第二十七章 忘れていた男の復活
一五六一年、九月。
武蔵と甲斐での回復が、ようやく軌道に乗り始めていた。田畑が整い、民の顔が穏やかになり、市に人が溢れ始めた。兵力も着実に積み上がっている。
【明智軍 総兵力 五万三千】
五万を超えた。
京を逃げ出したあの夜から、四年が経っている。四年で、ここまで来た。
しかし、この日の朝、俺が最初に感じたのは安堵ではなかった。
違和感だった。GAME〔マップ〕を開いたとき、最初に気づいた。
秀吉のマーカーが、東に向かっていない。先月も、先々月も、じわじわと東に動いていたはずのマーカーが、止まっている。いや、止まっているだけではない。
西に、向いている。
「半蔵」と俺は呼んだ。
気配もなく現れた。
「秀吉の動きが止まっている。理由を調べてくれ」
「既に調査中です」と半蔵が答えた。「三日で報告します」
消えた。
三日後、半蔵が戻ってきた。珍しく、少し早足だった。
「報告します」
「聞かせてくれ」
「羽柴秀吉、関東への圧力を止めています」半蔵が静かに続けた。「理由は畿内の情勢です。秀吉は現在、畿内の勢力拡大に注力しています。京、大坂、堺を押さえ、西国の大名を従わせることに集中しています」
「東に来ない理由は、それだけか」
半蔵が少し間を置いた。この男が間を置くのは、本当に重要な情報のときだ。
「もう一つ、あります」
「言ってくれ」
「畿内で、秀吉が手を焼いている相手がいます」
「誰だ」
半蔵が静かに言った。
「織田信長です」
俺は凍りついた。俺は半蔵を見た。聞き間違いではない。
「織田信長」と俺は繰り返した。「死んでいるはずの」
「はい」半蔵が静かに続けた。「本能寺で死んだはずの織田信長が、畿内で確認されています。〔不死〕のマーカーを持ち、尾張と美濃を拠点に勢力を回復しています」
俺はGAME〔マップ〕を確認した。畿内に、見覚えのある旗印が光っていた。
【織田信長〔不死〕〔第六天魔王〕尾張・美濃 兵力四万】
〔第六天魔王〕。その固有スキルを確認した。〔第六天魔王〕常識を超えた革新的な判断力。鉄砲の運用、経済支配、心理的圧迫において他の追随を許さない。敵の戦意を根本から崩す。
俺は画面を閉じた。もう一度開いた。変わらない。織田信長が、生きている。
「忘れていた」と俺は呟いた。
本当に、忘れていた。死んだはずの武将が蘇るこの時代で、上杉謙信も、武田信玄も、今川義元も蘇った。なぜ信長だけ蘇らないと思っていたのか。
俺が殺した男が、蘇っている。しかも、〔第六天魔王〕というスキルを持って。
秀吉が畿内から手を引けない理由が、分かった。信長が、秀吉の前に立ちはだかっているのだ。
利三が静かに入ってきた。俺の顔を見た瞬間、異変を察した。
「十兵衛様、どうなさいました」
「利三」と俺は言った。「信長様が生きている」
利三が固まった。しばらくの沈黙の後、利三が静かに言った。
「……本能寺で」
「〔不死〕だ。蘆名盛氏も、最上義光も、相馬盛胤も、みんな逃げたり蘇ったりしているこの時代だ。信長様だけが例外じゃなかった」
利三が壁に手をついた。この男が動揺を見せるのは、極めて珍しい。
「利三」と俺は声をかけた。
「申し訳ありません」利三が静かに言った。「少し、驚きました」
「俺も驚いている」
「信長様は……どのような状態で」
「尾張と美濃を拠点に、四万の兵で勢力を回復している。秀吉と畿内で対立している」
利三が深く息を吐いた。
家康が静かに入ってきた。半蔵から先に聞いたのか、顔色が普通ではなかった。
「明智殿」と家康が言った。「信長公の件、確認しました」
「どう思う」と俺は聞いた。
「秀吉と信長公が畿内で激突している」家康が静かに続けた。「これは明智殿にとって、好機でもあり、脅威でもあります」
「好機の意味は」
「秀吉が西を向いている間、東は安全です。関東と東北を固める時間が、予想より多く取れます」
「脅威の意味は」
家康が少し間を置いた。
「信長公が秀吉を倒した場合、次に東を向きます。秀吉より、信長公の方が強い。そして信長公は」家康が静かに言った。「明智殿を、許さないかもしれません」
広間に全員が集まった。
信玄が腕を組んで静かに言った。「信長か。あの男が蘇ったか」
「知っていたか」
「噂は聞いていた。しかし、確認が取れていなかった」信玄が俺を見た。「明智殿、正直に聞く。信長公に会ったら、どうするつもりだ」
俺は少し考えた。
「分からない」と正直に答えた。
「逃げるか」
「逃げることしか考えていない人間が、ここまで来られるか」と俺は静かに言った。
「しかし、戦うかどうかも、まだ分からない」政宗が静かに言った。「信長公の〔第六天魔王〕は本物だ。あのスキルを持つ男と正面からぶつかれば、今の兵力では」
「分かっている」と俺は言った。「だから今は動かない。信長と秀吉が畿内で戦っている間、俺たちは東を固める」
幸村が珍しく、はっきりと言った。「それが正解だ」
しかし、俺の頭の中では、別の考えが渦巻いていた。本能寺の変。あの夜、俺は信長を討った。
前世の記憶では、歴史の必然だと思っていた。しかし、この体に宿って、実際に光秀として生きてみると、信長という男の重さが違って感じられる。
恐ろしい男だった。天才的な判断力。革新的な発想。そして容赦のない実行力。〔第六天魔王〕というスキルは、飾りではない。あの男の本質だ。
その男が、四万の兵を率いて畿内にいる。
そして、俺を覚えているだろう。
夜、俺は一人でGAME〔マップ〕を見た。畿内の〔第六天魔王〕マーカーが、赤く光っている。
東北から関東まで、俺が作ってきたものが全部あそこにある。義堯が死んで作った北条との同盟。謙信への宝物で結んだ同盟。信玄との死闘。幸村の笑顔。忠勝の忠誠。政宗の白装束。
全部を守るために、信長と向き合わなければならない日が来るかもしれない。
俺は深呼吸をした。
利三が湯呑を持って入ってきた。
「十兵衛様、信長様のことを考えておられますか」
「ああ」
「怖いですか」
俺は正直に答えた。「怖い。本当に怖い。あの人は、俺が一番怖い人間だ」
利三が静かに頷いた。
「私もです」利三が静かに言った。「しかし」
「しかし?」
「十兵衛様には、仲間がいます」利三が俺を見た。「忠勝殿、幸村殿、家康殿、政宗殿、信玄殿。皆が、明智様のために戦う覚悟を持っています」
俺は仲間たちの顔を思い浮かべた。
忠勝の忠誠100。
幸村の忠誠100。
信玄の忠誠98。
「そうだな」と俺は言った。「一人じゃない」
翌朝、俺は全員に告げた。
「信長様が蘇ったことは全員知っている。今すぐ動く必要はない。信長と秀吉が畿内で戦っている間、俺たちは東を固める。兵力を積み上げる。内政を整える。その上で、信長様が東を向いたときに備える」
全員が頷いた。
「ただし一つだけ、決めておきたいことがある」
全員が俺を見た。
「信長様と戦うかどうか。俺はまだ答えが出ていない。しかしお前たちには聞いておきたい。信長様が東に来たとき、戦えるか」
広間が静まり返った。最初に口を開いたのは、忠勝だった。
「俺は明智殿の家臣だ。明智殿が戦うと言えば戦う。それだけだ」
幸村が続いた。「俺も同じだ」
政宗が静かに言った。「信長公は確かに天才だ。しかし天才も、倒せないわけではない。本多と真田がいる。俺がいる。信玄公がいる。正面から戦える」
信玄が静かに言った。「信長とは一度も戦ったことがない。やってみたい気持ちはある」
家康が静かに言った。「信長公には長年仕えました。しかし今の主君は明智殿です。忠義は一つです」
昌幸が穏やかに笑った。「面白くなってきましたな」
利三が静かに頭を下げた。「どこまでも、お供します」
安東愛季が「海路は任せてください」と静かに言った。
半蔵が無言で頷いた。
全員の言葉を聞いた。俺は目が熱くなった。悟られないように、天井を見た。
「ありがとう」と俺は言った。「答えが出たら、必ず相談する」
その夜、俺は一人でGAME〔マップ〕を見た。
畿内の信長。関東と東北の俺。その間に、秀吉と今川義元と、様々なマーカーが光っている。
本能寺の翌朝、俺は逃げることしか考えていなかった。今は違う。逃げるために戦ってきた男が、今や信長と向き合う準備を考えている。
人間というのは、環境で変わる。俺は呟いた。
「信長様、俺はここにいます」
誰にも聞こえない声で。
GAMEの〔マップ〕の〔第六天魔王〕マーカーが畿内で静かに輝いていた。




