第十五章 届かぬ手紙と、忠勝への托宣
六月になった。
磐城の夏は短い。じりじりとした暑さの中で、俺は毎日マップを眺め、毎日文を書き、毎日返事を待った。
返事は来なかった。
一通も、来なかった。
最初の手紙を出してから、一ヶ月が過ぎていた。
里見氏に送った。返事なし。
佐竹氏に送った。返事なし。
宇都宮氏に送った。返事なし。
結城氏に送った。返事なし。
四通、全滅だ。
利三が申し訳なさそうな顔で言った。
「使者は全員、無事に戻っております。受け取り拒否ではなく、受け取った上で返事をしていない、ということのようです」
「無視か」と俺は言った。
「……その、はい」
俺は天井を見た。
無視。
明智光秀という名前は、関東の大名にとって何者でもない。本能寺の変で信長を討った謀反人。その後、羽柴秀吉に敗れたとされている男。東北で勝手に領地を広げている得体の知れない武将。
そういう認識なのだろう。
手紙を送っても、真剣に取り合う理由がない。
幸村が縁側で刀を手入れしながら言った。「手紙で仲間になる者は、最初から仲間になる気がある者だけだ」
「それは分かっていた」と俺は答えた。「でも試してみたかった」
「結果は出たな」幸村が語る。
「出た。全滅だった」
「では次の手を打て」幸村が静かに言った。「悩む時間は終わりだ」
俺はしばらく黙った。幸村の言葉は、いつも短くて正しい。問題は、兵力だった。
現在の総兵力、二万八千。
六ヶ国を守りながら関東に攻め込むには、どう計算しても足りない。七ヶ国の守備に最低一万五千は必要だ。残り一万三千で関東を攻める。北条の三万五千に対して、一万三千。
話にならない。
かといって全軍で南下すれば、東北が空になる。謙信が動いたら終わりだ。武田信玄が北上したら終わりだ。秀吉が直接東北に向かってきたら終わりだ。
三日間、俺はこの数字と格闘した。
そして四日目の朝、一つの結論に辿り着いた。
「兵力を分散させる」
軍議で俺が言うと、広間が静まり返った。
家康が真っ先に反応した。「兵力の分散は基本的に悪手です。個別撃破される危険があります」
「分かっている」と俺は答えた。「でも逆に考えれば、複数の方向から同時に圧力をかけられる。敵が一点に集中できなくなる」
「しかし、悪い結果がおこる可能性が高い」家康が言う。
「高い。でも一点集中で関東に向かっても、六ヶ国が危うくなる。どちらも悪い結果があるなら、分散させる方がマシだと判断した」
昌幸が静かに言った。「分散させるとして、どこに向けますか」
俺はマップを広げた。「常陸だ」
常陸。磐城の南、関東の北東に位置する国だ。マップを確認する。
【常陸 佐竹義重 兵力一万二千】
佐竹義重。
前世の記憶を掘り起こす。「鬼義重」と呼ばれた猛将だ。北条と伊達の両方を相手に独立を保ち続けた、東国屈指の実力者。武力だけでなく統率も高く、簡単に崩れる相手ではない。
GAMEのパラメータを確認した。
【佐竹義重〔鬼義重〕武力92 統率95 知略75 頑強性100】
〔鬼義重〕という固有スキル。内容を確認する。〔鬼義重〕戦場において一切の恐怖を感じない。兵の士気が常に最大値を維持する〕
士気が常に最大値。つまり《虚報》で動揺させることができない。兵が信じない。主君が恐れないから。
「また厄介な相手だ」と俺は呟いた。
しかし、常陸を取ることには意味がある。常陸は関東の北東の玄関口だ。ここを押さえれば、関東への足がかりになる。北条の横腹を突ける位置になる。
そして常陸の南には、関東の豪族たちが並んでいる。手紙に返事をしなかった連中だ。言葉が届かないなら、行動で示すしかない。
「忠勝」と俺は言った。
本多忠勝が静かに俺を見た。
「常陸を頼む」
広間がざわめいた。
利三が慌てて言った。「十兵衛様、忠勝殿一人では」
「一人じゃない」と俺は言った。「ただし、俺は本拠を磐城に置いたまま全体を指揮する。忠勝に前線を任せる」
忠勝が静かに聞いた。「兵はいくつもらえる」
「一万だ」
また広間がざわめいた。
「一万で佐竹の一万二千を攻めるということですか」と利三が言った。「不利では」
「忠勝がいれば不利じゃない」と俺は断言した。
忠勝が少し間を置いた。この男が間を置くのは珍しい。
「一万でやる」と忠勝が言った。「ただし一つ条件がある」
「何だ」
「幸村を貸せ」
幸村が「ほう」という顔をした。
忠勝と幸村が組む。その組み合わせが何をもたらすか、俺は三河と信濃で知っていた。
「いいだろう」と俺は言った。
出発前の夜、忠勝が俺のところに来た。この男が夜に来るのは珍しい。
「何かあるか」と俺は聞いた。
忠勝が少し間を置いた。
「常陸を取った後はどうする」
「関東に入る」
「北条とやるのか」
「最終的にはそうなる」
忠勝が俺を見た。「明智殿は天下を取るつもりがないと言っていた。それは今も変わらないか」
俺は少し考えた。
「変わらない。天下は要らない。ただ、東北を守るために関東が必要になった。守るために攻める。それだけだ」
忠勝が黙った。
「信じるか」と俺は聞いた。
長い沈黙だった。そして、忠勝が静かに言った。「信じる。だから常陸に行く」
マップを確認した。
【本多忠勝 忠誠100】
変わらない最大値。しかしその重さが、今夜は違って感じた。
翌朝、忠勝と幸村が一万の兵を率いて南に向かった。出発の朝、幸村が俺に短く言った。
「必ず取ってくる」
「頼む」と俺は答えた。「二人とも、死ぬなよ」
幸村が静かに笑った。「死なん」
忠勝は何も言わなかった。ただ前を向いて歩き始めた。それで十分だった。
一万の兵が南に向かっていく。俺は磐城の城壁から、その背中を見送った。忠勝たちが去った後、磐城の守りは一万八千になった。六ヶ国と磐城本拠を一万八千で守る。薄い。非常に薄い。
家康が隣に来た。
「心配ですか」
「心配だ」と俺は正直に言った。
「しかし、忠勝殿と幸村殿なら」
「戦は心配していない」俺は首を振った。
「心配なのは、その間に他が動くことだ」
家康が静かに頷いた。「謙信公と信玄公の動向は」
「半蔵が監視している。今のところ動きはない」
「秀吉は」
「東海道を固めている。まだ関東には来ていない」
「では今が動くべき時です」家康が静かに言った。「全ての変数が静止している今この瞬間が、唯一の機会かもしれません」
俺は家康を見た。この男の言葉は、いつも正確だ。
「そうだな」と俺は答えた。
その夜、半蔵から緊急の報告が届いた。 珍しく、半蔵自身が戻ってきた。
「どうした」と俺は立ち上がった。
半蔵が静かに言った。「二つ、報告があります」
「聞かせてくれ」
「一つは佐竹義重の動きです。忠勝殿たちが南下したことを察知しました。常陸の守りを固め始めています」
「やはり情報が早い」俺は頷いた。「もう一つは」
半蔵が少し間を置いた。この男が間を置くのは、本当に重要な情報のときだ。
「羽柴秀吉が、関東に使者を送りました」
俺は固まった。
「北条に、従うように求めています。北条が秀吉に従えば……」
「北条と秀吉が繋がる」と俺は言った。声が低くなっていた。
「はい。そうなれば関東の情勢が、大きく変わります」
俺はマップを開いた。秀吉のマーカーが、じわじわと東に向かっている。
時間がない。忠勝たちが常陸を取る前に、秀吉と北条が繋がるかもしれない。
「北条の返事は」と俺は聞いた。
「まだ分かりません」半蔵が答えた。「ただ、北条は秀吉に従うことを良しとしない気質があります。時間はかかると見ます」
「その時間が全てだ」
俺はマップを握りしめた。忠勝と幸村よ、頼む。常陸を素早く取ってくれ。時間との戦いが、また始まった。




