第四十二章 顕如との会見、そして越後再攻略
畿内への道は、険しかった。
信長と秀吉が戦っている土地の近くを通る。
半蔵が先行して、安全な道を確保しながら進んだ。
織田の斥候を三度、回避した。
秀吉の物見を二度、やり過ごした。
半蔵の情報網が、なければ死んでいた。
四日後、大坂の近くまで来た。
石山本願寺が見えた。
難攻不落と言われる要塞だ。
前世の記憶の中で、信長がこの城を攻め続けた話は知っていた。
しかし、実際に目で見ると、その堅固さに息を飲んだ。
分厚い壁。深い堀。整然とした構造。
そしてその城の中に、人々の祈りが満ちている。
宗教的な力が、この城を守っている。
「半蔵、入れるか」と俺は聞いた。
「手を打っています」半蔵が静かに答えた。「本願寺の使僧に連絡を取りました。顕如上人は、明智殿との会見を受け入れる意向です」
「本当か」
「本願寺は信長公に対抗できる力を求めています。明智殿が尾張を取ったという情報は、本願寺にも届いています」
俺は頷いた。
「行く」
石山本願寺の門が開いた。
使僧が出迎えた。
「明智殿をお待ちしていました」
顕如上人との会見の間は、静かだった。
線香の煙が漂っている。
畳の上に、顕如上人が座っていた。
想像より若い顔をしていた。
しかし、目が年齢を超えた深さを持っていた。
信念の目だ。
謙信の目と、少し似ていると思った。
「明智殿」と顕如上人が静かに言った。「遠いところからよく来られた」
「こちらこそ、会見の機会を頂きありがとうございます」と俺は頭を下げた。
「単刀直入に聞かせてもらいます」顕如上人が俺を見た。「何を求めてここに来られましたか」
「同盟を求めに来ました」と俺は答えた。「信長様という共通の脅威に対して、共に対抗したい」
「信長様、と呼ぶのですね」顕如上人が静かに言った。「討った相手を、まだ様付けで呼ぶ」
「主君だったことは変わらない」と俺は答えた。「憎んでいるわけでも、恨んでいるわけでもない。ただ東北の民を守るために、戦っている」
顕如上人が少し間を置いた。
「東北の民を守るために、ここまで来られた」顕如上人が繰り返した。「尾張まで取った男が、民のために戦っていると言う」
「信じていただけないかもしれません」俺は言った。「しかし、本当のことです。俺には天下を取る気がない。東北で民が平和に生きられる場所を作りたかっただけです」
「それは達成されましたか」
「半分は」俺は正直に答えた。「東北は今、平和です。しかし信長様と謙信公という脅威がある限り、その平和は続かない」
顕如上人が静かに聞いた。
「われらに何を求めますか」
「越後の上杉謙信への共闘を求めます」と俺は言った。「謙信公と信長様の両方を相手にしていては、東北を守れない。本願寺が信長様への抵抗を続けてくれれば、信長様の注意が分散します。その間に、俺たちが謙信公と決着をつける」
「謙信公と戦うということですか」顕如上人が静かに言った。「謙信公は義の人です。われらとも関係がある」
「知っています」俺は言った。「しかし、謙信公は手切りを宣言した。東北の民が危うくなっている。それを止めるために戦わなければならない」
顕如上人が長い沈黙を保った。
線香の煙が、静かに立ち上っている。
俺は待った。
急かさなかった。
この人の時間は、俺の時間と違う。
「一つだけ聞かせてください」と顕如上人が言った。
「何でも」
「あなたは民のために戦っていると言う。しかし多くの民が、あなたの戦で死んでいる。その矛盾をどう思いますか」
俺は少し間を置いた。
「矛盾しています」と俺は正直に言った。「民を守ると言いながら、戦で民を死なせている。その矛盾は、俺が一番よく知っています。吐いた夜もあります。眠れない夜もあります」
「それでも戦い続けるのですか」
「東北の民が待っているからです」俺は静かに言った。
「戦を止めれば、今度は信長様か謙信公か秀吉が東北に来る。民が蹂躙される。その未来を防ぐために、俺は矛盾を抱えたまま戦い続ける。答えになっていないかもしれません。しかもこれが、俺の正直な気持ちです」
顕如上人が静かに俺を見た。
長い間、見ていた。
そして静かに言った。
「民のために矛盾を抱えて戦う。それは、われらも同じです」
顕如上人が続けた。「信長公はわれらの寺を焼き、民を殺しました。われらは抵抗し続けています。その抵抗で、多くの者が死んでいます。明智殿の言葉は、われらの心にも届きます」
「同盟、受けましょう」と顕如上人が静かに言った。
俺は深く頭を下げた。「ありがとうございます」
「条件を一つだけ言わせてください」顕如上人が続けた。「われらは戦の道具ではありません。信長公への抵抗は、われらの信念から続けます。明智殿の命令で動くわけではない。しかし、共通の敵に対して、共に立ち向かう」
「十分です」と俺は言った。「それ以上は求めません」
「もう一つ」顕如上人が静かに続けた。「越後への派兵を求めるとのこと。われらの兵は一向宗の信者です。正規軍とは違う。それでもよければ、五千を送りましょう」
「五千、ありがとうございます。必ず大切にします」
会見が終わった。
石山本願寺の門を出たとき、幸村が静かに聞いた。
「どうだった」
「同盟が成立した。五千の兵を借りられる」
「うまくいったな」
「顕如上人は本物だ」と俺は言った。「信念の人だ。謙信と同じ目をしていた」
幸村が静かに頷いた。「信念の人には、誠意が通じる」
「そうだな」俺は空を見た。「謙信にも、いつか誠意が通じることを信じている」
信濃に戻ったのは、五日後だった。
家康が出迎えた。
「同盟は」
「成立した。五千の兵を借りられる」
家康が安堵の顔をした。「よかった。信濃での回復も進んでいます」
「兵力はどのくらい戻った」
「二万七千まで回復しています。各地からの補充が続いています」
全員が信濃に集まった。
軍議を開いた。
「越後に再び攻める」と俺は言った。
広間が静まり返った。
「前回の敗北の原因は分かっている。謙信の力を甘く見ていた。今回は対策を取る」
「どんな対策ですか」と家康が聞いた。
「二つだ」俺は指を立てた。「一つ。本願寺の五千を一向宗の先頭に立てる。義のために戦う者同士がぶつかれば、謙信の力の効果が相対的に薄れる可能性がある」
「二つ目は」
「謙信を越後の外に引き出す。越後の中で戦えば、地の利の補正が最大になる。越後の外に出させれば、補正が消える」
信玄が静かに言った。信濃に一時戻ってきていた。
「どうやって越後の外に引き出す」
「《欺瞞》だ」と俺は言った。「信長が越後に向かっているという情報を流す。信長を恐れる謙信は、越後の外に出て迎え撃とうとするかもしれない」
「謙信公は《欺瞞》を見抜く可能性があります」と家康が静かに言った。
「可能性はある。しかし、信長の名前を使えば、謙信も無視できない」
昌幸が穏やかに言った。
「もう一つ考えられます」
「何だ」
「謙信公は義の人です。正面から挑戦状を送ればどうでしょう。逃げずに外で受けるかもしれません」
俺は昌幸を見た。
「挑戦状か」
「謙信公の義に訴える。明智殿が直接、越後の外での決戦を申し込む。義の人なら、応じる可能性があります」
幸村が静かに言った。
「親父殿の言葉が正しいと思う」
「理由は?」
「《欺瞞》で引き出した謙信公は、戦いながら《欺瞞》に気づく。そうなれば激昂して、より手強くなる」幸村が続けた。「しかし、正面から申し込めば、謙信公は義として受けるかもしれない。その場合、越後の補正なしで戦える」
俺は少し考えた。
「両方使う」と俺は決めた。「まず挑戦状を送る。謙信が応じれば、越後の外で戦う。応じなければ、《欺瞞》を使って引き出す」
俺は筆を取った。
謙信への挑戦状を書いた。
飾らない言葉で。
「上杉謙信殿へ。明智光秀、再び参ります。東北の民のために、決着をつけさせてください。越後の外で、正面から戦いたい。明智光秀」
文を封じた。
半蔵に渡した。
「最速で届けてくれ」
「御意」
返事は二日後に来た。
謙信の文は短かった。
「受けよう。越後と信濃の境、千曲川の南で待つ。義の決着をつける。上杉謙信」
俺は文を読んだ。
「受けてくれた」と俺は呟いた。
利三が静かに言った。「謙信公らしい」
「義の人は、正面からの挑戦を断らない」昌幸が穏やかに笑った。「読み通りでした」
兵力を確認した。
【明智軍 二万七千】
【本願寺派遣兵 五千】
合計。三万二千。
謙信の兵力は前回の戦いで消耗している。
半蔵の報告では、二万弱と見ていた。
数は俺たちが上回っている。
そして、今回は、越後の外で戦う。〔毘沙門天〕の補正はあるが越後の地の利が無い。
「やれる」と俺は思った。
出発の前夜。
俺は全員の顔を見回した。
「謙信公との戦いは、正面からの義のぶつかり合いになる」と俺は言った。「策も謀略も、今回は使わない。正面からぶつかる」
忠勝が手を握り直した。
幸村が静かに頷いた。
政宗が「それでいい」と短く言った。
信玄が腕を組んで静かに言った。「謙信との戦い、儂が楽しみにしていた」
家康が静かに言った。「全力を尽くします」
本願寺の使僧が「南無阿弥陀仏」と静かに唱えた。
翌朝。
三万二千が信濃を出発した。
千曲川に向かって。
謙信に向かって。
俺は馬上から、北の空を見た。
越後の空が、遠くに広がっている。
謙信が待っている。
義の人が、義の決着を待っている。
「行くぞ」と俺は言った。
三万二千の兵が、北に向かって動き始めた。




