第五十九章 帰れない東北と、四国への使者
丹波から京に戻ったのは、一月の末だった。
山城の城に入った瞬間、俺は全身から力が抜けた。
馬から降りながら、利三が支えようとした。
「大丈夫だ」と俺は言った。「ただ疲れた」
「当然です」利三が静かに言った。「摂津から丹波まで、ずっと動き続けていました」
内政の報告書が山積みになっていた。
京の奉行から。山城の各地から。大和から。摂津から。
全ての国が、戦の後始末を求めていた。
田畑が荒れた。街道が壊れた。市が止まった。民が逃げた。
戦の後には、必ずこれが来る。
俺はそれを知っていながら、また痛感した。
最初にやることを決めた。
一つ目、各地の戦後復興。死者の弔い、田畑の整備、市の再開。
二つ目、兵力の補充。摂津と丹波の激戦で、総兵力が大きく削れていた。
三つ目、各地の豪族との関係構築。新しく取った摂津、丹波、近江の豪族たちが、まだ完全には明智になじんでいない。
信玄を呼んだ。
「大和の立て直しを、引き続き頼む」
「分かった」信玄が頷いた。「しかし、明智殿、一つだけ言っていいか」
「何だ」
「東北に帰りたいだろう」
俺は少し驚いた。「分かるか」
「顔を見れば分かる」信玄が静かに続けた。「帰りたい顔をしている。しかし、帰れない顔もしている」
「そうだ」俺は正直に言った。「帰りたい。しかし、畿内がまだ落ち着いていない。ここを離れれば、何かが起きる気がする」
「正しい判断だ」信玄が静かに言った。「帰りたい気持ちをこらえて、踏みとどまれるなら、明智殿は本物の主君だ」
家康に京の内政を任せた。
「関東は昌幸殿に任せています。京と畿内は私が担います」家康が静かに言った。
「明智殿は全体を見てください」
「頼む、家康」
「一つだけ申し上げます」家康が続けた。「東北への連絡を定期的に入れてください。昌幸殿も利三殿も、明智殿の声を聞きたがっています」
「そうするよ」
幸村に兵の訓練を任せた。
「消耗した兵を立て直す。それと新しく集まってくる兵の練度を上げる」幸村が静かに言った。「三ヶ月あれば、戦える状態に戻す」
「頼む」
「明智殿、一つだけ言っていいか」幸村が続けた。
「何だ」
「東北に帰りたいのに帰れないのは、辛いな」
俺は少し苦笑いした。「信玄殿と同じことを言うな」
「正直な気持ちを言っただけだ」幸村が静かに言った。「しかし、踏みとどまれる主君を、俺は信頼する」
政宗に摂津と丹波の豪族対応を任せた。
「信長公の旧臣対応で培った経験を使う」政宗が静かに言った。「摂津は秀吉の地盤だ。秀吉に従っていた豪族たちを、明智につける。時間はかかるが、確実にやる」
「頼む、政宗」
「しかし」政宗が続けた。「一つ気になることがある」
「何だ」
「四国だ」
政宗の言葉が、俺の頭に引っかかった。
四国。
秀吉が滅んだ今、四国の情勢が変わりつつある。
前世の記憶の中で、長宗我部元親という男を知っていた。
四国統一を目指した武将だ。秀吉に従わなかった男だ。
「長宗我部か」と俺は言った。
「そうだ」政宗が続けた。「秀吉が滅んだことで、長宗我部は自由になった。しかし四国と畿内の間には海がある。お互いに脅威にはなりにくい。しかし同盟を結べれば、西国の安定に繋がる」
「具体的には」
「長宗我部が四国を固めている間、明智は畿内を固める。互いに干渉しない。しかし共通の敵が現れたとき、共に動く。そういう形の同盟だ」
俺は地図を見た。
四国。長宗我部元親の土地。
秀吉の死で、四国の情勢が大きく変わっているはずだ。
長宗我部は今、何を考えているか。
「使者を送る」と俺は決めた。
しかし、誰を送るか。
半蔵に相談した。
「長宗我部元親殿への使者は、難しい相手です」半蔵が静かに言った。「あの方は独立心が強い。明智殿の配下として扱えば、必ず拒絶されます」
「対等に扱う必要があるということか」
「はい。同盟というより、互いを認め合う関係として提案すべきです」
「分かった。文はどう書く」
「飾らない言葉で書いてください。長宗我部元親殿は実直な方と聞いています。格式ばった文より、本音で書いた文の方が伝わります」
俺は文を書いた。
長宗我部元親への文だ。
「長宗我部元親殿へ。明智光秀が申し上げます。羽柴秀吉が滅んだ今、西国の情勢が大きく変わりました。俺は天下を狙っていません。東北の民を守ることが、俺の目的です。しかし畿内が安定するまで、京から動けない状況が続いています。四国は長宗我部殿の土地です。俺はそこに手を出すつもりはありません。しかし互いに認め合い、共通の脅威に対して共に動ける関係を築きたいと思っています。よろしければ、使者を送ってください。明智光秀」
読み返した。
飾りがない。
正直すぎるかもしれない。
しかし、これでいいと思った。
長宗我部元親という男は、本音で話せる相手だという直感があった。
使者に選んだのは、安東愛季の部下の商人だった。
海路で四国に向かえる人間が必要だった。
安東愛季が「信頼できる者を選ぶ」と言って、自ら手配してくれた。「この商人は四国との交易でも動いています。長宗我部殿の側近とも顔見知りです」安東が静かに言った。「文を届けるだけでなく、雰囲気を読んで戻ってきてくれます」
「頼む、愛季殿」
使者が四国に向かった。
返事が来るまで、どのくらいかかるか分からない。
しかし、待つ時間は、内政と兵力補充に使える。
京での日々が続いた。
毎朝、書類と格闘する。
昼に各地の報告を聞く。
夕方に政宗や家康と対策を話し合う。
夜に《GAME》の〔マップ〕を確認する。
その繰り返しだ。
東北からの報告が届いていた。
昌幸から。「東北は平和です。民の顔が穏やかです。しかし、十兵衛様を待っている声が各地から届いています」
その一文が、俺の胸を刺した。
利三が静かに言った。「十兵衛様、東北の民が待っています」
「分かっている」
「しかし、畿内が」
「分かっている」俺は繰り返した。「だから動けない。しかし、必ず帰る。それだけは約束する」
半蔵が来た。「畿内の状況を報告します」
「聞かせてくれ」
「秀吉が滅んだことで、西国の大名が動き始めています。毛利が勢力を拡大しようとしています。九州の大名も動きがあります。摂津と丹波に明智の軍勢が入ったことで、警戒している大名もいます」
「具体的に危ない動きはあるか」
「今のところはありません。しかし、西国の情勢が固まるまで、京から離れるのは危険です」
俺は地図を見た。
中国と九州に、様々な大名のマーカーが光っている。
大内。毛利。大友。島津。
秀吉が抑えていた中国地方の大名たちが、自由に動き始めている。
「当分、京から動けないな」と俺は呟いた。
信玄が大和から来た。「明智殿、大和の報告をしに来た」信玄が静かに言った。
「聞かせてくれ」
「大和は安定してきた。兵力も三万五千まで回復した。内政も軌道に乗っている」
「ありがとう、信玄殿」
「しかし」信玄が続けた。「大和にいると、遠くに感じることがある」
「何がだ」
「東北だ」信玄が静かに言った。「明智殿が約束した東北の雪が、まだ遠い」
俺は信玄を見た。
忠義の男が、雪を待っている。
「信玄殿、正直に言う」
「言ってくれ」
「今すぐ東北には帰れない。畿内が落ち着くまで、少なくとも半年はかかる。長宗我部との同盟交渉が終わるまで、西国の情勢が見えるまで、俺は京にいなければならない」
「分かっている」信玄が静かに言った。
「しかし、必ず帰る。約束する」
「信じる」信玄が短く言った。「主君の約束を、儂は信じる」
一週間後、四国から使者が戻ってきた。
予想より早かった。
安東愛季が呼んできた商人の報告を聞いた。「長宗我部元親殿は、文を読んで少し驚いた様子でした」商人が続けた。「天下を狙わないと書いた明智殿の文に、珍しい武将だと言っていました」
「返事はあるか」
「はい。長宗我部元親殿からの文をお預かりしています」
文を受け取った。
開いた。
長宗我部元親の文は、短かった。
「明智殿の文、読んだ。天下を狙わないと書く武将は初めてだ。信じるかどうか、まだ判断できない。しかし、話し合う価値はある。使者を直接送ってきてくれ。長宗我部元親」
俺は文を読んだ。
もう一度読んだ。
「話し合う価値はある、か」と俺は呟いた。
利三が静かに言った。「前向きな返事ですな」
「そうだ」俺は頷いた。「断らなかった。それだけで十分だ」
次の使者を誰にするか、俺は考えた。
直接会って話し合うことを求められている。
長宗我部元親という男に向き合える人間が必要だ。
「家康に頼む」と俺は決めた。
家康を呼んだ。
「四国の長宗我部への使者を頼みたい」
家康が少し驚いた顔をした。
「私が直接行くのですか」
「そうだ。長宗我部元親は直接話し合いを求めている。使者の格が必要だ。お前なら俺の代わりに話せる」
「分かりました」家康が静かに頷いた。
「しかし、京の内政は」
「政宗に任せる。お前が戻るまでの間、政宗と幸村と昌幸で動かす」
「分かりました。長宗我部元親殿との交渉、任せてください」
家康が四国に向かった。
安東愛季が海路を手配した。
京に残った俺は、引き続き内政と兵力補充に専念した。
毎日が書類との格闘だ。
しかし、その書類の一枚一枚が民の生活に繋がっていると思えば、苦ではなかった。
ある夜、俺は窓から北の空を見た。
東北が、あの方角にある。
昌幸が守ってくれている。
民が平和に生きている。
信玄が雪を待っている。
「もう少しだ」と俺は呟いた。
畿内が落ち着けば、帰れる。
長宗我部との同盟が成立すれば、西国が安定する。
そうすれば、帰れる。
東北に帰れる。
《GAME》の〔マップ〕を確認した。
東北五ヶ国が、北で静かに輝いていた。
民が待っている。
もう少しだけ、待っていてくれ。




