最終章 東北の雪と、再会の酒
九州征伐は、想像以上に早く決着した。
伊予に集結した兵力で、周防から肥前へ、伊予から豊後へ。島津義久に完勝した。
六月、肥後から日向へ攻撃。完勝。
七月、肥前から肥後を攻める。完勝。
島津義久は薩摩に逃れたが、九月、肥後から薩摩を攻めて完勝。義久は切腹した。
島津氏、滅亡。俺は薩摩の城の高台に立った。
《GAME》の〔マップ〕を開いた。
日本全土が、明智の色に染まっていた。
「全国制覇か」と俺は呟いた。
信玄が静かに俺の隣に来た。「明智殿」
「信玄殿」俺は信玄を見た。「終わったな」
「終わった」信玄が静かに言った。「東北の雪、見せてもらえるか」
「行こう」俺は言った。「今度こそ、本当に」
全員の顔を見た。
忠勝、幸村、政宗、家康、昌幸、利三、半蔵、安東愛季、義重、義元、信繁、昌景。
全員が、隣にいた。
俺の視界が、突然、白くなった。光が、周囲を包んだ。
目を開けると、見慣れた天井があった。勝竜寺城の天井。俺は布団の中にいた。
窓から、夜明けの光が差し込んでいる。
天正十年六月二日。本能寺の変の翌朝。
俺は飛び起きた。
手を見た。
年老いた手だった。
「GAME」と呟いた。
何も浮かばなかった。
《虚報》も、《GAME》も、消えていた。
俺は窓に駆け寄った。
京の風景が広がっていた。
俺は、その場に座り込んだ。
信玄。忠勝。幸村。政宗。家康。昌幸。利三。半蔵。安東愛季。義重。義元。信繁。昌景。
全員の顔が、頭の中に浮かんだ。
全員が、笑っていた。
全員が、隣にいた。
全員が、戦ってくれた。
全員が、ここにいない。
俺の目から、涙が溢れた。止まらなかった。
声を出さずに、布団に顔を埋めて、泣いた。
信玄との約束を思い出した。「東北の雪、見せてもらえるか」
果たせる、はずだった。
しかし、全部、消えた。
長い間、泣いた。
しかし、記憶は消えていなかった。
全員の言葉を、覚えていた。全員と過ごした時間を、覚えていた。
俺は顔を上げた。窓から、朝の光が差し込んでいた。
「もう一度、やる」と俺は言った。
声が、しっかりしていた。翌日から、俺は動いた。
《GAME》のスキルはない。
《虚報》もない。
しかし、記憶がある。
どこに誰がいるか。どう声をかければいいか。どんな未来を作れるか。
三河に向かい、徳川家康と接触した。今度は戦わなかった。
最初から、対等な関係を求めて文を送った。
家康は最初は警戒した。しかし時間をかけて、信頼関係を築いた。
信濃に向かい、真田家と接触した。
幸村はまだ少年だった。
昌幸に、東北での未来を提案した。
奥州に向かい、伊達家、安東家、佐竹家と関係を築いた。
しかし、武田信玄は、すでにこの世にいなかった。
天正元年(一五七三年)、信玄は陣中で病に倒れ、世を去っている。
本能寺の変は、その九年後だ。
あの全国制覇の旅で出会った信玄は、〔不死〕という、この時代が歪んだことで生まれた、もう一人の信玄だった。
時が戻った今、その信玄は、もういない。
俺はその事実を、半蔵からの報告で知った。
「信玄公は、九年前に身罷られています」半蔵が静かに言った。
俺は、しばらく動けなかった。「そうか」とだけ、俺は言った。
時が流れた。
歴史は、少しずつ変わっていった。
しかし、大きく狂うことはなかった。
各地の武将たちと、明智光秀は緩やかに関係を築いていった。
戦は減った。
民が、少しずつ豊かになっていった。
俺は、東北に拠点を持った。
多くの歳月が流れた。
徳川家康は、内政の手腕で天下をまとめた。
俺は家康を征夷大将軍に推し、京に幕府が開かれた。
徳川幕府。
俺自身は、政治の中心から退いた。
「隠居するのか」と幸村が聞いた。
「東北に住む」俺は答えた。「そこで、静かに暮らす」
「天下は」
「家康に任せた」俺は静かに言った。「あいつなら、長く続く世を作る」
俺は東北に移った。
小さな庵を持った。
雪の季節になると、縁側に座って、外を眺めた。
ある冬の夜。
俺は一人で、雪を見ていた。
信玄を、思い出していた。
あの旅で出会った、〔不死〕の信玄のことを。
「東北の雪を、見せたかった」と俺は呟いた。
あのとき、約束を果たせたと思った。
しかし、時が戻って全部が消えた。
もう一度、こうして東北に来た。
しかし、信玄は、ここにはいない。
あの時代にも、この時代にも、もういない。
俺の目から、涙が出た。静かに、雪を見ながら、泣いた。
その時、笑い声が聞こえた。俺は振り返った。
庵の中に、人がいた。
武田信玄が、酒を飲んでいた。
その隣に、本多忠勝が。真田幸村が。伊達政宗が。徳川家康が。真田昌幸が。斎藤利三が。服部半蔵が。安東愛季が。佐竹義重が。今川義元が。武田信繁が。山県昌景が。
全員が、笑いながら、酒を飲んでいた。
「これが東北の雪か」信玄が静かに言った。
俺は涙を拭いた。
泣き笑いになった。
「そうだ」と俺は言った。「信玄殿」
「会いに来た」信玄が静かに言った。「あの時代の儂は、もう、お主の中にしかいない。それでいいと思って、来た」
俺は、皆の輪に入った。
酒を受け取った。
一緒に、飲んだ。
その夜、ずっと話した。
全国制覇までの旅の話。
義堯のこと。氏政のこと。謙信のこと。信長のこと。秀吉のこと。
長かった旅の、全部を話した。
夜が更けていく。
雪が、静かに降り続いていた。
信玄が、俺の隣に座った。「明智殿」
「何だ」
「笑って生きろ」信玄が静かに言った。「悲しむな。儂は楽しんだ」
俺は信玄を見た。
その目は、優しかった。
いつもの、忠誠の高い男の目だった。
「分かった」と俺は言った。
信玄が、頷いた。
そして、ゆっくりと、消えていった。
一人ずつ、消えていった。
忠勝が消えた。幸村が消えた。政宗が消えた。家康が消えた。昌幸が消えた。利三が消えた。半蔵が消えた。愛季が消えた。
義重が消えた。義元が消えた。信繁が消えた。昌景が消えた。
俺は、一人になった。
しかし、もう泣かなかった。
雪が降り続いている。
俺は縁側に座って、その雪を見ていた。
「ありがとう」と俺は呟いた。「全員に、ありがとう」
俺は、その後も長く生きた。
東北の地で、穏やかに、笑って生きた。
たまに、雪の降る夜には、酒を一人で飲んだ。
しかし、寂しくはなかった。
いつも、隣に誰かがいる気がした。
最後の冬。
俺は縁側で、雪を見ながら、目を閉じた。
穏やかな、笑顔だった。
明智光秀、天寿を全うす。
完




