、制限魔法だ。
向こうの世界のことを具体的に話そうとすると、またあの妙なノイズに邪魔されてしまう。
おれは小さく息を吐いて、言い直した。
「悪い。おれのことは、うまく説明できないんだ」
少女は少しだけ目を伏せ、それから静かに頷いた。
「……だいじょうぶ……あなたが私を助けてくれたこと、それは覚えてるもの……」
その言い方が、妙に胸に引っかかった。
まるで、それだけで十分だと言うみたいで。
おれは少し待ってみたが、彼女はじっとおれの顔を見つめるばかりで、なぜか何も言おうとしない。
……なんだろう。普通なら、こういう状況では「あなたは誰?」とか「ここはどこ?」と聞いてくるものじゃないのか?
沈黙に耐えきれなくなったおれは、こちらから彼女に声をかけることにした。
「なあ、君のことを聞いてもいいか? どうしてあんな化け物と戦っていたんだ?」
そう訊ねると、少女は唇を閉ざした。
青い瞳が揺れて、少しだけためらうような沈黙が落ちる。
しばらくしてから、彼女はゆっくりと唇を開いた。
「私が答えられることなら……なんでも話すわ。そのかわりに……ひとつだけ、お願いしてもいい?」
「お願い?」
「あなたの手を……握ってもいい?」
「え?」
思わず間の抜けた声が出る。
だが、彼女の表情は冗談を言っているようには見えなかった。
むしろ、ひどく真剣で、ひどく不安そうだった。
おれは少し迷ってから、そっと片手を差し出した。
「ああ、いいけど……」
少女は壊れ物に触れるみたいに、そろそろとその手を伸ばしてくる。
細い指先が、おれの指に触れた。
その瞬間、彼女の唇がびくりと震えた。
「あ……」
指先から、手のひらへ。
たしかめるように、こわごわと触れてくる。
そして、ほっそりとした指が、ようやくおれの手を包み込むように握った。
「あたたかい……」
かすかな声だった。
けれど、その一言には、ひどく切ない響きがあった。
「あなたは本当に……私が見えて、私に触れられるのね……」
おれは返す言葉を失った。
少女は何度も確かめるように、おれの手を見て、それから自分の手を見た。
触れている。たしかに、繋がっている。
ただそれだけのことが、彼女には信じられないことみたいだった。
次の瞬間――彼女の瞳から大粒の涙がこぼれた。
「……っ、ぅ、ひっく……」
泣くとは思わなくて、おれは完全に固まった。
少女は唇を噛みしめ、声を殺そうとしているのに、涙だけがぽろぽろと落ちていく。握った手には、逆に少しずつ力がこもっていった。
「お、おい……」
どうすればいいのか、まるで分からない。
けれど、すがるように握られたこの手を振りほどくことだけは、してはいけない気がした。
おれは戸惑いながらも、彼女の手をそっと握り返した。
すると少女は、はっとしたように顔を上げた。
おれを映した青い瞳から、再び透明な雫がぽろぽろと零れ落ちる。
そうして彼女はしばらくのあいだ、おれの手を強く握りしめたまま、肩を震わせて泣いていた。




