第十六章 鬼義重、散る
忠勝と幸村が南下してから五日が過ぎた。
磐城の本陣で、俺は毎日半蔵の報告を待ちながらマップを凝視し続けた。常陸の情勢が、リアルタイムで変化していく。
佐竹義重が常陸の南に防衛線を引いた。城を固め、兵を集め、迎撃の準備を整えている。情報が速い。忠勝たちが磐城を出た翌日には、もう動いていた。
【佐竹義重〔鬼義重〕兵力一万二千】
マップでは既に防衛態勢完了していた。対してこちらは一万。数で負けている。地の利もない。おまけに〔鬼義重〕スキルで士気は常に最大値だ。《欺瞞》も効かない。
しかし、忠勝と幸村がいる。俺はそれだけを信じた。七日目の朝、最初の報告が来た。忠勝からの伝令だ。
「常陸の国境を越えました。佐竹の前衛部隊と最初の衝突あり。これより本格的な侵攻を開始します」
俺は地図を広げた。常陸の地形を確認する。平野部が多い。遮蔽物が少ない。山間の盆地や険しい山地で地の利を使う戦法は取りにくい。
完全な野戦だ。力と力のぶつかり合いになる。磐城の本陣で、俺は落ち着かなかった。戦場にいないのが、こんなに辛いとは思わなかった。マップ上でマーカーが動くのを見ているだけで、何もできない。
家康が隣に座った。
「見ているしかない状況は、堪えますな」
「よく分かるな」
「私も三河で似た経験があります」家康が静かに言った。「信頼して任せた将が戦っている間、本陣で待つのは。しかし、任せると決めたなら、信じるしかない」
「忠勝と幸村を信じている」
「ならば大丈夫です」
家康の言葉は短かったが、俺の胸に届いた。
九日目。半蔵から詳細な戦況報告が届いた。前線に放った忍びからの情報だ。
「本多様と真田様、常陸の中央平野にて佐竹本軍と対峙。佐竹義重、自ら前線に出ています」
俺はマップを確認した。二つの軍勢が、常陸の中央平野で向かい合っている。忠勝と幸村の一万。佐竹義重の一万二千。
そして、佐竹義重自身が前線にいる。〔鬼義重〕は伊達ではない。この男は本陣に籠もらない。自ら剣を持って前に出る。それがあの男の戦い方だ。
「来い」と言っているようだ、と俺は思った。
常陸の中央平野。忠勝は佐竹の陣を正面から見据えていた。数で負けている。地の利もない。しかし忠勝の胸に迷いはなかった。幸村が隣に立った。
「正面から行くか」と幸村が聞いた。
「ああ」と忠勝が答えた。「あの男は正面から来る。ならばこちらも正面から受ける」
「策は」
「いらん」
幸村が少し笑った。「珍しく意見が合う」
二人が同時に前を見た。佐竹の陣から、鬨の声が上がった。佐竹義重が動いた。
最初の激突は、文字通り轟音だった。
佐竹の一万二千が、一直線に突っ込んでくる。〔鬼義重〕スキルで士気が最大値の軍勢が、恐れを知らずに前進してくる。普通の軍なら、この勢いを見た時点で足が竦む。
しかし、忠勝は動じなかった。中央に立って、正面から受け止めた。波が岩に砕けるように、佐竹の突撃が忠勝にぶつかった。
止まった。
一万二千の突撃が、一人に止められた。
佐竹の兵がざわめいた。〔鬼義重〕スキルで士気は下がらない。しかし驚きは隠せない。本多忠勝という男の存在が、戦場の空気を変えた。
そこに幸村が動いた。右翼から回り込んだ幸村が、佐竹の左翼に切り込んだ。
速い。幸村の動きは、いつも速い。しかし、今日は特別に速かった。二年間の鍛錬と、磐城での訓練。この男は平和な時間も無駄にしていなかった。
佐竹の左翼が崩れ始めた。しかし、そこで佐竹義重が動いた。自ら馬を駆って、崩れた左翼に向かった。〔鬼義重〕の威光が周囲に広がり、崩れかけた兵が立て直す。
幸村と義重が、直接向かい合った。
幸村と佐竹義重の激突は、戦場の中でも特別な空間を作り出した。
武力100と武力92。数値では幸村が上だ。しかし義重には〔鬼義重〕がある。恐怖を感じない。疲れを感じない。ただ前に進む。
幸村が剣を振るった。義重がそれを受けながら、前に出てくる。押しても押しても、前に来る。幸村は内心、舌を巻いた。この男の強さは、技術ではない。折れない心だ。どれだけ押されても、折れない。倒れない。前に来る。
しかし、幸村も折れない男だ。剣が交わり続けた。そのとき、忠勝が動いた。中央を押さえながら、幸村の方向を見ていた忠勝が、一瞬の隙を見て動いた。
右翼の幸村、中央突破の忠勝。二方向からの同時攻撃。佐竹義重が、初めて後退した。一歩だけ。しかし確かに、後退した。
〔鬼義重〕スキルを持つ男が、後退した。
戦場に、静寂が広がった。
佐竹の兵が一瞬、動きを止めた。主君が下がった。あの義重様が、下がった。その一瞬で、忠勝が中央を完全に突破した。
佐竹の陣形が、中央から割れた。戦が終わったのは、午後の早い時間だった。佐竹の兵が散り始め、義重が孤立した。それでも義重は逃げなかった。
最後まで剣を持って立っていた。周囲の兵がいなくなっても、一人で立っていた。
忠勝が義重の前に立った。幸村が反対側に立った。三人が向かい合った。
義重が静かに言った。「……参った」
その四文字を言うのに、どれほどの重さがあったか。
忠勝が無言で頭を下げた。
幸村が静かに言った。「見事な戦でした」
義重が深く息を吐いた。
伝令が磐城に届いたのは、その日の夕方だった。
「常陸攻略完了。佐竹義重、降伏。忠勝様と幸村様、無事です」
俺は息を吐いた。長い、長い息だった。
利三が隣で小さく「良かった」と呟いた。
家康が静かに頷いた。
政宗が「さすがだ」と短く言った。
三日後、忠勝と幸村が佐竹義重を連れて磐城に戻ってきた。俺は城門で出迎えた。
佐竹義重は、想像より静かな顔をしていた。鬼義重と呼ばれた男の顔は、鬼ではなかった。武人の顔だった。負けた悔しさを内側に押し込んで、真っ直ぐ立っている。
「佐竹義重殿」と俺は言った。「お会いできて光栄だ」
義重が俺を見た。「明智光秀殿か」
「そうだ」
「天下を狙っていないと聞いた」
「本当だ」
義重が少し間を置いた。「本多と真田、あの二人は本物だ。あの二人に負けたなら、仕方ない」
俺は頷いた。「仲間になってほしい」
「条件は」
「常陸の民を守ること。それだけだ」
義重が俺を見た。しばらく、じっと見た。
「……手紙を出していたな」と義重が言った。
俺は少し驚いた。「受け取っていたか」
「受け取った。返事はしなかったが」義重が静かに続けた。「内容は読んだ。東北でやってきたことも、調べた」
「それで」
「返事をしなかったのは、言葉を信じなかったからだ。しかし今日、本多と真田と戦って分かった」義重が短く言った。「あの二人があの目をして戦う主君なら、言葉も本物かもしれない」
俺は何も言えなかった。忠勝と幸村が、俺の代わりに証明してくれた。
「仲間になる」と義重が言った。
その夜、俺は《GAME》を確認した。
【佐竹義重〔鬼義重〕忠誠72】
最初から72。長野業正は仲間にならなかった。相馬盛胤は逃げた。津軽為信も逃げた。最上義光も逃げた。
しかし、今日は佐竹義重が仲間になった。手紙を無視した男が、戦を経て仲間になった。
「言葉より行動か」と俺は呟いた。
利三が湯呑を持ってきた。
「十兵衛様」
「何だ」
「今日も手紙に返事が来ませんでしたな」
「来なかった」
「しかし、佐竹殿は手紙を読んでいた」利三が静かに言った。「返事をしなかっただけで、無視したわけではなかった」
俺はその言葉を反芻した。
「……そうか」
「言葉は、すぐには届かないこともある。しかしいつか届くこともある」
俺は頷いた。残りの手紙、里見氏、宇都宮氏、結城氏。彼らも読んでいるかもしれない。返事をしていないだけで。
マップの関東に、新しい色が一つ加わった。常陸が、明智の色になっていた。翌朝、俺は南を見た。常陸の更に南。関東の平野が広がっている。
北条の旗が、遠くに見える気がした。秀吉の使者が北条に向かっているという報告が頭に蘇った。
時間がない。しかし、今日はそれでも少しだけ良い気持ちだった。忠勝と幸村が戻ってきた。義重が仲間になった。手紙は届いていた。
「次だ」と俺は呟いた。マップの関東が、静かに光っていた。




