第七章 羽後攻略、安東愛季との真剣勝負
羽前に腰を据えて、一ヶ月が過ぎた。
この一ヶ月は、戦のない日々だった。
兵を集めた。近隣の浪人を招いた。羽前の民に年貢を軽くすると約束したら、思ったより早く懐いてくれた。
最上義光の治世が厳しかったのか、それとも単純に俺の条件が良かったのかは分からない。どちらでもいい。人が集まってくれることが、今は何より有難かった。
補給路を整え、城の修繕を進め、半蔵の忍びたちを各地に放って情報を集め続けた。
そして一ヶ月後、マップの兵力表示を確認したとき、俺は思わず目を細めた。
【明智軍 総兵力 二万一千】
「二万か」
呟いた声が、少し震えた。
遠江を逃げ出したときの俺には、まともな兵力すら怪しかった。それがここまで積み上がった。死にながら、吐きながら、騙しながら、それでも北に向かい続けた結果だ。
利三が隣で静かに言った。「感慨深いですな」
「ああ」と俺は答えた。「死ななくて良かった」
利三が珍しく、声を立てて笑った。
しかし、浮かれている時間はなかった。
マップには常に複数の脅威が光っている。秀吉のマーカーは西の方角でじわじわと動き続けている。まだ直接こちらに向いてはいないが、いつ矛先が変わるか分からない。越後の上杉謙信〔不死〕も、相変わらず三万で睨みを利かせている。
そして、羽前の北。
【羽後 安東愛季 兵力七千】
羽後。出羽国の北側。日本海沿岸を押さえる海の大名だ。
前世の記憶を掘り起こす。安東愛季。湊安東氏と檜山安東氏を統一した、安東氏中興の祖と言われた人物だ。海上交易で財を蓄え、水軍を持ち、外交手腕にも長けていた。
マップのパラメータを確認する。
【安東愛季 武力73 統率81 知略80 内政90】
内政が高い。
しかも、そこそこ統率も高い。七千という数字に油断すると、また足元を掬われる。
俺は作戦を考え始めた。
軍議の前に、俺は一人で地図を広げた。
羽前と羽後の国境を指でなぞりながら、考える。
二万一千の全兵力を動かすのは得策ではない。羽前を空にすれば、南から誰かが入ってくる可能性がある。上杉謙信が動いたら、留守の羽前は一溜まりもない。
かといって少なすぎる兵力で羽後に入れば、安東愛季の統率力に押し潰される。
「分けるしかない」と俺は呟いた。
羽前に一万の鉄砲隊を残す。守りの主力として置いておく。
残りの一万一千で羽後を攻める。
数だけ見れば七千対一万一千。悪くない差だ。しかし、安東は海を持っている。水軍で側面を突かれたら、陸上の兵力差が意味をなさなくなる。
「半蔵」と俺は呼んだ。
気配もなく現れた。
「安東の水軍の規模と、日本海側の地形を調べてくれ」
「二日で」消えた。
軍議を開いた。
「羽前の守りに一万の鉄砲隊を残す」と俺は言った。「昌幸殿、守備をお願いしたい」
真田昌幸が穏やかに頷いた。「お任せを。守りは得意でございます」
攻め手の一万一千には、忠勝と幸村を連れていく。家康には後方の補給管理を任せる。前線指揮は忠勝と幸村の二枚看板に頼る。
「一つ確認していいか」と幸村が言った。「今回は《欺瞞》から入るか」
俺は少し間を置いた。
「状況次第だ。まず正面から当たってみる」
幸村が微かに目を動かした。驚いているのか、それとも満足しているのか。
「安東愛季は内政が得意な男だ」と俺は続けた。「《欺瞞》を使えば使うほど、こちらの手の内を読まれる。同じ手を使い続けることへの限界も感じている」
忠勝が槍を立てたまま静かに言った。
「正面から行くなら、俺に任せろ」
「頼む」と俺は言った。「でも無茶はするな」
忠勝が微妙な顔をした。この男に無茶をするなというのは、魚に水に入るなと言うようなものかもしれない。
半蔵の報告が二日後に届いた。
安東の水軍は思ったより小規模だった。海上交易の船は多いが、純粋な軍船は三十隻程度。大規模な水上攻撃は難しい規模だ。
しかし、半蔵の報告にはもう一つ、興味深い情報があった。
「安東愛季は既にこちらの動きを掴んでいます」
「やはりか」
「間者の質が高い。こちらの兵力増強も、羽前での動向も、かなり正確に把握されているようです」
内政90は伊達じゃない。情報収集の網が、こちらの想定より広く張られていた。
俺は《欺瞞》の使用を一度完全に頭から外した。
情報収集能力が高い相手に中途半端な偽情報を流しても、逆に手の内を読まれる。今回は真っ向勝負だ。
羽後への侵攻が始まった。
国境を越えた瞬間から、安東の前衛部隊が対応してきた。素早い。情報を掴んでいたから、迎撃の準備が整っていたのだろう。
忠勝が先頭に立った。
最初の激突で、俺は安東軍の強さを改めて実感した。七千という数字に見合わない粘り強さがある。一人一人が練度高く動き、崩れない。統率81の数値が、戦場でそのまま体現されていた。
それでも忠勝は止まらなかった。
この男が本当に強いのは、単純な武力だけじゃない。周囲の兵を鼓舞する力がある。忠勝が前にいるだけで、兵の士気が別物になる。マップ上で全軍にバフがかかっているのが数値で見える。
右翼で幸村が動いた。山地を利用した迂回攻撃で、安東の側面を揺さぶり始める。
正面の忠勝、側面の幸村。この二人が噛み合ったとき、相手にできる軍勢がどれほどあるか。
じりじりと、安東の陣が後退していった。
しかし、中盤、予想外のことが起きた。
安東愛季本人が、使者を送ってきた。
戦の最中に、だ。
俺は思わず手を止めた。使者の言葉を聞く。
「安東愛季様より。明智殿と直接、話がしたいと」
幸村が警戒した顔で俺を見た。忠勝は無言だが、目が「罠かもしれない」と言っていた。
俺はマップを確認した。
安東愛季のマーカーが、本陣で静止している。動いていない。逃げる気配もない。
「会う」と俺は言った。
「十兵衛様」と利三が声を上げた。
「半蔵、周囲を固めてくれ。俺が会っている間、本陣の警備を最大にする」
半蔵が無言で動いた。
安東愛季は、想像より若い顔をしていた。
三十代半ばか。しかしその目は海を見続けてきた者の目だった。遠くを見る目。広い視野を持つ者の目だ。
向かい合って座った瞬間、愛季が静かに言った。
「明智殿は、天下を狙っていないそうですな」
「そうだ」
「東北に何かを作ろうとしている」
俺は少し驚いた。「何故分かる」
「動き方が違います」愛季が静かに続けた。「天下を狙う者は兵を消耗しない。民を丁寧に扱わない。しかし明智殿が羽前でやったことを聞いた。年貢を軽くした。死者を弔った。能力の低い者を殺さなかった」
岩代での一件が、ここまで伝わっていたのか。
「俺は海を持っています」と愛季が言った。「日本海の交易路を持っている。それは東北で国を作るなら、必ず必要になる」
俺はじっと愛季を見た。
「条件は」
「羽後の自治を認めてほしい。民への過度な負担をかけないと約束してほしい。それだけです」
シンプルだった。
俺は少し考えた。いや、考えるまでもなかった。
「分かった。約束する」
安東愛季は、降伏した。
逃げなかった。久しぶりに当主が逃げなかった。
城の前で愛季が頭を下げたとき、俺は少しだけ目が熱くなった。悟られないように空を見上げた。
マップを確認すると、愛季のパラメータの横に新しい表示が出ていた。
【安東愛季 忠誠86 〔水軍保有〕〔交易路保有〕】
水軍と交易路。
東北で国を作るなら、確かに必要なものだ。
忠勝が隣に来た。珍しく、少し感心したような顔をしていた。
「今回は《欺瞞》を使わなかったな」
「ああ」
「それで勝てた」
「お前と幸村のおかげだ」と俺は言った。
忠勝が短く鼻を鳴らした。この男なりの照れ方だと、最近分かってきた。
夜、全軍が羽後の城に入った。
高台から日本海を見た。
暗い海が、月明かりに光っていた。波の音が聞こえた。こんなに遠くまで来たのかと、改めて思った。
遠江から逃げた夜。あの夜の俺には、海など見える場所まで来られるとは思っていなかった。
利三が隣に立った。
「羽後まで来ましたな」
「ああ」
「次は陸奥ですか」
「ああ」
俺は溜息を吐きながらマップを開いた。
陸奥よりも陸前に、一つの巨大なマーカーが光っている。
【陸前 伊達政宗〔不死〕〔独眼竜〕兵力三万】
兵力の数字を見た瞬間、俺は静かに目を閉じた。
「……また笑えない数字だ」
波の音だけが、夜の海から届いていた。
東北は、もう目の前だ。




