第四十一章 越後の敗北と、本願寺への道
越後の国境を越えたのは、夜明けだった。
三万五千の兵が、静かに動き始めた。
越後の地形は険しかった。
山が多い。川が多い。道が細い。
しかし、守備兵は九千だという半蔵の報告を信じていた。
数は圧倒的に上回っている。
速攻で越後の主要城を落とせば、謙信が羽前から引き返さざるを得ない。
そう計算していた。
最初の城を落とした。
次の城に向かった。
順調だった。
守備兵が少ない。抵抗が薄い。
二日目、三つ目の城を落とした。
GAMEの〔マップ〕上で越後の色が変わっていく。
「このままいける」と俺は思った。
しかし、四日目の朝。
GAMEの〔マップ〕に異変が起きた。
上杉謙信のマーカーが、羽前から動いていた。
南ではなく、北に向かっている。
「半蔵」と俺は呼んだ。
「確認しています」半蔵が続けた。「謙信公が越後に向かっています。羽前の攻囲を解いて、全軍で越後に戻っています」
「どのくらいで着く」
「明日の昼には越後に入ります」
俺は計算した。
謙信の兵力は二万以上。
こちらの三万五千は、四日間の戦闘と行軍で消耗していた。
実働兵力は、三万一千程度だ。数は上回っている。
しかし、謙信が越後に戻ってくる。
自分の土地に、全速力で。
翌日の昼過ぎ。
謙信が越後に入った。
GAMEの〔マップ〕上で、謙信のマーカーが越後全体に広がった。〔不死〕の上杉謙信が、地元の越後で、俺たちを迎え撃つ。
【上杉謙信〔不死〕〔毘沙門天〕兵力二万三千】
越後に帰還。
〔毘沙門天〕そのスキルを俺は初めて確認した。〔毘沙門天〕自国での戦闘において、兵力と士気が一・五倍になる。義のために戦う時、全能力が最大値になる。
俺は画面を閉じた。もう一度開いた。変わらない。自国での戦闘で一・五倍。
二万三千が、実質三万四千以上の力を持つ。
そしてこれは「義のために戦う」ときが発動条件だ。
謙信にとって、今のこの戦いは義のための戦いだ。
「笑えない」と俺は呟いた。
戦が始まった。
最初の激突で、俺は謙信の強さを全身で感じた。
越後の山道を、謙信の軍勢が滝のように流れてきた。〔毘沙門天〕が全展開している。
一人一人が、信玄の精鋭以上の士気を持っている。
義のために戦う兵は、怖くない。
死を恐れない。
前に来る。
前に来る。
前に来る。
忠勝が中央に立った。幸村が側面を取った。政宗が後方から圧力をかけた。
しかし、謙信本人が前線に出てきた。
【上杉謙信 武力100 統率100 義力100】
義力という見たことのないパラメータが光っていた。
謙信が戦場に立つだけで、周囲の兵の士気が上がり続ける。
忠勝が謙信と正面からぶつかった。
武力100の同士の激突。
しかし、謙信には〔毘沙門天〕がある。
自国での戦闘補正が、全ての数値を押し上げている。
忠勝が、押された。
「まずい」と俺は歯を食いしばった。
幸村が謙信の側面を突こうとした。
しかし、謙信の側近部隊が、幸村を止めた。
これも強い。〔毘沙門天〕の補正を受けた上杉の精鋭が、幸村の動きを封じていた。
政宗が後方から圧力をかけた。
しかし、越後の地形が邪魔をした。山の多い越後では、後方からの圧力が伝わりにくい。
二日間、戦い続けた。
俺の兵力が削れていく。
三万一千が、二万八千になった。
二万五千になった。
謙信の兵力も削れている。しかし〔毘沙門天〕の補正がある。削れた分が、士気で補われている。
削れない。
本当に、削れない。
三日目の朝。
家康が俺のところに来た。「明智殿」家康が静かに言った。「撤退を考えてください」
俺は家康を見た。「まだ戦える」
「兵力が二万五千を切っています。謙信公の越後補正が消えない限り、この戦は勝てません」家康が続けた。「無理に戦えば、全滅します。そうなれば東北も尾張も守れない」
俺は地図を見た。
家康の言葉は正しい。
「昌幸は」と俺は聞いた。
「羽前の急報を確認しました。謙信公が羽前から引き返したことで、羽前の危機は去っています。昌幸殿は守り切りました」
俺は目を閉じた。
昌幸が、守ってくれた。
それだけは、成功した。
「退く」と俺は言った。
撤退が始まった。謙信が追ってきた。〔毘沙門天〕の軍勢が、追撃してくる。
幸村が殿軍を担った。「俺が後ろを守る。先に行け」と幸村が言った。
「幸村」と俺は言った。
「死なない」幸村が静かに言った。「約束する」
信濃への撤退は、三日かかった。
幸村が殿軍として追撃を阻み続けた。
政宗が逃げ道を確保した。
忠勝が何度も引き返して、幸村を助けた。
家康が補給を維持した。
全員が限界まで動いた。
それでも、信濃に戻ったとき、兵力は壊滅的だった。
【明智軍 現在兵力 一万九千】
三万五千が、一万九千になっていた。
俺は信濃の城に入った。
全員が疲れ果てていた。
傷ついた兵が、あちこちに横たわっている。
俺は城の中を歩いた。
倒れている兵の顔を見た。
若い顔があった。
また、若い顔があった。
俺は立ち止まった。
胃の底から、何かが込み上げた。
しかし、今は吐いている場合ではない。
俺は深呼吸をして、それを飲み込んだ。
全員が集まった。
誰も口を開かなかった。
しばらくの沈黙の後、俺が言った。
「負けた」
静かな言葉だった。
「越後での戦いは、俺の判断ミスだ。謙信を甘く見ていた。上杉領での謙信の動きを十分に計算していなかった」
誰も反論しなかった。
「全員に謝る。無駄な消耗をさせた」
利三が静かに言った。「十兵衛様、羽前は守れました。昌幸殿が守り切りました」
「それだけが、今回の成果だ」と俺は言った。
忠勝が静かに言った。「次はどうする」
「回復する」と俺は即座に答えた。「一万九千では何もできない。まず回復する」
「信長公が動いたら」
「尾張に信玄殿がいる。時間を稼いでくれる」
「謙信公は」
「信濃に来るかもしれない」と俺は正直に言った。「しかし、越後でも消耗している。すぐには動けないはずだ」
昌幸が入ってきた。
羽前から急いで来たらしく、甲冑に傷があった。
「昌幸殿」と俺は言った。「よく守ってくれた」
「何のことですか」昌幸が穏やかに笑った。「守りは得意ですから。しかし十兵衛様、越後は」
「負けた」と俺は正直に言った。
「そうですか」昌幸が静かに頷いた。「謙信公の力は越後で使うと最大になりますな。あの地形で、軍団の動きあれば」
「分かっていれば、違う戦い方をした」
「分かっていても、難しかったと思います」昌幸が続けた。「謙信公は本物です。しかし」
「しかし?」
「次があります」昌幸が静かに言った。「一万九千でも、我々は生きています。次を考えましょう」
その夜、俺は一人でGAMEの〔マップ〕を見た。
一万九千。
これだけになってしまった。
信玄が尾張で一万を持っている。
合わせても二万九千だ。
謙信の二万三千に、信長の五万二千。
秀吉も、畿内にいる。
数字だけ見れば、絶望的だ。
しかし、俺は地図を見続けた。
何か、突破口がないか。
ふと、一つの名前が頭に浮かんだ。
本願寺。
石山本願寺。
信長が長年攻め続けた、難攻不落の要塞だ。
信長と戦い続けた宗教勢力だ。
前世の記憶によれば、本願寺は信長に激しく抵抗した。
そして信長が畿内に戻っている今、本願寺も信長と再び対立している可能性がある。
「半蔵」と俺は呼んだ。
「はい」
「本願寺の現在の状況を調べてくれ」
半蔵が少し驚いた顔をした。「本願寺ですか」
「信長様と本願寺の関係を調べてくれ。同盟の可能性があるかどうか」
半蔵が静かに頷いた。「御意。三日で報告します」
翌日、利三が来た。「十兵衛様、本願寺への同盟交渉をお考えですか」
「考えている」と俺は言った。「信長様と長年戦ってきた本願寺は、信長様を共通の敵として持っている。俺たちと利害が一致する可能性がある」
「しかし、本願寺は宗教勢力です。政治的な同盟をどこまで受け入れるか」
「それを調べる」と俺は言った。「可能性があるなら、試みる。可能性がなければ、別の手を考える」
利三が頷いた。「分かりました。どなたを交渉に送りますか」
俺は少し考えた。
「俺が行く」と俺は言った。
「十兵衛様が直接」
「そうだ。本願寺の顕如上人は、信念の人だと聞いている。使者ではなく、俺が直接話す方が誠意が伝わる」
三日後、半蔵が報告を持ってきた。
「本願寺の状況を報告します」
「聞かせてくれ」
「信長公が畿内に戻ったことで、本願寺と信長公の対立が再燃しています」半蔵が続けた。「顕如上人は、信長公に対して頑強に抵抗しています。現在、石山本願寺を拠点に、信長公への抵抗を続けています」
「兵力は」
「本願寺の一向一揆の兵力は、合わせて二万から三万と見ます。正規軍ではありませんが、信念で戦う集団です。士気は極めて高い」
俺は頷いた。
「顕如上人は、外部からの同盟申し込みを受け入れたことはあるか」
「あります」半蔵が答えた。「かつて武田信玄公と連携していました。共通の敵、信長公に対して」
「信玄殿と連携していたか」
「はい。信玄公が東から信長公を攻め、本願寺が西から抵抗する。そういう形での連携でした」
俺は地図を見た。
石山本願寺は、大坂にある。
畿内だ。
信長と秀吉が戦っている場所の近くだ。
危険だ。
しかし、行くしかない。
「行く」と俺は決めた。
家康が慌てた。「明智殿が直接畿内に行くのは危険すぎます」
「半蔵に護衛を頼む。少人数で動けば、目立たない」
「しかし」
「本願寺との同盟は、今の俺たちに必要だ」俺は家康を見た。「一万九千で謙信と信長に対応するには、新しい手を打たなければならない。本願寺が動いてくれれば、信長様の注意が分散する。その隙に俺たちが回復できる」
家康が少し間を置いた。「……論理は分かります。しかし、危険性が」
「虎の巣に入らねば、詰んでいる」と俺は言った。「今の状況は、危険性を取らなければ変わらない」
幸村が静かに言った。
「俺も行く」
「下野に戻らなくていいのか」
「今は明智殿の護衛の方が大事だ」幸村が続けた。「少人数なら、俺が盾になれる」
「ありがとう」と俺は言った。
半蔵が無言で頷いた。「護衛は私が担います。畿内の情報網は整えてあります」
信濃の守りを政宗と家康に任せた。
昌幸には東北の守りを続けてもらう。
忠勝には信濃の防衛を任せた。
「忠勝」と俺は言った。「俺が戻るまで、信濃を守ってくれ」
「任せろ」忠勝が短く言った。
「謙信が来たら」
「時間を稼ぐ。正面から戦わない」忠勝が静かに言った。「明智殿の言葉を守る。無茶はしない」
俺は忠勝を見た。
成長している。
出発は翌朝だった。
俺と幸村と半蔵、それに十数名の護衛。
少人数で畿内に向かう。
出発前の夜、俺は信玄に文を送った。
「尾張を頼む。本願寺に同盟を求めに行く。無事に戻る」
信玄から返事が来た。
「分かった。東北の雪の約束、覚えているな」
俺は苦笑いした。
「覚えている。必ず連れて行く」と一人で呟いた。
翌朝、信濃を出発した。
西に向かう。
畿内に向かう。
信長と秀吉が戦う、嵐の中心に向かう。
GAMEの〔マップ〕を確認した。
石山本願寺が、大坂で光っている。
顕如上人。信念の人。
俺の言葉が届くかどうか。
分からない。
しかし試みる。
それしか、今の俺にできることはない。
幸村が馬を並べてきた。「明智殿、畿内は初めてか」
「ああ」と俺は答えた。「光秀として生きてきたが、畿内には行かなかった」
「信長公の本拠地に近い場所だ」
「そうだな」
幸村が静かに言った。「怖いか」
「怖い」と俺は正直に言った。「しかし前に進む。それだけだ」
幸村が頷いた。
「明智殿」と幸村が言った。
「何だ」
「俺は信濃で明智殿に負けた。あの負けから始まった俺の旅は、悪くなかった」
俺は幸村を見た。
「ありがとう、幸村」
「礼はいい」幸村が短く笑った。「本願寺まで、黙って進め」
信濃の山道が続く。
西の空に、畿内の光が遠く見えた。
GAMEの〔マップ〕上で、石山本願寺の光が静かに輝いていた。
俺は前を向いた。
まだ、終わっていない。




