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【完結】GAME.信長を裏切った俺、明智光秀は天下を無視して東北を目指す。  作者: 山田 ソラ


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第三十三章 今川の牙、扇子の折れる音

 信長への使者を出してから、五日が過ぎた。


 返事はまだ来ない。信濃から甲斐までの距離を考えれば、往復に時間がかかる。それは分かっている。


 分かっているが、待つのは辛い。


 俺は毎朝、GAMEの〔マップ〕を開いて、信濃の信長のマーカーを確認した。動いていない。信長はまだ信濃で止まっている。


 それだけが、今の俺の安心材料だった。


 武蔵の執務室で、俺は内政の書類と格闘していた。北条滅亡後の関東統治は、想像以上に手がかかる。十五ヶ国を安定させるには、人手も時間も足りない。


 家康が奉行制度を拡充し、利三が書類を捌き、政宗が豪族たちをまとめ上げていく。全員が動いている。


 俺も動かなければならない。書類に判を押しながら、頭の片隅で常にGAMEの〔マップ〕を意識していた。


 信長からの返事。今川の動向。謙信の動き。秀吉の位置。全部が、頭の中で回り続けている。


 その日の午後。

 俺は珍しく、縁側で一息ついていた。


 春の風が吹いている。桜はもう散っていたが、新緑が眩しい。


 利三が茶を持ってきた。「少し休まれてください」と利三が言った。


「ありがとう」と俺は答えた。茶を受け取った。


 温かかった。


 こういう時間が好きだ、と思った。京から逃げ続けていたあの頃には、こういう時間が全くなかった。


 茶を一口飲んだ。静かだ。静かすぎる。

嫌な予感がした。足音が聞こえた。


 半蔵だ。


 この男の足音が聞こえるときは、急いでいるときだ。普段は音がしない。


 俺は茶を置いた。半蔵が縁側に現れた。

その顔を見た瞬間、俺の胸に冷たいものが走った。


「半蔵」と俺は言った。


「申し上げます」半蔵が静かに、しかし緊張した声で言った。


「駿河の今川義元が、動きました」


 俺は手に持っていた扇子を、気づいたら握りしめていた。


 半蔵が続けた。「今川の軍勢が、甲斐との国境付近に展開を始めています。兵力は二万と確認されています。さらに後続が続いている模様で、最終的には三万に達する可能性があります」


「いつから動いた」


「昨日の夕方から、です。夜通し動いています」


 俺は扇子を見た。手の中で、扇子が折れていた。いつ折ったのか、分からなかった。気づいたら、折れていた。


 パキリ、という音が、遅れて頭の中で響いた。


「理由は分かるか」と俺は聞いた。


「二つ考えられます」半蔵が続けた。「一つは信長公が信濃を取ったことです。信長公が東に向かって動き始めたと今川が判断し、動くなら今だと考えた可能性があります」


「もう一つは」


「北条が滅んだことです。関東の均衡が崩れた。明智殿が関東を制圧した今、次は駿河に来ると今川が警戒した可能性があります」


 俺は頷いた。「駿河に手を出さない、という約束があるはずだ」


「はい。しかし今川は、その約束を信じなくなったのかもしれません」半蔵が静かに続けた。「あるいは」


「あるいは」


「信長公からの圧力があった可能性があります。信濃を取った信長公が、今川に対して何らかの接触をした可能性があります」


 俺は折れた扇子を置いた。縁側の静けさが、さっきとは全く別の意味を持つようになっていた。


 利三が青ざめた顔で入ってきた。半蔵の話を聞いていたらしい。


「十兵衛様、今川との不戦の約束は」


「破られた」と俺は静かに言った。「あちらが動いた以上、こちらも動かなければならない」


「しかし、信長公への使者がまだ返事を」


「分かっている」俺は立ち上がった。「全員を集めてくれ」


 軍議は短かった。今川が動いたという報告を全員に伝えると、広間が静まり返った。


 信玄が、他の誰より早く口を開いた。「甲斐への侵攻か」信玄が静かに言った。「義元公が本気で動いたなら、速い。あの人の軍勢は統率が高い。油断すれば甲斐の国境を突破される」


「防げるか」と俺は聞いた。


「防げる」信玄が即座に答えた。「しかし俺だけでは足りない。兵を送ってくれ」


「何人必要だ」


「一万五千あれば十分だ。甲斐の地形を俺は知り尽くしている。一万五千と甲斐の地の利があれば、三万の今川を止められる」


 俺は頷いた。


「信玄殿に任せる。一万五千を甲斐に送る」


 家康が静かに言った。「問題があります」


「何だ」


「武蔵から一万五千を甲斐に送れば、関東の守りが薄くなります。信長公がまだ返事をしていない状況で、関東を薄くするのは」


「分かっている」俺は言った。「しかし甲斐を失えば、関東への道が開く。甲斐は守らなければならない」


「優先順位の問題です」家康が続けた。「甲斐と関東、どちらを優先するか」


「甲斐だ」俺は即答した。「甲斐を失えば信長への緩衝地帯がなくなる。関東が薄くなるリスクより、甲斐を失うリスクの方が大きい」


 家康が静かに頷いた。「分かりました。では関東の守りをどう補うか」


「政宗に任せる」


 政宗が静かに言った。「武蔵は俺が守る」


 幸村が口を開いた。「信長公への使者は」


「待つしかない」と俺は言った。「今川への対応と並行して、返事を待つ。今すぐ返事が来なくても、動くしかない状況になった」


「信長公が今川の動きに合わせて甲斐を攻めてきたら」


 俺は少し間を置いた。


「その場合は、二方向から挟み撃ちになる」俺は正直に言った。「最悪のケースだ。しかし、そうならないために使者を送った。信長様が合理的な判断をしてくれることを、今は信じるしかない」


「信じるだけか」と幸村が静かに言った。


「信じながら、備える」俺は答えた。「信じることと備えることは、矛盾しない」


 幸村が静かに頷いた。


 忠勝が静かに言った。「信玄殿の援軍として、俺も甲斐に行く」


「磐城が薄くなる」と俺は言った。


「磐城は昌幸殿がいる。甲斐が大事だ。信玄殿一人に任せたくない」


 信玄が忠勝を見た。「本多忠勝か。頼もしい」


 忠勝が信玄を見た。「信玄殿の戦い方を、一度見てみたかった」


 信玄が短く笑った。「存分に見せてやろう」


 この二人が組む。

 武田信玄と本多忠勝。

〔不死〕と武力100。


 今川義元〔不死〕〔海道一の弓取り〕が相手でも、この二人なら止められるかもしれない。


「頼む」と俺は言った。「甲斐を守ってくれ」


 出発の準備が始まった。


 一万五千の兵が、甲斐に向けて動き始める。


 信玄が出発前に俺のところに来た。


「明智殿」


「何だ」


「義元公を倒した後、どうするつもりだ」


 俺は少し考えた。


「降伏させる。できれば仲間にしたい」


「義元公が仲間になるとは思えないが」信玄が静かに言った。


「今川義元は誇り高い人だ。倒されて仲間になる人ではないかもしれない。しかし試みる価値はある」


「なぜそこまで仲間にこだわる」


「戦って倒すより、仲間にした方が強くなれる」俺は静かに言った。「信長様に備えるには、一人でも多くの力が必要だ」


 信玄が俺を見た。


「……お主は本当に変わった武将だ」


「何度も言われた」と俺は苦笑いした。


「褒め言葉だ」信玄が短く言った。「行ってくる」


 信玄と忠勝が、一万五千を率いて甲斐に向かった。


 出発の朝、忠勝が俺を振り返った。


「信長への返事が来たら、すぐに知らせてくれ」


「ああ」


「甲斐で戦っている間も、情勢は追っている」


「頼む、忠勝」と俺は言った。「信玄殿を頼む。あの人が大事だ」


 忠勝が静かに頷いた。「分かっている」


 そして前を向いて歩き始めた。

 午後、半蔵が追加の報告を持ってきた。


「今川の動きに、変化があります」


「何だ」


「今川の軍勢の中に、見慣れない旗印が混じっています」半蔵が静かに続けた。「信長公の家臣の旗印と似ている、と前線の忍びが報告しています。確度は低いですが」


 俺は固まった。


「信長の家臣が今川と一緒に動いているということか」


「可能性があります。確認が取れていないため、断言はできません」


「引き続き確認してくれ。最優先だ」


 半蔵が消えた。

 俺は一人で執務室に残った。

 折れた扇子が、机の上に置いてある。

 今川が動いた。

 信長からの返事はまだ来ない。


 信長の家臣が今川と一緒に動いている可能性がある。


 最悪のケースが、現実になりつつあるかもしれない。


 今川と信長が、手を組んだのか。

 俺は折れた扇子を手に取った。

 二つに折れた扇子を、じっと見た。

 約束を破ったのは今川だ。


 しかし、今川が動いた理由を俺は理解できる。信長が信濃を取った。北条が滅んだ。周囲が急変した。今川は恐怖から動いた。


 恐怖から動く気持ちは、俺が一番よく知っている。


 京を逃げ出したあの夜、俺も恐怖から動いた。


「分かる気がする」と俺は呟いた。「しかし、止める」


 夜、GAMEの〔マップ〕を確認した。


 甲斐に向かう信玄と忠勝のマーカーが着実に西に進んでいる。


 今川のマーカーが駿河から甲斐の国境に向かっている。


 信濃の信長のマーカーが今日も光っている。


 返事はまだ来ない。

 幸村が静かに執務室に入ってきた。


「眠れないか」と幸村が言った。


「眠れない」と俺は正直に答えた。


 幸村が隣に座った。「信玄殿と忠勝殿がいれば、甲斐は守れる」


「分かっている」


「信長公への使者は、返事が来るまで待つしかない」


「分かっている」


「ならば眠れ」と幸村が言った。「明日も判断しなければならない。眠れない主君は、正しい判断ができない」


 俺は幸村を見た。「お前は俺の母親か」


 幸村が珍しく、はっきりと笑った。「うるさい。眠れ」


 俺は目を閉じた。

 すぐには眠れなかった。

 しかしいつの間にか、眠っていた。


 夢の中で、折れた扇子が風に飛ばされていた。どこに飛んでいくのか、分からないまま、夢が終わった。




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