第六章 羽前攻略、東北の風が見えてきた
岩代の城で三日が過ぎた。
死者を弔い、城内を整え、兵の疲れを癒やした。その間ずっと、俺はマップを眺め続けた。
北へ。北へ。
岩代の次に広がるのは羽前だ。マップ上に浮かぶ文字を見た瞬間、俺の背筋に微かな震えが走った。
羽前。出羽国の南側。
東北だ。
もう東北の入り口まで来ている。遠江から逃げ始めたあの夜を思えば、信じられないほど北に来た。死にかけた。吐いた。眠れない夜が続いた。それでも、ここまで来た。
マップを確認する。
【羽前 最上義光 兵力五千】
五千。岩代の蘆名盛氏と同じ数だ。しかし俺はもう岩代攻めのように鼻歌は歌わなかった。あの城の裏手で見たものが、まだ胃の底に残っている。
五千でも、人が死ぬ。
俺は改めて、それを知っていた。
最上義光。
前世の記憶を探る。確か、伊達政宗と同時代の武将だ。出羽の大名で、策略家として知られていた。妹を武将に嫁がせて政略を巡らし、時に冷徹な手段も辞さない。
マップのパラメータを見る。
【最上義光 武力80 統率85 知略90】
知略が高い。
蘆名盛氏より、一段階上だ。
「《欺瞞》が効きにくいかもしれない」と俺は呟いた。
知略の高い相手は、偽情報を見抜く可能性がある。同じ手法を使い続けることへの限界を、俺は薄々感じ始めていた。
幸村の言葉が頭に蘇る。
『次は変えろ』
しかし、変えると言っても、俺の手札は限られている。《欺瞞》がなければ、純粋な兵力勝負になる。一万三千対五千。数は上だ。でも東北の地で、地の利を知り尽くした相手と真正面からぶつかるのはリスクがある。
俺は地図を広げ、羽前の地形を確認した。
山が多い。川が多い。地形を知らなければ、数の優位が消える。
「半蔵」と俺は呼んだ。
音もなく現れた。
「羽前の地形を全部調べてきてくれ。川の深さ、山の険しさ、城までの道の状態。全部だ」
「三日で」発言した瞬間、消えた。
半蔵が戻るまでの三日間、俺は自分の気持ちを整理していた。
東北が近い。あと一つ、この羽前を抜ければ、奥州が開ける。伊達の地が見えてくる。
逃げ続けた旅が、ようやく目的地の輪郭を掴もうとしている。
俺は性根を入れ直した。
ここまで来て死ねない。ここまで連れてきた家臣と家族を、ここで失うわけにはいかない。甘い気持ちも、油断も、鼻歌も、全部捨てる。羽前は丁寧に、確実に、取る。
軍議を開いた。
「羽前に入る」と俺は言った。「今回は《欺瞞》だけに頼らない」
幸村がわずかに目を動かした。
「地形を活かした包囲戦を基本にする。正面から力で押しつつ、半蔵の情報で敵の動きを先読みする。忠勝と幸村には各翼を任せる」
忠勝が静かに頷いた。
「昌幸殿には後方の補給路を守ってもらいたい。万が一の退路も確保しておく」
昌幸が穏やかに笑った。「慎重になられましたな」
「岩代で懲りた」と俺は正直に言った。「勝てればいいわけじゃない。どう勝つかを考えるようになった」
広間が静かになった。
家康が小さく頷いているのが見えた。
羽前への侵攻は、慎重に進めた。
半蔵の地形情報を元に、川沿いの危険地帯を避けながら進軍する。最上義光の物見が何度かこちらを確認しに来たが、半蔵の忍びたちが全員無力化した。
情報を遮断した。
これが今回の最初の手だ。《欺瞞》で偽情報を流す前に、まず相手の目を潰す。知略が高い義光でも、情報がなければ動けない。
三日かけて、俺の軍は羽前の中心部に静かに近づいた。
そして、《欺瞞》を発動した。
今回流した情報は「蘆名盛氏が南から反攻してくる」というものだ。盛氏は岩代から逃げたが、マップ上でまだ存在している。その存在感を逆手に取った。
義光の陣が動いた。
南への備えとして兵の一部が割かれた瞬間、忠勝と幸村が両翼から同時に動いた。
戦は激しかった。
鼻歌など欠片も出なかった。
最上の兵は練度が高く、地の利を活かして粘り強く抵抗した。忠勝が右翼を突破するのに予想より時間がかかった。幸村の左翼も、山地での戦いに手こずっていた。
それでも数の差は正直だった。
じりじりと、確実に、最上の陣が縮んでいく。
義光は最後まで冷静だった。マップ上で彼のマーカーが戦場を動き回り、崩れそうな箇所を自ら立て直しに行く。知略90は伊達じゃない。俺の《欺瞞》の効果を部分的に見抜いていたのか、南への備えに割いた兵を途中で引き戻してきた。
それでも、遅かった。
包囲が完成したとき、最上の残存兵力は千を切っていた。
降伏勧告の使者を送った。
返事が来るまで、妙に長かった。
使者が戻ってきた。
その顔を見た瞬間、俺には結果が分かった。
「最上義光様、少数の手勢を連れて北へ脱出されました」
また逃げられた。
思わず天を仰いだ。
蘆名盛氏に続いて、最上義光も逃げた。どうも俺は当主に逃げられる運命らしい。マップ上で義光のマーカーが北の山中に消えていくのを、俺はただ眺めた。
利三が横に来た。「追いますか」
「追わない」と俺は言った。「山の中に逃げ込まれたら、半蔵でも時間がかかる。それより羽前を固める方が先だ」
義光を仲間にできたら、と思わなくはなかった。知略の高い将は貴重だ。しかし逃げた者を無理に捕まえても、昌幸や幸村の件で学んでいる。心がついてこなければ意味がない。
「仕方ない」と俺は言った。
本当に、仕方なかった。
羽前の城に入ったのは夕暮れ時だった。
城の高台から北を見ると、奥州の山並みが見えた。
遠くない。
地平線の向こうに、確かに東北が広がっている。あそこまで行けば、俺たちの旅に一つの区切りがつく。そう思うと、長かった道のりが胸の中で波のように押し寄せてきた。
遠江から逃げた夜。三河で本多忠勝に泣かされた戦。信濃で真田幸村に睨まれた交渉。上野で長野業正にブチ切れられた敗北感。岩代の城裏で吐いた夜。
全部、あった。全部、越えた。
俺は深く息を吐いた。
しかし、現実は感傷を許してくれない。
城内の報告を聞くと、兵の消耗が予想より大きかった。最上の兵が思った以上に粘り強く、特に山地戦での損耗が響いている。
「現在の実働兵力」と利三が報告した。「八千四百と見ます」
一万三千から、八千四百。
奥州に向かうには、心許ない数字だ。
「回復に専念する」と俺は言った。「焦って奥州に入って負けたら意味がない」
利三が頷いた。「羽前の民の懐柔も必要です。最上様が去った後、民心が定まっておりません」
「それも含めて頼む」
俺は羽前での立て直しを命じた。兵の休養、食糧の確保、城の修繕、民への対応。やることは山積みだ。
幸村が夕暮れの城壁に立って、北を見ていた。
「もうすぐだな」と俺は隣に立って言った。
「ああ」幸村が静かに答えた。「しかし奥州は広い。伊達、南部、津軽……一筋縄ではいかんぞ」
「分かってる」
「秀吉もそろそろ動くだろう」
「分かってる」
幸村が俺を見た。「それでも行くか」
「行く」と俺は即答した。「ここまで来て止まれるか」
幸村が小さく笑った。
この男が笑うのを見るのは、初めてかもしれなかった。
夜、俺はGAMEを開いた。
忠誠値を確認した。
【本多忠勝 忠誠81】
【真田幸村 忠誠82】
二人とも、80台になっていた。
いつの間に上がったのか。気づかないうちに、少しずつ積み上がっていたらしい。
俺は思わず口元が緩んだ。
まだ100じゃない。まだ信頼しきれていない。でも確実に、この旅を通じて何かが育っている。
マップの北に、奥州の光が見えた。
東北は、もう目の前だ。




