第3話 使い魔ティト
まぶたの裏に差し込む光が、やけにやさしかった。
暖かな風。遠くで聞こえる子どもの笑い声。アスファルトのにおい。草の青臭さ。
それらをひとつひとつ認識した瞬間、おれははっと目を開いた。
そこは、夕暮れの公園だった。
高いビル。ガードレール。電柱。遊具。自販機。
空には茜色がにじみ、遠くの車道を車の列が流れていく。
間違いない。そこに広がっていたのは、見慣れた日本の街並みだった。
「……よっしゃあああ! 元の世界に帰ってこれたんだ!」
よかった。
本当に、帰ってこられた。
ああ……! 十年ぶりの日本。十年ぶりの、魔王も魔物もいない世界!
いまなら公園の水道にすら感謝できる。というか、してる!
自動で街灯がついて、トイレも水洗!
ああ、公園ってこんなに素晴らしいところだったんだな……!
感極まってその場にへたり込みそうになった、そのときだった。
「へぇ、ここがマスターの故郷ですかぁ……話に聞いた通り、おっきな建物がいっぱいですね!」
「…………は?」
背後から、聞き覚えがありすぎる声がした。
ぎぎぎ、と音が鳴りそうな勢いで振り向く。
そこには、見慣れたふわふわの真っ白な小動物がいた。小さなしっぽをぶんぶん振りながら、きょろきょろと興味深そうに周囲を見回している。
「!? ティト!? な、なんでお前がここに!?」
「えっへん! 転移の瞬間にボクも魔法陣に飛び込んで、ついてきちゃいました!」
悪びれもしない。
むしろ、なぜかちょっと褒めてほしそうですらある。
「な、なにやってんだよ!? こっちの世界に来ちまったら、もう二度とお前を元の世界に戻すことはできねぇんだぞ!?」
世界をまたぐ転移魔法陣を作るには、魔王級の魔力と膨大な準備が必要だ。
そんなこと、ティトだってわかっているはずなのに……!
するとティトは、しゅんと耳を伏せて地面を前足でいじいじしはじめた。
「だって……マスターは、使い魔たるボクを置いて帰るなんて、すげないことを言うんですもん……」
「いや、だからおれはそもそも、お前を使い魔にした覚えは――」
「だから、もうこれはボクがついていくしかないと思ったんです!」
話聞けよ。
「お、お前なぁ……わかってるのか? この世界には、お前の同族どころか精霊獣さえいないんだぞ?」
すると、ティトはさらに耳をしょんぼりさせた。
「どうせ……ボクの故郷は滅ぼされて、もう誰も、何も残ってないですもん……」
その一言に、おれははっとして口をつぐむ。
……そうだった。
ティトの種族であるリスキツネ族は、とっくに魔王軍に襲われて全滅している。
おれと出会うまで――こいつは、ずっとひとりぼっちだったのだ。
「ひとりぼっちだったボクに、マスターが『友達になろう』って言ってくれたじゃないですか……それなのに、そんなボクを置いて元の世界に戻るなんて言うから……」
「ティト……」
しょんぼりとうなだれる小さなティト。
しばらくの沈黙の後、おれは大きくため息をつき、頭をかいた。
「はぁ……おれが悪かったよ、ティト。一緒に来ちまったんなら、しょうがねぇな」
ぱっとティトの顔が明るくなる。
そんな彼の目の前に、おれは人差し指を一本立てた。
「でも、この世界じゃお前みたいに言葉をしゃべる獣なんていないんだ。そこを踏まえて、他人の前ではしゃべらないように気をつけろよ。あとは、おれの指示には従うこと。分かったな?」
「もちろんですよ、ますたぁ~~~!」
返事と同時に、ティトがぴょんと肩へ飛び乗ってきた。
そのまま嬉しそうに、おれの頬へ頭をすり寄せてくる。相変わらず、ふわふわの毛並みだ。
「えへへ、やっぱりマスターは優しいですっ! ……あれ?」
「どうかしたか、ティト?」
ティトがぴくぴくと耳先を動かしたのを見て、おれは首を傾げた。
「あれれ? ……この世界って、マスターの話だと、魔法も魔力も存在しない、科学技術ってのが発達した世界なんですよね?」
「ああ、そうだけど」
するとティトは、ひくひくと鼻を鳴らした。
「その割には、あちこちから淀んだ魔力反応を感じるような……?」
「そうなのか? おれは魔力探知がからっきしだから、よく分からないな……」
「んんー? なんでしょうか、これ……?」
ティトは首を傾げ、しばらく辺りの空気をうかがうようにしていたが、やがて首をぶんぶん振った。
「まあ、転移直後でボクの魔力探知がおかしいのかもです! ごめんなさい、気にしないでください!」
「そっか。たしかに、こっちの世界に来たばっかで疲れてるのかもな」
ちょっと気になる言い方ではあったが、いまのところ周囲は平和そのものだ。
立ち並ぶビルや建物には文明の明かりがともり、どこからともなく子どもたちの笑い声が聞こえてくる。
魔王や魔法とは無縁の、平穏な夕暮れにしか見えない。
しかし、どこか小さな引っかかりを覚えつつ、おれは公園を出て歩き始めた。




