第四十三章 千曲川決戦、義と義のぶつかり合い
千曲川が見えてきた。
川幅が広い。流れが速い。
川の向こう岸に、上杉の旗が並んでいた。
白地に「毘」の一文字。
毘沙門天の旗が、風に揺れている。
三万二千の兵が、川の手前で展開を始めた。
《GAME》の〔データ〕を確認した。
【上杉謙信〔不死〕〔毘沙門天〕兵力一万八千】
前回の越後での戦いで消耗していた。
一万八千。
こちらの三万二千に対して、一万八千。
数は俺たちが上回っている。
しかも、今回は越後の外だ。地の利の越後補正がない。
しかし、《GAME》の〔データ〕を見ると、謙信のパラメータは変わっていなかった。
【武力100 統率100 義力100】
越後補正がなくても、謙信は謙信だ。
川の向こうから、謙信の使者が来た。
「上杉謙信公より。約束通り参った。戦の前に、一つだけ明智殿に伝言がある」
「聞かせてくれ」と俺は言った。
「謙信公は言われました。『明智光秀は謀反人だ。しかし正面から挑戦状を送る義は認める。義の決着をつける』と」
俺は使者を見た。
「謙信公に伝えてくれ。『明智光秀、全力で受ける』と」
使者が去った。
信玄が俺の隣に来た。
「謙信との戦い、儂が先頭に立つ」
「危険だ」
「儂は死なぬ」信玄が静かに笑った。「そして、謙信とは長年の因縁がある。川中島で何度も戦った。あの男と決着をつけるなら、儂が前に出るべきだ」
俺は信玄を見た。
「頼む」と俺は言った。
「任せろ」
忠勝が来た。「俺も先陣に行く」
「信玄殿と一緒にか?」
「そうだ」忠勝が静かに言った。「信玄殿一人では心配だ」
「儂は死なぬと言っている」信玄が少し呆れた顔をした。
「それでも心配だ」忠勝が真剣な顔で言った。
信玄が少し笑った。「頑固な男だ」
幸村が来た。「右翼は俺が担う」
「謙信の側面を崩してくれ」と俺は言った。
「分かっている」幸村が静かに続けた。
「明智殿、一つだけ確認させてくれ」
「何だ」
「今回は策を使わない。正面からぶつかる。それは変わらないか」
「変わらない」
「分かった」幸村が頷いた。「義の戦いに、策は要らない。俺も全力で行く」
本願寺の使僧が来た。
「明智殿、われらはどこに配置されますか」
俺は少し考えた。
「中央の後方に配置してほしい。前線に出る必要はない。しかし旗を高く掲げてくれ」
「旗を、ですか」
「本願寺の旗だ。一向宗の旗が翻れば、謙信の兵に心理的な影響を与える。謙信は義の人だ。信仰の力を持つ本願寺が明智と共に立っているという事実は、謙信の義に対して別の義を示す」
使僧が深く頷いた。「分かりました。南無阿弥陀仏の旗を高く掲げます」
戦の前、俺は一人で川を見た。
流れが速い。
川向こうに、謙信の「毘」の旗が揺れている。
「謙信公」と俺は心の中で言った。「あなたの義は本物だ。俺があなたを謀反人と断じることを、俺は責められない。俺は確かに主君を討った。しかし東北の民がいる。あの民を守るために、俺は戦い続ける。あなたと戦いたくなかった。しかし戦わなければならない」
風が吹いた。
川の水が、光った。
戦が始まった。
信玄が千曲川を渡った。〔風林火山〕が展開した。
「疾きこと風の如く」
信玄の軍勢が、川を渡る速度が速かった。
謙信が前に出た。〔毘沙門天〕が発動した。
越後の地の利はない。しかし謙信の義力が全軍に広がった。
川を渡り切った信玄の部隊に、謙信の先鋒がぶつかった。
川の近くでの激突は、泥と水と血が混じった戦いだった。
信玄と謙信が、またもや正面からぶつかった。
川中島を彷彿とさせる光景だ。
最強クラスの二人が、戦国最大のライバルが、再び向かい合っている。
忠勝が信玄の隣に立った。
二人が、謙信の正面に立った。
謙信が動いた。
自ら馬を駆って、信玄に向かってきた。
信玄が受けた。
〔風林火山〕対〔毘沙門天〕。
二つのスキルが激突した。
轟音のような衝撃が、戦場に広がった。
右翼で幸村が動いた。
謙信の左翼を狙って、迂回攻撃を仕掛けた。
速い。
幸村の動きは、相変わらず速い。
謙信の左翼が揺れた。
しかし、謙信は対応した。
自ら戦いながら、左翼への指示を出し続けた。
統率100の力が、戦場全体を見ていた。
中盤、戦が膠着し始めた。
数で上回っているはずなのに、謙信の義力が差を埋めている。
一人一人が、恐れを知らない。
信念で動いている。
信念で戦う人間は、強い。
幸村が言っていた言葉が、正しかった。
そのとき、後方の本願寺の旗が高く上がった。
使僧が大声で唱え始めた。「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」
一向宗の念仏が、戦場に響いた。
本願寺の五千が、旗を高く掲げて前進し始めた。
正面からではなく、側面から。静かに、しかし確実に。
その光景を見た謙信の兵が、一瞬動きを止めた。
本願寺が、明智と共に立っている。
一向宗の信仰が、謙信の義と向かい合っている。
義と信仰がぶつかった瞬間、謙信の兵の足が微かに揺れた。
信玄がその瞬間を逃さなかった。
「今だ」〔風林火山〕が最大展開した。「山の如く動かず、火の如く攻める」
全軍が一斉に前進した。
忠勝が中央を突いた。
幸村が左翼を崩した。
本願寺の五千が右翼を押した。
謙信が踏みとどまった。
一人で、三方向の圧力を受けながら、立っていた。〔不死〕の男が、〔毘沙門天〕の力を全開にして、それでも押されていた。
しかし、崩れなかった。
謙信という男は、崩れない。
俺は《欺瞞》を使おうと思った。
そして、やめた。
「使わない」と俺は決めた。
謙信は正面からの挑戦状に応じてくれた。
義の決着を求めてくれた。
そこに《欺瞞》を使えば、謙信の義を汚す。
それはできない。
力で押し続けた。
正面から。
策を使わず。
ただ力と力のぶつかり合いで。
二日目の夕暮れ。
謙信の兵力が大きく削れていた。
一万八千が、一万二千になっていた。
しかし、謙信は立っていた。
最後まで、立っていた。
そして、謙信が動いた。
後退を始めた。
越後に向かって。
戦いながら、退いていった。
半蔵が飛んできた。
「謙信公、越後に向けて撤退しています」
俺は頷いた。
「追うか」と政宗が聞いた。
「追わない」と俺は言った。
「なぜだ」
「謙信は義の人だ。逃げているのではなく、退いている。その違いを俺は大切にしたい」
千曲川の戦場が、静かになっていった。
謙信の「毘」の旗が、北に遠ざかっていく。
俺はその旗を、黙って見送った。
夜、俺は全員の顔を見た。
信玄が疲れた顔で、しかし満足そうに言った。「謙信と正面からぶつかれた。良い戦だった」
忠勝が無言で槍を立てた。
幸村が静かに言った。「謙信公は強かった。本当に強かった」
政宗が「当然だ」と短く言った。
本願寺の使僧が「南無阿弥陀仏」と静かに唱えた。
家康が「よく勝てました」と静かに言った。
昌幸が「見事でした」と穏やかに笑った。
翌日、越後に向かって進軍した。
謙信が越後に戻っている。
しかし、戦力が大きく削れた今、越後の守りは薄い。
各城が、次々と明智の色に変わっていった。
謙信の本拠地、春日山城の前に立ったとき、俺は使者を送った。
「明智光秀より、上杉謙信公に伝えてくれ。話し合いたい」
返事が来た。
「今は話せない。越後を受け取れ。ただし民は傷つけるな」
俺は文を読んだ。
越後を受け取れ。
降伏でも、同盟でも、投降でもない。
ただ、越後を渡す。
謙信らしい言葉だった。
越後攻略完了、越後の春日山城に入った。
本陣を構えた。
《GAME》の〔マップ〕を確認した。
【明智軍支配領域 二十ヶ国】
二十ヶ国。
遠江から逃げ出した男が、二十ヶ国を持っている。
信じられない数字だ。
しかし、謙信は生きている。
どこかに消えた謙信のマーカーが、《GAME》の〔マップ〕から見えなくなっていた。
〔不死〕だから死んでいない。
どこかにいる。
利三が静かに入ってきた。
「十兵衛様、越後を取りました」
「ああ」
「謙信公は」
「どこかにいる」と俺は言った。「しかし、今は追わない。越後の民を安定させることが先だ」
「越後の民はどう対応しますか」
「いつも通りだ」俺は答えた。「年貢を軽くする。死者を弔う。市を再開する。東北でやってきたことを、越後でもやる」
越後の本陣で、最初の夜を過ごした。
春日山城の高台から、越後の夜景を見た。
山が多い。川が多い。
この土地を、謙信は守り続けてきた。
その土地を、今俺が治めている。
「謙信公」と俺は呟いた。「あなたの民を、俺が守ります。約束します」
半蔵が来た。
「信長公の動向を報告します」
「何か変わったか」
「信長公と秀吉の戦いが、一時停戦に入った可能性があります。信長公が東を向き始めているという情報があります」
俺は固まった。
「東に来るか」
「可能性があります。しかしまだ確認が取れていません」
「引き続き監視を頼む。最優先で」
その夜、俺は《GAME》の〔マップ〕を見た。
二十ヶ国が、静かに光っている。
謙信のマーカーが、《GAME》の〔マップ〕の端でかすかに光っている。
信長のマーカーが、畿内で輝いている。
秀吉のマーカーが、その隣にある。
まだ終わっていない。
しかし、確実に、前に進んでいる。
信玄が入ってきた。
「明智殿」
「何だ」
「越後を取った。次はどこに行く」
「分からない」と俺は正直に答えた。「信長様の動きを見ながら、決める」
「謙信はどうする」
「いつか話したい」俺は静かに言った。「謙信は義の人だ。東北の民のために戦い続けた事実を、いつか伝えたい。それを聞いて、どう判断するかは謙信が決める」
信玄が少し間を置いた。
「……お主は諦めない男だな」
「諦めたら、終わる」と俺は言った。
信玄が短く笑った。
「東北の雪、まだ約束は生きているか」
「生きている」俺は答えた。「越後を取ったら、次は東北に帰れるかもしれない。信玄殿に雪を見せられるかもしれない」
「楽しみだ」信玄が静かに言った。
【武田信玄 忠誠100】
《GAME》の〔データ〕を確認した瞬間、数字が変わっていた。
99から、100になっていた。
俺は画面を見つめた。
「信玄殿」と俺は言った。
「何だ」
「ありがとう」
「礼はいい」信玄が短く言った。「東北の雪で返せ」
越後の夜が更けていく。
二十ヶ国が静かに光っている。
信長がいつか東を向く。
謙信がどこかで生きている。
しかし、今夜は、越後を取った事実が、俺の胸にある。
前に進んでいる。
確実に、前に進んでいる。




