第19話 魔法少女と、特級冥獣
冬花が変身を、そしておれが着替えを終えると、おれたちは人の流れに逆らって駆け出した。
逃げ惑う人々の波を避けるように、冬花が壁を蹴って跳ぶ。おれもその後を追い、吹き抜けを囲む通路の手すりを越えた。
「マスター!」
「ティト! よかった、無事だったか!」
その途中で合流したティトが、おれの肩に飛び乗ってくる。
そのまま一階へと視線を落とした瞬間、おれは息を呑んだ。
――ショッピングモールの中央広場に、巨大な獣がいた。
前に見た冥獣は、大きな犬のような姿をしていた。だが、今度のものは違う。全身から鋭い針を生やした、巨大なヤマアラシのような化け物だった。
冥獣が身を震わせるたび、背中の針がばらばらと飛び散り、床や柱に突き刺さる。逃げ遅れた人々が悲鳴をあげ、足をもつれさせて倒れ込んだ。
そのうちの一人に、冥獣がゆっくりと顔を近づけ――
「ひっ……た、助けっ……ぎゃあああっ!」
濡れた音と、硬いものを噛み砕くような音に、悲鳴は呑み込まれた。
「……っ!」
あまりにも凄惨な光景に、喉の奥が凍りつく。
その視線の先で、巨大なヤマアラシが頭をもたげた。そこでようやく、おれはその頭の上にひとりの少女が腰かけていることに気づいた。
だが、どう見ても普通の女の子ではない。灰色がかった肌に、目が痛くなるようなショッキングピンクの髪。黒いフリルと鋲のついた、魔法少女に似た派手な衣装をまとっている。
少女は足をぶらぶら揺らしながら、目の前の惨劇を楽しむように笑っていた。
「きゃははっ! 今日はごちそうがいっぱいいてラッキーだねぇ! あの邪魔くさい魔法少女どもが来る前に、たくさん食べちゃおうね!」
「ギギギッ、ギッ!」
少女の言葉に応えるように、ヤマアラシの冥獣が不気味な声で笑う。
その少女を見た瞬間、冬花の顔が凍りついた。
「……ピーニャ!」
「冬花?」
「あれは……特級冥獣ピーニャ」
冬花の声は震え、その顔は蒼白になっていた。
「特級冥獣?」
「冥獣界に十三体しかいないといわれる、最上位の冥獣……。冥獣は、人間を食べれば食べるほど力を増して、人の姿に近づいていくの」
「じゃあ、あの女の子も……」
「ええ。あれも冥獣よ」
そう言った冬花は、唇を噛みしめると、腰に差していたロッドを抜き、頭上へ掲げた。
「マジカル・スノードーム!」
呪文と同時に、彼女を中心として白い光が広がっていく。
光は瞬く間にショッピングモールの一階を包み込み、周囲を白いドームのような空間へと塗り替えていった。
それと同時に、逃げ惑っていた人々の姿が次々と消えていく。
これは、前にも見た結界魔法か!
だが、よく見ると、結界の中にいるのはおれと冬花、そして冥獣だけではなかった。
冥獣の足元に、血を流して倒れている人間が数人残されている。
もしかして……怪我人は結界の外へ逃がせないのか?
それとも、あの冥獣の近くにいるせいなのか。
おれがそう考えた直後、ピーニャがこちらを振り向いた。
「あれれ? この結界魔法、もしかして……」
不思議そうに首を傾げたピーニャは、スカートのポケットから黒い水晶を取り出した。
「――ノワール・サイト」
呪文と同時に、ピーニャはその水晶を指先で砕く。
砕けた水晶からは黒い光があふれ、ヤマアラシの冥獣ごとピーニャの身体を包み込んだ。
それを見たティトが、おれの肩の上で警戒するように囁いた。
「魔力波の反応からして、何かの探知魔法のようです、マスター!」
「探知魔法か。ってことは……」
黒い光が消えた直後、ピーニャははっきりと冬花へ視線を向けた。
そして、にいっと口の端を吊り上げる。
「きゃははっ! やっぱりね! マジカルスノードロップちゃん、ひさしぶり~!」
「……っ、ピーニャ!」
「やっぱりスノードロップちゃんだったんだぁ。最近さぁ、この辺りでうちの冥獣が、正体不明の魔法少女に次々殺されてるって聞いて、アタシが派遣されたの」
ピーニャは砕けた水晶の欠片を、手を払ってぱらぱらと床に落とした。
「もしかしてスノードロップちゃんかなぁって思ってたから、これを持ってきたんだ。あなたの姿が見えるようになる魔結晶。アタシって準備がいいでしょ?」
ピーニャは、まるで無邪気な子供のように笑った。
だが――その笑顔は、あまりにも邪悪だった。
「ほら、前にさぁ――スノードロップちゃんのお姉ちゃんを殺したときは、あなたの姿が見えづらくて、まんまと逃げられちゃったでしょ? お姉ちゃんの死体も食べ損ねちゃったし。だから今度は、ちゃんと準備してきたんだよ!」
「ピーニャ……!」
冬花の周囲に、冷気が渦巻く。
空気が軋むほどの殺気を感じた瞬間、彼女の身体はすでに床を蹴っていた。
「冬花!」
おれはとっさに叫んだが、その制止が届くより早く、冬花のロッドの先から鋭い氷の槍が放たれる。
白く尾を引くそれは一直線にピーニャへと迫ったが、当のピーニャは避けようともしなかった。ただ笑ったまま、ひらりと指先を振る。
直後、ヤマアラシの冥獣の背中から無数の針が射出された。
針は氷の槍へ群がるように殺到し、甲高い破砕音を響かせながら、それを空中で粉々に砕いた。
「きゃははっ! すごーい、怒ってる怒ってる! ねえねえ、スノードロップちゃん、なんでまだ魔法少女やってるの~?」
「うるさい、黙って……!」
「お姉ちゃんをあんな目に遭わせたのに? なんでのうのうと生きてるの? なんで自殺しないの?」
「っ……!」
冬花の顔から、血の気が引いていく。
それを見たピーニャは、唇をにんまりと歪めた。
「あっ、分かったぁ! もしかして、あの日のこと、もう忘れちゃった? じゃあ、思い出させてあげるね!」
ピーニャが、ぱちんと指を鳴らした。
同時に、ヤマアラシの冥獣が不気味な声で鳴く。
次の瞬間――ショッピングモールの中央広場にあった大型スクリーンに、映像が映し出された。
血まみれの床。
泣き叫ぶ女の子の悲鳴。
そして――
「見て見て~! ほらこの、あなたのお姉ちゃんの指をひきちぎったところ! スノードロップちゃんが泣いてるところ、何回見ても最高なんだよねぇ!」
「……やめて」
冬花の声は、かすれていた。
けれどピーニャは、そんな懇願など聞こえていないかのように、楽しげにスクリーンを指さす。
「ほら、ここ! 『お姉ちゃんを殺さないでください』って、土下座させたところ! ここ、ほんと面白かったよねぇ! 何度見ても笑える~!」
「やめて……」
「まあ、そのあとすぐにお姉さんの首、もいじゃったんだけどね!」
その言葉を聞いた瞬間、冬花の青い瞳が限界まで見開かれた。
蒼白だった顔に、怒りとも絶望ともつかない感情が一気に広がる。
そして――
「ピーニャぁぁぁぁぁっ!」
冬花が叫ぶと同時に、彼女の足元から凄まじい冷気が噴き上がった。
白い魔力が爆発するように広がり、空中に無数の氷の刃を生み出していく。刃は冬花の怒りに呼応するように震え、次の瞬間、嵐となってピーニャへ襲いかかった。
だが、ピーニャは待っていたと言わんばかりに、にいっと笑う。
「キャハハッ! 前とぜんぜん変わってないね! こうやって挑発すれば、絶対に真正面から来ると思ってたよ!」
その声に応えるように、ヤマアラシの冥獣が背中を大きく震わせた。
無数の針が一斉に逆立ち、黒い魔力をまとって冬花へ狙いを定める。
「冬花!」
おれが叫んだ直後、針の雨が放たれた。
冬花はとっさに氷の盾を展開する。だが、真正面から殺到した針は盾に次々と突き刺さり、甲高い破砕音を響かせながら氷の防御を削り取っていく。
そして、耐えきれなくなった盾が砕けた。
「……っ!」
衝撃に呑まれた冬花の身体が、後方へ吹き飛ばされる。
その背後には壁が迫っていた。このまま叩きつけられれば、ただでは済まない。
考えるより早く、おれは床を蹴り、冬花と壁の間へ身を滑り込ませた。
飛ばされてきた彼女の身体を抱き止めた瞬間、背中に重い衝撃が走り、続けて後頭部を硬いものに打ちつけた。
「ぐっ……!」
息が詰まり、頭の奥がぐらりと揺れる。
視界が一瞬白く弾け、熱いものがこめかみを伝って落ちた。
「ア、アキトくん……?」
腕の中で、冬花が呆然とおれを見上げる。
その青い瞳が、おれの顔から流れる血を見た瞬間、大きく揺れた。
「わ……わたしの、せいで……」
冬花の唇が震える。
さっきまで怒りに染まっていた顔が、今度は恐怖に塗り潰されていく。
「また……わたしの大事な人が、わたしのせいで死んじゃうの……?」




