第13話 魔法少女と、わがまま
シャワーを浴びて着替えたおれは、浴室の扉を開けたところで、思わず目を見開いた。
冬花が、浴室のすぐ脇で体育座りをしていたのだ。
しかも椅子に座っているわけでもなく、床に直で。
……い、いったい何をしてるんだ?
てっきり、ベッドの上か椅子に座って待っていると思っていたのに。
戸惑いながら部屋の中へ視線を巡らせると、ティトはベッドの上に寝転がり、テレビを見ながら「三時間行列のできるラーメン屋ですか、ほえ~!」などと感心したように頷いているのが見えた。
お前も何をしてるんだよ。
冬花はおれが出てきたことに気づくと、はっとしたように顔を上げた。
それから慌てて立ち上がり、おれのシャツの裾を指先でおずおずとつまんだ。
「あ、あの……さっきはごめんなさい。でも、目が覚めたら、アキトくんがいなくなってて……私、すごく驚いて、慌てちゃって……」
すまなさそうにおれを見上げる冬花を見て、おれはようやく事情を理解した。
どうやら冬花は、目を覚ましたときにおれの姿がなかったことで動揺し、浴室から聞こえた物音に反応して、反射的に飛び込んできてしまったらしい。
おれは冬花を起こさないようにしたつもりだったが、その気遣いが逆に裏目に出たようだ。
「別に怒ってないから大丈夫だ。かなりびっくりしたけどな」
おれが笑ってそう言うと、冬花は安堵したように、ほっと小さく息を吐いた。
だがすぐに、彼女ははたと何かに気づいたような顔になる。
それから頬を赤らめながら、なぜか自分の手首の匂いを確かめるように嗅ぎ始め、しゅんと肩を落とした。
「アキトくん、シャワー浴びたのね……。私、そういえば昨日はここに来てすぐ眠っちゃったから、お風呂に入ってない……汗臭いよね、ごめんなさい……」
「別にそんなことないぞ?」
それは本心だった。
異世界で魔王を倒すために旅をしていた十年間、一週間風呂に入れないなんてことはざらにあった。それに比べれば、今の冬花の体臭が気になるなんてことはまったくない。
むしろ、なんとなくいい匂いがする。
……いや、これは口に出したら完全に変態だな。
だが、冬花はそれでも気になるらしい。
白い頬をうっすら赤く染めたまま、おずおずとおれを見上げてきた。
「あの……私も、お風呂を借りてもいい……?」
「べつにいいぞ。あ、でもそれなら、ちょっと掃除してきたほうがいいか。少し待ってて――」
浴室へ戻ろうとしたところで、シャツの裾をきゅっと引かれた。
「……お風呂、アキトくんと一緒に入りたい。だめ?」
「だめに決まってるが?」
反射的に答えた瞬間、冬花の顔が一気に泣き出しそうなものへ変わった。
し、しまった!
「いや、もちろん冬花が嫌いとか、そういうわけじゃないぞ! ただ、倫理的に問題があるだろ! な? 分かるだろ?」
「でも……」
冬花は、おれのシャツの裾を握る指に力を込めた。
「もし私が離れた途端、アキトくんまで私の姿が見えなくなったらって思うと、すごく怖くて……。せっかく、私のことを認識できる唯一の人に、ようやく巡り合えたのに……」
「冬花……」
冬花の青い瞳が潤む。けれど、彼女は泣き出すまいとするように唇をきゅっと結び、それから震える声で続けた。
「迷惑だって分かってるけれど……そばにいてほしいの……」
その声を聞いて、おれはすぐに言葉を返せなかった。
冬花は、お姉さんを失ったあと、代償のせいで誰にも認識されなくなった。
話しかけても、声は届かない。触れても気づかれない。
同じ魔法少女でさえ、彼女の存在を認識できなかった。
そんな状態で、ずっと一人で戦ってきたのだ。
……なんで現代日本にいるこの子のほうが、異世界で魔王と戦っていたおれよりつらい目に遭っているんだよ。
魔王や魔族たちは、すごく分かりやすかった。
お前は弱い、俺たちは強い。
だから奪う、だから殺す。
そういう、弱肉強食を極限まで煮詰めたような連中だった。
もちろん地獄みたいな旅だったし、何度も死にかけた。
けれど――それでもおれには仲間がいた。
ガルドがいて、セレナがいて、リリィがいて、レオニスがいて、ティトがいた。
旅の始まりから終わりまで、彼らがそばにいてくれた。
仲間たちがいなければ、おれは一人で魔王になんて立ち向かえなかっただろう。
それを思えば、冬花は本当にすごい。
彼女はたった一人で、誰にも見つけてもらえないまま、それでも戦い続けてきたのだから。
なら――かつて、十年もの間、仲間たちがおれを支えてくれたように。
今度は、おれがこの子を支える番なんじゃないか?
「じゃあ、こうしよう。おれは脱衣所にいるからさ。扉越しに喋り続けてたら、おれが冬花の声を聞けてるって証明になるだろ?」
「……うん」
冬花は小さく頷いた。
「ありがとう。迷惑かけて、ごめんなさい……」
しょんぼりと肩を落とす冬花を見て、おれは思わず手を伸ばした。
そのまま彼女の頭を、できるだけやさしく撫でる。
「迷惑なんかじゃないよ。おれにできることなら何でもするから、もっとわがままを言っていいぞ」
「……なんでも?」
冬花が、涙に濡れた目で、どこか期待するようにおれを見上げる。
「じゃあ、やっぱりお風呂、一緒に……」
「それは駄目」
即答すると、冬花は少しだけ頬を膨らませた。
その拗ねたような表情が、昨日までの張り詰めた顔とは違い、ほんの少しだけ年相応に見えて、おれは内心ほっとする。
「まあ、それ以外にしてほしいことがあるなら、なんでも叶えるからさ」
そう言うと、冬花はふふっと小さく笑った。
「昨日から思ってたけれど……あなた、やっぱりおねえちゃんに似てる……」
「え、おれが? そんなこと言ったら、お姉さんが気を悪くするんじゃないか?」
おれが戸惑って聞き返すと、冬花はくすくすと笑った。
それは、初めて見る冬花の楽しそうな笑顔だった。
「おねえちゃんも、よくこうして私の頭を撫でてくれたの。それで、もっとわがままを言ってね、って。おねえちゃんが何でも叶えてあげるからねって……」
「いいお姉さんだな。やっぱり、おれと似てるなんて言ったら悪いよ」
そう言うと、冬花はまた小さく笑った。
その笑顔はまだどこか儚かったけれど、昨夜見た泣き顔よりもずっとやわらかい。
その微笑を見ていると、おれが間違ってこの世界へ来てしまったことにも、少しくらいは意味があるのかもしれないと思えた。




