第四十五章 上杉謙信、最後の義
信濃に本陣を構えてから、十日が過ぎた。
半蔵から報告が続いていた。
謙信のマーカーが、関東から北上していた。
常陸を通過して、岩代に向かっている。
俺は《GAME》の〔データ〕を確認した。
【岩代 上杉謙信〔不死〕〔毘沙門天〕兵力一万一千】
岩代。
俺が東北を目指す途中で攻略した土地だ。
蘆名盛氏が逃げた、あの岩代だ。
その土地に、謙信が入っていた。
「最後の上杉領か」と信玄が静かに言った。
「そうだ」と俺は答えた。「謙信公は岩代で最後の砦を作ろうとしている」
「なぜ岩代を選んだと思う」と幸村が聞いた。
「東北に近い」俺は地図を見た。「謙信公は東北を最後の戦場に選んだ。俺たちと、最後の義を交わす場所として」
広間が静まり返った。
半蔵の報告が続いた。
「謙信公、岩代の城に入りました。家臣団と共に籠もっています。兵力は一万一千。しかし城の守りが固い。謙信公自身が指揮を執っています」
「周囲の状況は」
「岩代の民は、謙信公を迎え入れています。越後で長年守られてきた民たちが、各地から岩代に集まっています。民の心が謙信公についています」
俺は目を閉じた。
謙信は最後まで、民に慕われている。
「行かなければならない」と俺は言った。
「明智殿が直接行くのですか」と家康が聞いた。
「行く。謙信公との最後は、俺が直接向き合う」
「信長公が三河に向かっているという情報があります。今、信濃を離れていいのですか」
「政宗がいる」と俺は言った。「三河は政宗に任せる。岩代には信玄殿、忠勝、幸村と一緒に行く」
政宗への伝令を飛ばした。
「岩代に向かう。三河は任せた。信長公が来ても、時間を稼いでくれ。必ず戻る」
政宗からの返事が来た。
「分かった。三河は俺が守る。しかし急いで戻ってきてくれ。信長公は速い」
出発の前夜。
俺は一人で執務室に座った。
謙信への文を書いた。
最後になるかもしれない文だ。
しかし、書かずにはいられなかった。
「上杉謙信公へ。明智光秀が参ります。あなたが義の人であることを、俺は知っています。東北の民のために戦ってきたことも。しかしここで終わりにしてください。民を、これ以上戦に巻き込まないでください。明智光秀」
文を封じた。
使者に渡した。
翌朝、信玄、忠勝、幸村と共に、二万の兵を率いて信濃を出発した。
東北に向かって。
岩代に向かって。
謙信に向かって。
岩代への道は、懐かしかった。
遠江を逃げ出した俺が、初めて東北を目指して歩いた道だ。
あのときは逃げていた。
今は、迎え撃つ側として歩いている。
「不思議なものだ」と俺は呟いた。
幸村が隣で静かに言った。「何が不思議だ」
「この道を最初に歩いたとき、俺は逃げていた。今は戦いに向かっている。同じ道が、全く違う意味を持っている」
「人間が変わったからだ」と幸村が静かに言った。
「俺が変わったか」
「変わった」幸村が短く言った。「遠江から逃げた男と、今の明智殿は別人だ」
岩代に入ったのは、三日後だった。
城が見えた。
堅固な山城だ。
謙信が最後の砦として選んだ場所だけある。
城の周囲に、上杉の旗が並んでいた。
「毘」の文字が、秋の風に揺れている。
俺の文への返事が来ていた。
謙信の文は短かった。
「来い。最後の義を果たす。上杉謙信」
野戦の準備が始まった。
謙信は城の外で、最後の野戦を挑んできた。
城に籠もって、消耗戦を選ばなかった。
謙信らしい選択だ。
最後の野戦、岩代の平野に上杉の軍勢が展開した。
一万一千。
謙信自身が、先頭に立っていた。
白い甲冑。「毘」の旗。
この姿を見たのが最後になるかもしれないと、俺は思った。
信玄が前に出た。
「謙信との最後の戦い、儂が先頭に立つ」信玄が静かに言った。
「頼む」
「儂と謙信は長年戦ってきた。川中島で何度も激突した。最後もまた、儂が向かうべきだ」
信玄が馬を進めた。
謙信が、信玄を見た。
戦場の中で、二人の目が合った。
言葉はなかった。
しかし、その一瞬に長年の因縁が凝縮されていた。
戦が始まった。〔毘沙門天〕が展開した。
謙信の一万一千が、信念を持って前進してきた。
恐れがない。
死を恐れない。
義のために戦う人間の、最後の戦いだ。
信玄が〔風林火山〕を展開した。
忠勝が中央に突進した。
幸村が右翼から回り込んだ。
三人が、謙信の軍勢に向かって動いた。
激しかった。
前回の千曲川の戦いより、激しかった。
謙信の兵が、一人残らず全力で戦っていた。
退く気がない。
逃げる気がない。
最後の義を果たすために、全員が前を向いていた。
信玄と謙信が、また正面からぶつかった。
〔風林火山〕対〔毘沙門天〕。
川中島の再現。
しかし、今回は違う。
謙信の兵力が、信玄の半分以下だ。
消耗が続いていた。
忠勝が中央を突破した。
幸村が左翼を崩した。
信玄が正面から押し込んだ。
三方向からの圧力に、謙信の陣形が乱れ始めた。
しかし、謙信は退かなかった。
自ら最前線に立って、崩れる陣形を立て直し続けた。
一人で、全てを支えようとしていた。
どのくらい時間が経ったか。
気づいたとき、上杉の軍勢が大きく削れていた。
一万一千が、三千を切っていた。
それでも謙信は立っていた。
最後の三千が、謙信を囲んで立っていた。
俺は使者を送った。
「降伏してほしい。これ以上の戦いは無意味だ」
謙信から返事が来た。
「無意味ではない。義の戦いに、無意味はない」
戦が続いた。
三千が、二千になった。
一千になった。
それでも謙信は立っていた。
最後の瞬間。
謙信の周囲に残った兵が、百人を切った。
信玄が前進を止めた。「待て」と信玄が言った。
全軍が止まった。
俺も止まった。
謙信が、静かに立っていた。
周囲の百人も、立っていた。
戦場に、奇妙な静寂が訪れた。
謙信が、城の方を向いた。
使者を城に送った。
しばらくして、城から煙が上がった。
白い煙だった。
「半蔵」と俺は呼んだ。
「確認します」半蔵が消えた。
数分後、戻ってきた。
「謙信公の家臣団が、城内で切腹しています」
広間が、静まり返った。
いや、戦場が静まり返った。
明智の兵も、上杉の残った百人も、誰も動かなかった。
謙信が振り返った。
俺を見た。
その目に、怒りはなかった。
悔しさもなかった。
ただ、静かだった。
義を全うした人間の、静けさだった。
謙信が腰の刀を手に取った。
最後の百人が、謙信を囲んで、同じように刀を手に取った。
信玄が馬を降りた。
俺も馬を降りた。
忠勝も降りた。
幸村も降りた。
全員が、馬を降りた。
謙信が、静かに言った。
遠くて聞こえなかった。
しかし、口の動きから、俺は読んだ。
「義、果たしたり」
戦場に、風が吹いた。
秋の風が、岩代の平野を吹き抜けた。
「毘」の旗が、最後に大きく揺れた。
信玄が静かに呟いた。「天晴なり」
それだけだった。
たった四文字。
しかしその四文字が、全てを言い表していた。
武田信玄が、宿敵に捧げた、最高の賛辞だった。
上杉謙信が、岩代の野で逝った。〔不死〕であったはずの謙信が、自ら義の終わりを選んだ。
《GAME》の〔マップ〕上で、謙信のマーカーが消えた。
上杉家臣団のマーカーが、次々と消えていった。
上杉氏、滅亡。俺は動けなかった。
戦場に立ったまま、謙信がいた場所を見ていた。
風だけが吹いている。「毘」の旗が、地に落ちていた。
利三が隣に来た。「十兵衛様」
「ああ」と俺は言った。
「上杉氏、滅亡しました」
「ああ」
言葉が出なかった。
それ以上の言葉が、出なかった。
幸村が静かに言った。
「謙信公は最後まで義を貫いた」
「ああ」
「俺たちが倒した中で、最も強い義を持った人だった」
「ああ」
俺は涙が出そうになった。
悟られないように、空を見た。
秋の空が、高かった。
信玄がゆっくり俺のところに来た。
「明智殿」
「何だ」
「謙信は義を貫いた。お主はどう思う」
俺は少し間を置いた。
「立派だと思う」と俺は言った。「しかし、悲しい。もっと別の形があったかもしれないと思う。しかしこれが、謙信公の選んだ義だ。俺には止められなかった」
「止める必要はなかった」信玄が静かに言った。「謙信の義を、俺たちは受け取った。それが全てだ」
その夜、俺は謙信の城に入った。
家臣団が切腹した広間に入った。
線香を焚いた。
手を合わせた。
「謙信公、あなたの義を受け取りました。越後の民を、俺が守ります。岩代の民も。必ず守ります」
翌朝、全員に告げた。
「越後の民、岩代の民、上杉の旧領全ての民を、俺たちが守る。謙信公が守り続けてきた民だ。その重さを忘れるな」
全員が深く頷いた。
半蔵が来た。
「急報があります」
「何だ」
「信長公が、三河に向かって動き始めています。政宗殿から連絡があります。『急いで戻ってきてくれ』と」
俺は頷いた。
「戻る」と俺は言った。「謙信公、少し待ってくれ。東北の民を守ってから、ゆっくり手を合わせに来る」
《GAME》の〔マップ〕を見た。
上杉のマーカーが、全て消えていた。
代わりに、信長の〔第六天魔王〕マーカーが、西で赤く輝いていた。
まだ終わっていない。
しかし、一つの戦いが、終わった。
信玄が馬に乗った。
「行くか」
「行く」と俺は答えた。
「謙信に、天晴なりと言えた。悔いはない」信玄が静かに言った。
「ありがとう、信玄殿。あの言葉を言ってくれて」
「儂が言いたかっただけだ」信玄が短く言った。
岩代を出発した。
西に向かった。
信長に向かった。
振り返ると、岩代の城に「毘」の旗の代わりに、明智の旗が立っていた。
俺は静かに頷いた。
謙信の民を、守る。
それが、謙信への答えだ。




