第三十五章 二文字の宣戦布告
信玄と忠勝が武蔵に戻ってから、三日が過ぎた。
俺は即座に防衛の再編成を始めた。
甲斐の守りを最優先にする。信濃との国境に防衛線を引き、信長の南下を甲斐で受け止める体制を作る。相模には北条滅亡後に整えた守備網を活かして、海側からの侵攻に備える。
兵力の再配置を三日間で完了させた。
【甲斐防衛線 兵力二万】
【相模防衛線 兵力一万五千】
【武蔵本陣 兵力一万】
【東北・関東各地守備 兵力二万六千】
合計六万一千。
信長の現在兵力は、駿河を加えて六万近いと半蔵が報告していた。
数はほぼ互角だ。しかし〔第六天魔王〕がある。数が同じでも、同等ではない。
甲斐の防衛線に信玄と忠勝を配置した。
信玄が防衛線を見て静かに言った。「この地形なら守れる。儂が一番よく知っている場所だ」
「頼む」と俺は言った。「信玄殿が甲斐を守ってくれれば、東北への道は繋がる」
「任せろ」信玄が短く言った。「信長には儂が一番に当たる。借りを返す」
忠勝が隣で静かに言った。「俺も返す」
この二人が甲斐にいる。それだけで、俺の心が少し落ち着いた。相模には政宗を配置した。
「海側からの侵攻は任せてくれ」と政宗が静かに言った。「信長公が海路を使う可能性も排除できない。安東殿と連携する」
「頼む、政宗」
「明智殿」政宗が俺を見た。「信長公への使者、まだ待つか」
「待っている」
「返事が来なかったら」
「その時はその時だ」と俺は言った。「しかし、返事が来るまでは、待つ」
政宗が静かに頷いた。「分かった」
五日目の朝。利三が執務室に入ってきた。
「十兵衛様、信長公から使者が来ました」
俺は立ち上がった。ついに返事が来た。
どんな内容か。話し合いに応じるか。条件をつけてくるか。それとも拒絶か。
心臓が、速く動いていた。使者は若い男だった。織田の家臣らしい、凛とした顔をしている。俺の前に座った使者が、懐から文を取り出した。
俺は文を受け取った。封を開けた。紙を広げた。二文字だった。
「死ね」
俺は紙を見た。もう一度、見た。二文字。それだけだった。
他には何もない。署名も、花押も、一切ない。
ただ、二文字だけが書いてあった。広間が、完全に静まり返った。利三が隣で文を覗き込んだ。そして黙った。
家康が静かに文を見た。目を閉じた。
使者がまっすぐ俺を見ていた。「以上です」と使者が静かに言った。「信長様からのお言葉は、それだけです」
俺は使者を見た。
「帰っていい」と俺は言った。
「はい」使者が頭を下げた。「一つだけ、伝言があります」
「何だ」
「信長様が、おっしゃっていました。『光秀は返事の意味が分かる男だ』と」
それだけ言って、使者は去った。広間に、沈黙が満ちた。誰も口を開かなかった。俺は文を机に置いた。二文字を、もう一度見た。
「死ね」
謝罪の文を送った。東北でやってきたことを書いた。話し合いの機会を求めた。その返事が、二文字だ。
幸村が静かに入ってきた。文を見た。長い沈黙の後、幸村が言った。
「信長公の答えは、明確だ」
「ああ」と俺は言った。
「迷う必要はない」
「ああ」
幸村が俺を見た。「戦うか」
俺は立ち上がった。文を手に取った。もう一度、二文字を見た。「死ね」
信長様。あなたの影を背負って走り続けてきた。謝罪の文を書いた。話し合いを求めた。誠意を尽くした。その返事が、これだ。分かった。
「戦う」と俺は言った。
声が、静かだった。震えていなかった。広間に全員の気配があった。
忠勝が手を握り。幸村が静かに立ち上がった。家康が目を開けた。政宗が腕を組んだ。信玄が短く頷いた。昌幸が穏やかな顔で頷いた。利三が深く頭を下げた。半蔵が無言で頷いた。安東愛季が静かに頷いた。
佐竹義重が「やるか」と短く言った。
俺は全員を見回した。京から逃げ出したあの夜、東北から関東まで一緒に来た仲間たちだ。
三河で泣かされた。信濃で睨まれた。上野でブチ切れられた。岩代で吐いた。陸前でへニャへニャになった。義堯と酒を飲んだ。氏康を処断した。
全部、俺の……明智光秀の経験だ。仲間たちも増えた。
「みんなに頼みたい」と俺は言った。「信長様と戦う。俺についてきてくれるか」
忠勝が最初に言った。「当然だ」
幸村が続いた。「ここまで来て、引く理由がない」
家康が静かに言った。「明智殿の忠義は主君ではなく民にある。その戦いに、私も加わります」
政宗が短く言った。「独眼竜が信長公に引けを取るか」
信玄が静かに言った。「信長と戦う機会を、儂はずっと待っていた」
昌幸が穏やかに笑った。「面白くなってきましたな」
利三が深く頭を下げた。「どこまでも、お供します」
半蔵が無言で頷いた。それで十分だった。
安東愛季が「海路は任せてください」と静かに言った。
佐竹義重が「鬼義重、参らせていただく」と言った。
俺は文を手に取った。二文字の返事。
「信長様」と俺は呟いた。「あなたが俺に返事の意味が分かると言った。分かった。受け取った」
俺は文を折った。懐にしまった。捨てなかった。この二文字を、忘れないために取っておく。
その夜、俺は全員に作戦を伝えた。
「信長様の兵力は約六万。こちらも六万一千だ。数は互角だが〔第六天魔王〕のスキルがある。正面からぶつかれば、不利になる可能性がある」
全員が聞いていた。
「だから正面から戦わない。信長様の強さは、勢いと革新性だ。その勢いを殺す戦い方をする」
「具体的には」と家康が聞いた。
「甲斐で受け止める。信玄殿の地の利と力で、信長様の勢いを削る。その間に上杉謙信に連絡を取る。謙信が北から動けば、信長様は二方向に対応しなければならなくなる」
「謙信公は動くと思いますか」と昌幸が聞いた。
「信濃を取られた謙信は、信長に義として黙っていない。今がその時だ」
幸村が静かに言った。「一つだけ聞かせてくれ」
「何だ」
「信長公を倒した後、どうするつもりだ」
俺は少し考えた。
「倒した後のことは、倒してから考える」と俺は正直に言った。「今は、東北の民を守ることだけ考える」
幸村が静かに頷いた。「それでいい」
軍議が終わった後、利三が俺のところに来た。「十兵衛様」
「何だ」
「怖くないですか」と利三が静かに聞いた。
俺は少し間を置いた。
「怖い」と正直に言った。「信長様は、俺が一番怖い人間だ。それは変わらない」
「それでも戦うのですか」
「怖いから逃げたら、今まで死んでいった人たちに申し訳ない。それに今は頼れる仲間が増えた」俺は静かに言った。「義堯殿が、氏康が、戦場で倒れた兵たちが、みんなの死の上に今の俺たちがいる。その重さを背負って、前に進むしかない」
利三が目を赤くした。
「十兵衛様は」と利三が言いかけた。
「利三」と俺は言った。「ありがとう。ずっと一緒にいてくれて」
利三が深く頭を下げた。声が出なかったようだ。
夜、一人でGAMEの〔マップ〕を見た。
信濃と駿河に、〔第六天魔王〕マーカーが光っている。
甲斐の防衛線に、信玄と忠勝のマーカーが光っている。
下野に幸村。磐城に昌幸。相模に政宗。越後に謙信。
東北五ヶ国が、北で静かに輝いている。
京から逃げてきた旅の、終着点が見えてきた気がした。
しかし、終着点は安住の地ではない。最大の戦いが、そこにある。俺は懐から文を取り出した。
「死ね」の二文字を見た。
信長様。あなたから逃げてきた。しかし、今日から逃げることをやめた。受けて立つ。
東北の民のために。仲間のために。義堯殿のために。そして、俺自身のために。明智光秀、ここに信長と戦うことを決す。
マップの〔第六天魔王〕が、夜の闇の中で赤く輝いていた。
俺は、その光を真っ直ぐに見た。




